第7話 謎の騎士さん

 それからしばらく。

 私は本を読み聞かせるユーリィたちを眺めながら、騎士さん――ラエリエさん、って言ってたよね?――が注文していた甘辛いタレの絡んだ串焼きのようなものをご馳走になっていた。

 丸い木のお皿に盛られたそれは、非常に香ばしく食欲をそそる匂いを放っていて、一口噛めば口いっぱいにジューシーな味わいの肉汁が、ピリリとした不思議な香辛料の風味と一緒に広がっていく。

「うわ、おいし……!」

 思わず口元を抑えて声をあげてしまう。

 鶏肉や豚肉よりも歯ごたえがある赤身のお肉は独特の風味があって、それが甘辛いタレにすごくよく合っている。ちょっと塩気の強い味付けはきっとご飯が進むに違いない。

「ええ。とても美味しいですね。神都にも美味しい店はありますが、こちらも中々……」

 一口一口噛みしめるように食べているラエリエさん。表情は分かりにくいけれど、幸せそうだ。

 美味しいものを食べると幸せになるのは、異世界でも当たり前らしい。

 もぐもぐとお肉を食べていると、楽しそうに本を読んでいたユーリィが一番年長らしい子に本を預けてこちらへやってきた。

「サキ、お待たせ~。お、羊の串焼きか。いーなー」

 お皿を覗き込んで、ちょっとうらやましそうにするユーリィ。

 へ―、これ羊なんだ。あんまり食べたことないから知らなかった。

「ユーリィも食べる?」

 レオンさんから貰ったお金をポケットから取り出すと、ユーリィは慌てたように首を振った。

「い、いいよ!自分で買うから!おばちゃーん!俺にも串焼き一本!あと林檎酒!」

「はいはい。でも林檎酒はだめ。うちの酔っぱらい共みたいになってほしくないからね」

 奥から顔を出したおかみさんに、ユーリィは不満そうに唇を尖らせる。

「林檎酒くらいいいだろ?俺はもう十五だし、俺もお酒飲みたいー」

「だまらっしゃい。あんたがウチの旦那みたいに飲んだくれになっちまったら、あんたんとこのおばあちゃんに申し訳ないでしょうが。ほら、代金はいらないから手伝いな。そこのはらぺこのちびたちや、お客さん、そこのお嬢ちゃんにもパイを分けてやって」

「はーい」

 笑いじわの刻まれた目元をさげて、おかみさんは手際よく大きなお皿のパイ(多分ユーリィが言ってた美味しいミートパイ)を切り分けていく。

「美味しそうだろう?いつもはこんなに贅沢はしないんだけどねぇ。今夜は火祭りだからね。特別なのさ」

 にっこりと快活に笑ったおばさんから手渡されたお皿には、ずっしりと重たいお肉のパイ。黄金色に焼き上げられた香ばしい生地の香り。切り分けられた断面から溢れる肉汁。端的に言ってめっちゃおいしそう。

 さっきお肉を食べたばかりとは言え、この魅惑的なご馳走に抗うすべはない。

「ありがとうございますっ」

「ふふ、いい返事だ。しっかり食べて、明日に備えておかなきゃね」

 少しお行儀が悪いかな、とは思いつつ熱々のパイにかじりつく。途端に口に広がるお肉のうまみと塩気はサクサクの生地との相性が極上で、一口一口を大事に食べたくなる美味しさだ。

「んーおいしー!」

 思わず顔が緩んでしまう。

 いやあ、ホントに美味しいんだよ。さっきの串焼きも最高に美味しかったけど、やっぱりこう、お腹にたまるものを食べてるって感じがするのはいいよね。

 私の隣ではラエリエさんが静かに口元をほころばせながら上品にパイを食べている。かと思えば、ユーリィを含めた村の子どもたちはぎゃいぎゃいと騒がしくパイを取り合っている。

「うまっ、やっぱりおばさんのミートパイは最高!」

「母ちゃんおかわりー」

「おいしー」「マナ、おみずほしい」

「おれのとるな、ばかマーティン!」

「これおれのだもん!アホノード!」

 中にはつかみ合いの喧嘩までしている男の子までいる。結構激しい。

 なんというか、近所の幼稚園を思い出すなぁ……。もしくは小学校の給食の時間。

 美味しいパイを食べ進めながら私はその騒ぎを眺める。

 兎に角元気なところは見ていて飽きないものがあるよね。ま、自分が関わらなければっていう前提のもとではあるんだけどさ。なんて思いながら最後の一口を呑み込んだ。

「こら、あんたら!いい加減にしな!お母さんにいいつけるよ!ユーリィ、あんたも最年長なんだから止めなさいよ」

「え、俺ぇ!?」

 とうとうおかみさんから雷が落ちて、一瞬でみんなが静かになった。

「あはは、怒られてる」

 隣にいるユーリィにくすくすと笑うと、ちょっとむっとした顔で「うるせー」と軽く小突かれた。

 いやだって面白いんだもの。子供みたいでかわいい、とか言ったら確実にへそを曲げるのは確実だから言わないけどね。

「ほら、食べ終わったなら片付けるから。皿を持ってきな」

 おかみさんの声に子どもたちは「はーい!」と元気に返事をする。

「いいよ、俺が片付けるから。お前らは先に戻ってろ」

 ユーリィはひょいひょいっとたくさんのお皿を持ち上げる。けれど、おかみさんは苦笑いしながらそれを制した。

「あ、こら!ユーリィ、あんたが力持ちなのは知ってるけどそれはやめな?あんたが小さいころ、そうやっていっぱい皿を運んでくれようとしたけど、すっころんで皿をぶちまけて、わんわん泣いてたのは誰だい?」

 おかみさんの言葉にユーリィはちょっと恥ずかしそうに頬を掻いた。

「うっ……い、いつの話してんのさ!俺もう十六だし、そんなことにはならないから絶対平気だよ」

「だめだね。今日はせっかくの火祭りの日なんだから。あんたが転んで怪我なんてしたら悲しいし、他の子たちも危ないよ。みんなで協力して片付けておくれ」

「うん、おれ、片付け手伝うよ!ユーリィ、ドジだから危ないもんね~」

 一人の男の子が無邪気にそう言うと、周りにいた何人かの子供たちもそうだそうだと囃し立てる。

 当の本人はと言うと、ぐぬぬ……と、わりと悔しそうに歯噛みしていた。そして、観念したように大きなため息を吐く。

「……俺ってそんなに頼りないかなあ?まあいいや、サキは座ってて。みんなで片付けてくる」

「え、手伝うよ!?ご馳走になっただけじゃ悪いし……」

「いいのいいの。ああ、そこのお客さんも手伝おうとしなくっていいってば」

 おかみさんが呆れた顔でラエリエさんを見た。

 ラエリエさんは戸惑ったように固まっている。

「いえ、しかし……」

「いいからいいから。お兄ちゃんは座っててよ。わたしたちの方がお手伝い慣れてるから!」

 可愛いピンクのリボンを結んだ女の子がラエリエさんの服を引っ張って、椅子に座らせる。その様子はまるでお母さんと小さな子どもといった感じだった。

「はい、これでおしまい。ユーリィも手伝ってくれてありがとう。助かったわ」

「このくらいならばあちゃんの肩を揉むより楽だよ」

「まーたあんたは憎まれ口を叩いちゃって!おばあちゃんが知ったら雷じゃあ済まないんじゃないかい?ふふ。さ、ちびたちはお家に帰りな。家の仕事を手伝わない悪い子は魔族が攫って食べちまうからね」

「はーい!」

 子どもたちはそれぞれに返事をして、きゃらきゃらと笑いながら帰っていった。さっきまで騒いでいたとは思えないほどあっさりとした別れ方である。こういうところは素直でかわいい。

 おかみさんは私たちにも礼を言い、それから奥の部屋に入っていった。どうやらお茶を入れてくれるらしい。

 さすがにこれ以上お世話になるわけにはいかないと思ったのか、ラエリエさんは子どもたちから返された本を手に取って席を立とうとしたんだけど。

「座りな」

 とだけ言われて大人しく席についてしまった。

 もしかすると押しに弱かったりするのかな、なんて紅茶とよもぎの中間みたいな不思議な風味のお茶を飲みながら思う。

「あ、そういやサキの買い物するの忘れてたな」

「え、あ、ほんとだ」

 すっかり失念してた。というかまず何が必要なのかが全然分かんない。異世界にいくとか、当たり前だけど初めてだし。

 下着に着替えに……歯ブラシ?あとはお肌のお手入れ用品とか?バッグとか身分証とかその他諸々……。

 そこまで考えてうなだれる。

 ……なんかこう、想像以上に大変そうな気がしてきた。

 レオンさんの言葉通り、ここでしっかり色んなことを教えて貰う方が絶対にいい。

 私は居ずまいを正してユーリィに零した。

「ユーリィ、あのね。実は……私、全然何にもわかんないんだ。お金とか風習とかこの世界のこと、全然知らないんだ。だから、色々と教えてほしいんだ」

「え、いいけど」

 ユーリィがきょとんとする。

 いやだって、しょうがないじゃん! 今までの人生でも実は海外旅行もしたことがないんですよこっちは!パスポートもない語学力もない、なんかめちゃくちゃ親切な人に助けられた超ラッキーガールなだけなんですよねええ!うっうっ。

 心の中でさめざめと泣いていると、ユーリィは頭の後ろで腕を組んで、軽く首を傾げた。

「っていうか、なんでそんなに知らないことが多いんだ?遠い国から来たのか?」

「うーん、当たらずとも遠からず、かなあ……」

 どうやら異世界にトリップしたみたいです、とか、言っても信じてもらえないだろうしなあ。

 そもそも私自身なんでこんなことになったのかまだ分かってないし、呑み込めてないし。私自身も信じ切れてないところはある。

 でも。と、昨日の恐怖を思い出す。

 胴体を、首を、ぬめぬめとした気持ち悪い触腕が締め付ける痛みも苦しさも、口に入った海水の塩辛さと生臭さが現実でなければ一体何なのか。

「──サキさんは、西方からいらしたのですか」

 猫舌なのか、慎重にお茶を飲んでいたラエリエさんが、その手を止めて首を傾げる。

 西方?西の方から来たってことかな。うーん、この世界の地理とかよくわかんないしなあ……。

「すみません、ちょっとよくわかんないです……」

 素直に首を振ると、ラエリエさんはどこか納得したように頷いた。

「いえ。西方には確か、あなたのように珍しい黒色の髪の一族が治める領地があったと記憶していたので。視察に行ったのはかなり前の話ですから記憶違いかもしれませんね」

「……西方に……視察?!あの、あなたってもしかして、……聖騎士なんですか!!?」

 その言葉に予想外に食いついたのはユーリィだった。

「いえ違います」

 しかしあっさり否定するラエリエさん。え、でもさっきの自己紹介の時「騎士です」って言ってなかったっけ?

「神王陛下をお守りすべき聖騎士がこんな場所にいるはずがない。そうでしょう?」

「え、ええ!?いや、そうですけど……そうなんですけど!その紋章とか、確か勇者ユーリスの伝説にも出てくる聖騎士の紋章な気がするんですけど!!?」

 ユーリィが指差したのはラエリエさんの左胸にあるエンブレムだ。そこには鳥のような、ライオンのような不思議な動物を象った紋章が描かれている。

「神獣グリフィンと盾の紋章!それって神王様をお守りする聖騎士たちにだけ授けられる紋章ですよね!?それを身に着けることができるのはたしか……もごごごご」

 興奮気味のユーリィの口をラエリエさんが面倒くさそうに塞ぐ。

「時に雄弁は毒ともなります。気を付けて下さいね。そろそろ私は宿の方に戻りますので、あなたたちもお戻りなさい」

 そう言い残して彼は立ち上がり酒場を出て行った。

 ラエリエさんが去った後、私たちは顔を見合わせる。

「……あれ、絶対本物だよな」

 ユーリィが呟く。その目はきらきらしていて、とても嬉しそうだ。

「うん……たぶん……?」

 私には騎士です、だなんて普通に言ってたのに、なんでユーリィには言わなかったんだろう?

 私は不思議に思いながらユーリィに続いて席を立ったのだった。

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