ライラックの約束
次の日また次の日も、私は丘の上へ足を運んだ。あと四日、三日とカウントダウンしながら、次に会える時間を心待ちにして。
残り一日。
読書感想文を書くために読んでいる本を持って、今日も魔女の家を訪れた。
大きな木の下に腰を下ろして、面白い本があると話していると、ハルが私の手元を見てつぶやく。
「それって」
開かれた単行本のページに挟んでいる、花のしおり。
「僕があげたもの?」
一年前、ハルがくれたライラックを、母にラミネートしてもらった。それから、ずっと使っている。
恥ずかしくなってパタンと隠すけど、嬉しそうなハルに負けて。
「気に入ってるから」
風にかき消されてしまいそうなほど、小さな声を出した。
心の内がバレてしまったようで、落ち着かない。
視線を上げれないでいると、近くで揺れるカーネーションに触れながらハルが静かに話す。
「花って、ひとつずつ意味があるの知ってる?」
「花言葉ってやつ?」
「そう」
「聞いたことはあるけど、よく知らない」
赤いカーネーションには、母への愛という意味があるらしい。だから母の日には、それを贈る風習が見られるのだと初めて知った。
人から花を贈られたら、何か意図的なメッセージがあるかもしれない。ハルの言葉に、少し胸がそわそわする。
期待するわけではないけど、もしかしたらーー、そんな淡い感情が湧き上がって来たから。
「ライラックには、友情って意味があるんだ。僕にとって、花梨が初めての友達なんだ」
それは喜ばしいことのはずなのに、なぜか胸がチクリと痛む。
ハルにとって、私は夏の五日間だけの友達に過ぎない。分かっていたことなのに。
茜色の空を見て、切なさが押し寄せる。
今ここを去ったら、また一年会えない。
もっと一緒にいたい。
それでも、友達という縛りから抜け出せなくて、私はそっと立ち上がった。パッと、隣に座るハルの手が引き止める。
「もう行っちゃうんだ。もう少し、いたらいいのに」
跳ね上がる胸を抑えながら、掴まれている手を体へ寄せた。力の緩んだ指は、私が動かなくても簡単にほどけていたと思う。
「今度は、リラも連れて来るね」
本当の気持ちを夕陽に隠して、強がってみせる。これ以上ここにいたら、気付き始めたハルへの想いを消してしまいそうだから。
またねと背を向けたところで、再び呼び止められた。
振り返った先には、一輪の花が差し出されている。鮮やかな紫をしたライラック。
「どこにいても、そばにいるって意味。ずっと、花梨のこと想ってる」
「友達じゃなきゃ、だめ?」
「えっ?」
「来年は、私ももう少し大人になってるはずだから。勉強して、伝えたい花、持ってくるから」
受け取ったライラックを胸に抱いて、精一杯の声を振り絞る。
今度は、もっと別の意味合いでハルと会いたい。嘘偽りなく、お互いを知り合えたら。
影が世界を覆うように、辺りが暗くなっていく。
「……
空を見上げたハルが、独り言のようにつぶやいた。
「おうまがとき?」
「魔物に出逢う時間」
ルビーのような輝く瞳に見つめられて、動けなくなる。
頬に触れた指先が、唇へ移る。
『吸血鬼に、心臓食べられちゃうかもよ』
それでも構わないから、このまま時間が止まればいいのに。
「……また、待ってる」
優しい眼差しにうなずいて、私はハルと別れた。
夏が終わり、虫音が涼しさを運ぶ秋がやって来た。白い綿帽子の降る冬が訪れて、花香の漂う春が過ぎていく。
中学三年になって変わったことは、伸ばし続けている髪とこれくらい。
「花梨ちゃんって、いつもそのしおり使ってるね。手作り?」
紫のライラックを押し花にして、肌身離さず持ち歩いている。ハルがくれたお守り。
「特別な人からもらったの」
「ええ、カレシとか?」
アヤミちゃんとマヤちゃんが、キャッキャッと黄色い声を上げる。
そんなんじゃないよと笑って返して、パタンと本を閉じた。
花をもらった日の夜、花言葉を調べてみた。面と向かっては素直に話せないから、来年会うときは、花に乗せて気持ちを伝えたくて。
赤いチューリップは、愛の告白。ひまわりは、あなただけを見つめる。
スクロールする指が、ピタリと止まる。
紫のライラックは、初恋。
文字を見たとたんに、胸がキュッと狭くなって、ハルの笑った顔を思い出した。
『ずっと花梨のこと、想ってる』
友情に隠されていた本心に、ようやく気付くことが出来たから。もう、なにも怖くない。
今年も、夏風が青葉を揺らす季節になった。
飛びたい気持ちを抑えつつ、懐かしいじゃり道を踏みしめながら歩く。
一年ぶりに訪れた魔女の家は、相変わらず花が咲き乱れている。
背の高い草花の隙間から、きれいな白い髪が見えた。
「ハル……!」
近付いて、思わず足を止める。
庭に立っていたのは、白髪を頭の後ろで結い上げた老女だった。その人は渋みのある紫の服に身を包み、まるで魔女のように高い鼻をしている。
「あの……すみません。ハル、えっと、毎年夏に来てる、高校生の男の子いませんか?」
柔らかな雰囲気が、どことなくハルと似ている気がする。
しわが寄った頬を上げて、その人は小さな花束をこちらへ向けた。今さっき摘んだばかりのように美しい薄紫のシオン。
「あの子は、もうこの世界にはおりません。これは、あなたへ最後の贈り物です」
その花の意味は、ーーさようなら、君を忘れない。
「あの子の名よ。どうか忘れないであげて」
背中に隠していたひまわりが、パサッと落ちた。開いたままの瞳から、一粒の雫が流れてくる。
ハルの本当の名前は、シオン。
きれいな髪と、赤い瞳。雪のような肌の色は、生まれたときからだったらしい。
幼い頃から病弱で、ここ数年はずっと入院生活を送っていた。夏休みの五日間だけ、祖母の家へ療養しに訪れていたと聞かされた。
『ハルの高校って、どんな感じなの?』
『うーん、普通なんじゃないかなぁ』
『……答えになってないよ。共学……なの?』
『気になる?』
ほとんど学校へ通っていなかったハル。どんな気持ちで、私と会っていたのだろう。話していたのだろう。
『僕にとって、花梨が初めての友達なんだ』
『ずっと、花梨のこと想ってる』
紫の花を抱きしめながら、がくんとひざから崩れた。あふれ出した玉の粒が、花びらを弾いて流れ落ちていく。
「……シオンくん」
きっとハルは、この花言葉が嫌いだったのかもしれない。
独りぼっちにされた気がして。
さようならと、言われているみたいで。
桜の香りが空気を包む。
新しい制服に袖を通し、ぎこちない手つきでブレザーのボタンを止める。
しおりを挟んだ本をかばんへ入れて、窓際に手を振った。
「行ってくるね」
私の部屋には、今日もシオンが綺麗に咲いている。そのとなりで、小さなひまわりが寄り添うように並んでいる。
まるで、仲良く話しているように。
白髪に赤い宝石のような目をした彼。
毎年、ひと夏のうち、五日間だけ会える人。
それが私の初恋だった。
fin.
花に嘘 月都七綺 @ynj_honey_b
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