花に嘘

月都七綺

ひと夏の嘘

 白髪に赤い宝石のような目をした彼。

 吸血鬼と言われた少年は、今年もあの庭に姿を現す。

 一年のひと夏、五日間だけ会える人。

 それが私の初恋だった。



 丘の上にある小さな家は、庭一面にあらゆる季節の花を咲かせる魔女の家と呼ばれている。

 毎年ひと夏の間だけ、吸血鬼の少年が妖気をもらいに現れるらしい。


 去年の春、都心から遠く離れた地方の中学へ転校してきた。それなりに友達も出来て、無難な毎日を送っている。

「タカダヤのカラオケ行こうって約束してるんだけど、花梨かりんちゃんも来ない?」

「あっくんも誘うつもり」

 終業式が終わって、教室から出たところで声をかけられた。

 くるんと跳ねた毛先を触りながら、唇をきらきらさせているのは、クラスの中でも目立つ存在のアヤミちゃん。となりで腕を絡めながら、待ち遠しくてたまらないと言いたげなマヤちゃんが、行こうと口の端を上げる。

 明日から始まる夏休みの話をしているのだ。

「その日は用事があって。ごめんね」

「ざんねーん。じゃあまた誘うね!」

 手を振りながら、ホッと胸を撫で下ろした。

 やっと会えるんだ。

 私には、ずっと前から先約がある。あれは、もう一年も前のこと。



 十三歳の誕生日を迎えた夏。

 コバルトブルーの絵の具をこぼしたような空の下で、彼と出会った。

 愛猫のリラを追いかけて迷い込んだのは、美しい花で埋め尽くされた庭。

 ひまわり、コスモス、ポインセチアなど季節感はまるでない。全てがこの空間に詰まっている。


『丘の上にある魔女の家には、絶対に近づいちゃダメだよ。心臓食べられちゃうからね』

 アヤミちゃんの声が、脳内で再生された。

 さほど本気にしていなかったけど、この時ばかりはまさかと思った。

 ラベンダーのような花の前で顔を突っ込んで、リラがなにやら食べている。

 どうすることも出来なくて、後ろめたさを感じながら庭へ足を踏み入れた。


 リラを抱き抱えようと、身を屈めた時だ。背後から人の気配が現れたのは。

「こいつ、君んの猫だったんだ。昨日も遊びに来たんだ」

 絵から飛び出して来たような白髪に、色素の薄い肌。透き通るように紅い瞳。

 髪が肩ほどの長さがあるためか、中性的な容姿に見える。高めの声だけど、恐らく男子だろう。

 その現実離れした容姿から、クラスメイトが噂する吸血鬼少年だと、すぐに分かった。

 思わず視点が定まっていたからか、彼が首を傾げる。

 ハッとして、目線を地面へ下げた。

「あの、花……ごめんなさい! お母さんに言って、新しいの買ってもらいます」

 リラを抱える手が震えた。不安や恐怖、それから得体の知れない緊張感。


「猫はね、この花が好きなんだよ。食べても大丈夫だし、猫のためにある花だから好きにしていいんだよ」

「そう……なの?」

 倒れた花を丁寧に起こす彼は、まだあどけなさが残る十四、五歳くらいに見える。

 逃げ出したい気持ちは徐々に申し訳なさへ変わって、私も腰を下ろして花に手を伸ばした。甘くて爽やかな香りが鼻をくすぐる。

「名前は?」

「……花梨かりん

「おまえ、カリンって言うのか。毛がアッシュブルーだから、ロシアンブルー? カリン、可愛いなぁ」

 リラの頭をクシャクシャと撫でる彼に、私は思わず赤面する。

「違っ、それ……私の名前。この子は、リラ」

 自分が言われたような気分になって、急に目を見れなくなった。

 猫の名前を聞いてたんだ。早とちりして、恥ずかしい。


「……花梨とリラ。ふたりとも、良い名前だね」

 木漏れ日が差して、人形のような白い髪を輝かせる。初めて、男の子を綺麗だと思った。

「花のこと、親に言わなくていいよ。その代わり、僕の話し相手になって」

「話し相手?」

「みんな怖がって、ここに寄り付かないんだ。せっかくの夏休みなのに、退屈なんだよね」

 とても寂しそうな瞳。優しい声は、不思議なくらい心地よくて、子守唄を聴いているみたいな安心感がある。

 この人は、本当に吸血鬼なんだろうか。

 少なくとも、学校の人が口にするような悪い人には見えなかった。


 庭のプランターの前で腰を下ろして、赤や橙をしたきれいな丸を見つめる。

「この木の実食べてみて。甘くて美味しいんだ」

 その場でぷちりともぎ取られた赤い実に、思わず身構えた。

 あの噂話を信じるわけではないけど、大丈夫かなって。

 知らない人には、まず身元を確認すること。留守番のとき、いつもお兄ちゃんがインターホン越しにしている事を思い出して、尋ねてみる。

「あの……その前に、名前聞いていい?」

「僕、自分の名前好きじゃないんだよね。だから……、吸血鬼くんでいいよ」

「なんでっ、吸血鬼?」

 体重をかけているつま先に、より力が入る。

「みんなそう言ってるでしょ?」

「……それは」


 言葉に詰まったのを見て、クスクスと彼は笑った。

「花梨は嘘がつけないんだね」

「……ごめんなさい」

「褒めたんだよ。それに、新鮮な血が欲しいのは、ほんとうのことだし」

「やだっ、怖い!」

 引きつった顔で肩を遠ざける素振りをすると、「あはは、冗談だよ」と、彼はからかうような声を上げた。

 笑うと目がなくなって、とても柔らかな表情になる。

 やっぱり、この人は悪い人じゃない。

 ここの空気がそう言っていたから、私は赤い実を口にした。甘酸っぱい味がしたことを、今でも鮮明に覚えている。



 夏休みに入って一週間が過ぎた。

 青空に映える白いワンピースを着て、ベルトの付いたサンダルでじゃり道を駆け上がる。

 目的の場所は、魔女の家。

 一年前の夏、別れ際に彼が告げたのは、『また来年の夏、五日間だけここへ来るから』だった。

 愛猫と同じ名前の花をくれて、またねと手を振る姿を思い出して、庭の前で足を止める。

 ……ほんとに、いた。

 相変わらず満面に咲く花の中で、きらきらとした絹糸のような白髪が揺れている。

 ふと視線が触れ合ったとき、この空間だけ時間が止まった気がした。覚えてくれてるかな。


「……久しぶり、だね」

 ぎごちなく口を開くと、紅い満月のような瞳が三日月になって。

「花梨のこと、待ってた」

 ここへ向かっていた時より、胸がドキドキと波打っている。

 庭のテラスで、薔薇の紅茶をもらった。淡く色づいた紅色がきれいで、じっと見つめていると、となりから視線を感じた。

 見られることにあまり慣れていないから、「なに?」と素っ気ない態度をとってしまう。

「……髪、伸びたね」

 頰杖を付きながら、にこりと笑う彼。

 それだけで心臓がはち切れそうになるのに、長い人差し指が私の横髪をさらっとなびかせる。

 髪の一本ずつに神経でも通っているのか、触れたところから熱が上がりそうだ。


 自称吸血鬼の彼は、前より背丈が伸びて、雰囲気も大人っぽくなっていた。

 歳を聞いたら、私のふたつ上で、この春で高校一年生になったという。

 なんだか少し、遠い存在になってしまった気がした。

「花梨は、学校楽しい?」

「それなりに……かな。きゅ……きゅう……」

 なんて呼んだらいいんだろう。

 ふいに緊張が湧き上がってきて、声を詰まらせる。

「ハルでいいよ」

 それに気付いてか、そばに咲いているハルシャギクを触りながら、彼が空のティーカップに花びらを落とす。

 残っていた雫が染み込んで、黄から赤へと変わる。

 きっと、これも本当の名前じゃない。

 またひとつ距離を感じて、薔薇の棘が刺さったみたいに胸がチクッと痛んだ。


「ハルの高校って、どんな感じなの?」

「うーん、普通なんじゃないかなぁ」

「……答えになってないよ。共学……なの?」

「気になる?」

 満足そうな笑みにしてやられたといった感じで、可愛げもなく「べつに」と返してしまう。

 一年ぶりに会えたのに、照れ臭くて素直になれない。

「そういう花梨は、どうなの?」

「……どうって?」

「クラスにカッコいい子、いたりする?」

 カッと染まり上がる頬を見て、ハルが首を傾ける。

 わざとなのか、無意識なのか。

 もう残り少ないティーカップの中身を、ぐいっと飲み干して、一呼吸置く。

「……いないよ」

 ならよかったと白い歯を見せるこの人以外に、思ったことはない。

 いつの間にか、私はハルに心を食べられていた。

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