第8話 火祭りの夜・前篇

「火祭りの夜はね、外に出てはいけないんだよ」

 夕食をご馳走になった私は、その言葉に目を瞬かせた。


 時刻は夕方。まだ戻ってこないレオンさんを部屋で待っていた私は、ユーリィに呼ばれておばあちゃんたちと食卓を囲んでいるのだった。

 和気あいあいとした楽しい食事の時間。

 その中で、ユーリィのおばあちゃんが暮れ始めた窓の外を見つめて呟いた言葉がなんだか妙に気になったのだ。

「それ、レオンさんも同じことを言ってました。火祭りは元々魔除けの儀式?だったって。でも今は普通のお祭りなんですよね」

 私の疑問におばあちゃんは柔らかく目を細めて、糸紬の針を脇に置いた。

「そう。でもね、あたしの祖母は迷信深い人だったからかもしれないね。火祭りの夜は外に出てはいけないって教わったのさぁ。怖い魔物が出るから、決して外へ出てはいけないってね」

 思い出を懐かしむように手を当てて、おばあちゃんはほう、と息を漏らした。

「ああ、そうだ。あれはあたしがもっと小さいころの話だったか……。あたしの祖母は朗らかで、優しい人だったけれど、さっきも言ったみたいに迷信深くてねえ。火祭りの夜だけは絶対に外に出してくれなかった……。」

 私は続きを黙って待った。

「火祭りの日は神様の世界と、魔族の世界、そして私たちの世界が混ざり合う日なのよって。だから悪い子は神様に攫われて、恐ろしい魔物が人間を襲いに来るのよって。……ふふふ、でもその頃のあたしは随分とはねっ返りだったから、こっそり抜け出して友達と一緒に遊びまわっていたの。次の日にはこってり絞られたんだけどねぇ」

 あなたも、とおばあちゃんはつづけた。

「今夜、外に出るのはやめておきなさいな。ユーリィはあなたとお祭りに出かけたがるでしょうけれど、ちゃんと断ってね。貴方のようなかわいらしい子は魔物に狙われやすいのよ?」

「いやー、私はそんな、狙われるほどじゃないですよ」

 おばあちゃんは首を横に振って柔らかく言った。

「いいえ。違うのよ、サキちゃん。魔に属する者は、そういう油断をついてくるのよ。古の物語にもそう書いてあるのよ。だから、今夜はやめておきなさい。あの騎士様も、あなたのお兄さんも中々腕は立つようだけれど。それでも魔物に出会って無事でいられることは少ないのよ。今夜はもう、お休みなさい」

「は、はーい」

 そんな風に言われてしまえば、もう私は何も言うことは出来ない。

 大人しくお茶を飲み干して、お休みなさいと呟いて、宿の階段を昇っていく。きぃきぃと軋む階段を上がった先の部屋。少しだけ開いたドアの隙間からは、ほんのりとした明かりがか細く漏れていた。

「レオンさん……?」

 いつの間に戻ってきてたんだろう。

「ん……。サキか。悪いな、兄妹っつーことにしといた方が面倒がなかったんで、一緒の部屋だ」

 私の声に振り返ったレオンさんは、ちょっと済まなさそうに眉を下げている。

 私は笑って首を振った。

「全然問題ないですよ。むしろ色々とお世話になってて申し訳ないくらいです。本当に、ありがとうございます」

 深々と頭を下げる私に、レオンさんは吊り気味の目を見開いた。続いてフッと笑って、頭をかいた。

「まあ、気にするな。お前を拾っても予定はそこまで変わらないし、今は金もそこそこ持ってるからな。一応拾ったからには、責任を取って出来るだけ助けにはなるつもりだ」

 めちゃくちゃありがたいし、うれしい言葉だ。

 迷惑を掛けている自覚はあるので余計に申し訳なさも募る。

「いや……何というか、本当にうれしいです。レオンさんに助けて貰って良かったーってずっと思ってます、私」

「何だそりゃ。あんなのただの偶然だったから気にしなくていいんだ。若いんだから、もうちょっと羽目を外して遊びまわってもいいくらいだ」

 真面目に付け加えるレオンさんはちょっと面白い。

 といえ、だ。

 私は月明かりの中に佇むレオンさんを見つめた。

 レオンさん、十分に若く見えるんだけど、何というか大人びているというか、雰囲気が老成?しているような感じがする。

 私が子供っぽいとか、そういう話ではなく。

 纏う雰囲気がなんだか――。

「ああ、そういえば忘れてた」

「はい?」

 思考を遮ったのは他でもないレオンさんで。

 彼は部屋の頼りない明かりを消すと、窓の側に向かっていった。

 そして、ゆっくりと半分くらい空いていた窓を押し開け、私に向かって手招きをした。

「サキ、ちょっと来い」

 私は断る理由もなく、言われるがままに窓の外を覗き込んだ。

 ふわりと、少し冷気を帯びた春の風が前髪を揺らした。

「うう、ちょっと肌寒いですね」

「ああ、まだ春先だしな。って、そうだった。セーラー服だけじゃ寒いよな。さっき買ってきた外套があるからそれでも羽織っとくか?」

 ぶるり、と身体を震わせれば、レオンさんが気遣ってくれる。

 でも、私はそんな言葉も耳に入らなかった。

 覗き込んだ窓の先、暗い暗い夜の帳。

 その中には息をのむほどに美しい赤と青、二つの月が、大きく大きく浮かんでいた。

「わ、す――すごい」

「ああ、そうか。見るのは、初めてか」

 レオンさんが何か呟いているのも耳に入らない位に、その光景は衝撃的で。

 街灯も何もない、あるのは家々と篝火の光だけ。

 そんな真っ暗な夜に、恐ろしく感じるほどに大きな赤い月、青い月が輝いている。

「綺麗……でも、なんだか……怖い、ですね」

「……言ったろ。今夜は火祭りの夜だ。神界、魔界、人界すべての境界が揺らぐ夜だ。お前が怖がるのも無理はない。本来ならあれは、不吉の象徴だったから」

 レオンさんがすっと指を指し示す。

 指の先には、月明かりで見えにくくはなっていたけれど、ほのかに光る星があった。

「あの星は見えるか?」

 私は素直にうなずいた。

「はい、見えます。まあ、ちょっと見づらいですけど……」

 彼はうん、とうなずいた。

「今夜はしょうがねーな。まあいい、あの星は覚えておけ。あの星は朝でも昼でも、夜になったって動かない。どれだけ時間がたっても動かないから、旅をするときに便利なんだ」

「はあ、北極星みたいなものですか」

 私は首を傾げ、目を凝らした。青く光るそれは、月の光の中のなかで自分の光を淡くとも主張していた。

「ああ。その通りだ。あの星がある方向が北だ。……ちなみに反対側が南なんだが、分かるか?」

「流石にそれ位分かりますよ。馬鹿にしないでください」

 ムスッと頬を膨らませれば、レオンさんは柔らかく笑った。

「悪い悪い。まあ、覚えておいて損はねーから」

「本当に悪いと思ってますかー?私、三歳の子どもじゃないんですけども」

「三歳とかほとんど赤ちゃんじゃねーか。流石に……。いやあんまり変わんない、か?」

「え、本気で考え込むのやめてください……」

 などなど、たわいもない話をしていた私たち。

 ふと、言葉が途切れた時のことだった。

「サキ」

 おもむろにレオンさんが、私の目を見据えて口を開いた。

 今までになく真剣な表情で、私の心臓はどきりと跳ね上がった。

「な、ななななな、何でしょうか……」

「いや、そんなに緊張するな。話しにくい」

 あっという間に眉間に皺が寄るレオンさん。

 ヤバいヤバい。怒らせちゃうところだった。

 レオンさんは少し息を吐くと、腕を組んで遠くを見つめた。

「明日、ここを発つ。それで、神都に向かおうと思ってる」

「シント……ですか?」

 シント……?新都?神都かな?どっかで聞いたような気がするけど……?

 でも、なんでそれを私に……?

 頭に浮かんだ疑問に答えるように、レオンさんは私に視線を移した。

「神都に……俺の旧い知り合いがいる。そいつの所に居ればある程度安全……だと思う。神都はこの世界の中心って言ってもいい。そこでならお前が元の世界に……家族や友達がいる場所に帰る方法も見つかるかもしれない」

「それ、は」

 言葉に詰まる。喉の奥が冷たくなった。

 レオンさんの思いがけない言葉に、私の心は震えていた。

 だって、あまりに突然だったから。

 そんなことを急に言われてもって。そんな言葉を叫びたくなった。

 ……ううん。違う。

 私は見ないようにしていた。

 私が、帰れないかもしれないという、現実。

 お母さんや、お父さん。お姉ちゃんや友達、先生……。

 みんなに、二度と会えないかもしれない。直視したくない、事実。

「絶対に、見つかるなんて保証はない。ずっと探し続けても見つかるとは限らない。死ぬまで探しても、死んでも見つからないかもしれない。それでも、何かあるかもしれない。蜘蛛の糸みたいに、細い細い可能性があるかもしれない。何もしないよりはマシだと思う」

 真っすぐで冷え込んだ夜の月のような眼差しに、私は震える手を握りしめた。

「……はい。私も、帰りたいって思います。どれだけ難しいことでも、何かやってみなくちゃ分かりませんから」

 それは不思議と素直に出てきた私の気持ちだった。

 そしてやっぱりね、と自覚する。

 私は結構、異世界に来てしまって、二度と帰れないかもしれないっていう現実に参ってしまっていたんだ。

 でも、と。私は口角を上げた。

「私は諦めないですよ、レオンさん。例えここでおばあちゃんになっても、帰る手段を探します。あの時、ぎりぎりのところをレオンさんが助けてくれたから、諦めなくてもいいって思えるんです。人生、ぎりぎりでもなんとかなったんだって。なら、これからも何とかなるかもって思える気がします。だから、大丈夫です!」

 それは、私としてはそこそこ見栄を張って浮かべた笑顔だった。

 でも、レオンさんは本当に驚いたような、虚を突かれたような顔をして……それから小さく笑った。

「そうか。なら、もう寝ろ。遅くまで起きてる悪い子は魔王に喰われちまうからな」

「えー?まだそんな遅くないじゃないですかぁ。私16ですよ?ちっちゃい子どもじゃないんですよ?」

 茶化すように言った私の言葉をふっと鼻で笑うレオンさん。

「俺からしたら十分子どもだ」

「レオンさんて意外と年寄り臭いこと言うんですねー」

「年寄りで悪かったな?ほら、人を年寄り扱いするような悪い子どもは怖い魔王に喰われちまうからさっさとベッドで寝てろ。俺は大人だから今から出かけるけどな」

「へぁっ!?な、なんですかそれ!なんかずるくないですか!!?私を一人残して行っちゃうんですか!?せめて監督責任は果たして下さい!ずるい!ずるいです!!」

「ずるくない。だってお前未成年、俺青年。法律にも引っかからないし酒も飲める」

「それ関係なくないです!?」

 抗議する私の頭をぐしゃりと撫で、じゃーな、と軽く手を振りながら出ていくレオンさん。

 何とも言えない感情を胸に抱きつつ、私はその背中を見送った。

 ぬぐぅ……ずるい大人というものを体感させられた気分だ。

 まあでも、本当に色々あって、ありすぎるくらいにあった一日だったから疲れてるのも本当なんだよね。足は歩き過ぎでパンパンだし、慣れない乗馬体験でなんか全身が痛いし。地味に打ち身とか擦り傷もあるし。

 もしかしたらレオンさんはそこを気遣ってくれてたのかもしれない。あの人、すごく優しい人みたいだからね。

 ここは大人しく言いつけを守って寝ることにしよう。

 もぞもぞとベッドの中に潜り込んだ私は、いつの間にか眠りについていたのだった。

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