第3話 逃走、そして……運命?

 脱兎。その表現が一番ふさわしいと思う。私はその場から離れたい一心で運動用シューズでもないのに走り出した。

 あっけにとられる男の子にはちょっと悪いとは思うけど、レオンさんに怒られるよりは多分マシ。

 いや、ホントのことを言えばレオンさんそこまで心は狭くないと思う。いい人だし。

 でも見つかってしまって面倒なことになるのは申し訳なさが過ぎるよね?私だけじゃなくてレオンさんもやばくなるよね。

 とにかく逃げ――

「ってきゃゃああああ速い!めっちゃ速い!!」

「おい、待ってくれよ!聞きたいことがあるんだ!」

 走り出した私を追いかけるように駆け出す男の子。

 は!? え!? 何あの子!? クッソ足速いんですけど!?しかもめっちゃ走るフォームが綺麗だし!!

 何なのこの人!?

 私50メートル走8秒フラットだよ!?そんなに遅くもないよ!?10メートルは引き離してたのにもう半分くらいまで距離縮んでるんですけど!!

「きゃああああ来ないで下さいいいい!良いんですか!?叫びますよ!?絶叫しますよ!?ド変態って!誰かが聞いてたらあなたの社会的地位とかボロッカスになりますからね??それでも追いかけるって言うんですね!?」

「どうしてそうなるんだ!?怖いこと言わないで頼むからさぁ!ホントのホントに何にもしないから。ただ聞きたいことがあって――」

 困惑したような、ドン引きしたような、焦ったような顔でその子は私に追いすがってくる。

 私はといえば軽いパニック状態で、彼の言葉に耳を傾ける余裕はなく。

 後ろをチラ見しながら必死に足を動かすけれど、その差はどんどん縮まっていく。

「うっそお!?更に加速するとかどういう身体能力!?私追いかけるよりオリンピックにでも出なよ!?多分世界記録狙えるから!」

「何言ってるかわかんないけどお願いだから止まって欲しい!聞きたいことがあるんだって!」

「嫌です無理です宗教勧誘なら間に合ってますううう!!」

「お願いだからまずは話を聞いてくれ!ああそこ危ないから気を付けて!」

「お気遣いどうも!!」

 足元に転がった小石を飛んで避ける。その間にもどんどん距離は詰められていて、そろそろ手を伸ばせば届く距離になろうかというところだった。

 ひゅう、と。喉が喘息のように鳴る。

 日頃運動は特にしていない私だ。頑張って走り続けるのにも限度があって、そうこうしているうちに足に限界が来てしまう。

「ふっ、はあっ、も、もうちょっと、日頃から、運動、しとけばよかった……!」

「追いかけたのは俺だけど大丈夫かあんた?すぐに止まらずゆっくり歩いたほうがいいぞ」

「あ、はい。どうも。ちょっと……待っていただけると……幸いです」

「うん。待ってるからゆっくりしててくれ」

 とうとう立ち止まってしまう。

 両膝を着いて息を切らす私とは対照的に、その子は息一つ乱してなかった。

 申し訳なさそうにちょっと離れたところから声をかけてくる君には悪いんだけど、私がぜーはー言いながら醜態晒してるのは半分くらい君のせいだと思うんだ。うん。

 滲む汗を拭って、こちらの様子を窺う彼。

 困っているように下がった眉と、いかにも柔和そうな顔立ち。鳶色の瞳。

 悪い人ではなさそうだけれど、好青年というか、純朴そうな人だなー、なんて言ったら怒られるかもしれない。

 ともあれ彼の容姿で一番目を引くのは、その鮮やかな青色の髪だろう。

「すみません。いきなり不躾なんですがそれは地毛ですか」

「地毛だよ!?何、何なのいきなり!染めてないってば!よその人って大体そう言うんだよなー!」

 呼吸も少し落ち着いて顔を上げた私に少年はショックを受けた顔をした。

「そうなんですね。似合っていると思います」

 うんうんと頷く私に何故だか地団太を踏む少年。

「ああーっ!絶対信じてないだろその顔!本物だぞ!村の中にも何人かいるんだぞマジで!」

「えー?」

「えーじゃない。えーじゃ。……ほら、手。立てるか?」

 むすっと頬を膨らませたままゆっくりと近づいて、手を差し伸べてくる。

 私はどうしようか少し迷って、差し出された手を取ることにした。

 温かくて、少し固い手だった。

 見た目とは裏腹に力強く引き上げられて、少しだけよろめく。

 おっとっと。

「あ、ごめんっ」

 ふらついた私を慌てて抱き止めてくれる。見上げると私よりも少しだけ高い位置に、存外に精悍な顔があってドキッとする。

「いや、大丈夫です。ありがとう」

 やっば、近い。

 支えてくれたのはありがたいんだけど、思ってた以上に顔が近い。

 なんだかめちゃくちゃ恥ずかしくなってきた!

 顔が赤くなるのをごまかすように視線をそらして平静を装う。

 すう、と一呼吸。一歩離れる。

 大丈夫かな。ばれてないよね。

 失礼なのは分かっているけど、どうしても物珍しくて視線が頭の方に行ってしまう。

 視線を感じたのか、男の子はばつが悪そうに自分の髪をつまんで見せた。

「そんなに気になるかな。珍しくもなんともないと思うし、例え珍しかったとしてもあんたほどじゃないと思うんだ。あんた、あの村に来てた真っ黒の妹さんだろ?」

「は――はああああ!?」

 想定外の言葉に思わず声を荒げる。

 思ってもないところからぶん殴られた気分だよ!

 事故か何かかなそんな勘違いは!

「どこをどう見たら私があの人の妹に見えるんですか!?全ッ然似てないでしょう可愛げとか愛想のよさとかっ」

「いやそういう事じゃなくてだな。え、違うの。妹じゃないの?変な服着てるからお揃いなのかと思って……」

「はー!?変な服とかいいがかりにもほどがあるでしょうが!これは学校の制服といって私の趣味では断じてないんですけど?分かります?まあリボンだけは可愛いと思ってますけどー!」

「ご、ごめん……。で、でもさぁ、あんた黒髪じゃん。黒髪なんて西の果てにしかいない珍しい髪色だって聞くし、あの人も黒髪だったから……」

「ああ、そういう事かぁ……じゃあしょうがないか。怒鳴ってすみません」

 下がり気味の眉をもっと下げて弁解する男の子の言葉に、成程、と納得した。

 日本人に金髪がほとんどいないみたいに、この世界では黒髪が別の地域にしかいないのか。それじゃあ勘違いするのも仕方がない。

 食ってかかってちょっと申し訳なかったよ。

 頭を下げる私にほっとした様子で男の子は首を振った。

「いや、いいよ。変な勘違いした俺が悪かったから……。あれ、でもそれならなんであの人と一緒に居るんだ?」

 あ、これまずい流れでは?

 たらりと嫌な汗が滲む。

 変な勘違いが起きる前にどううにか誤魔化さなくては!

「い、色々事情があるんですよ!色々と!乙女の秘密を詮索するのはマナー違反です!」

「お、おう。分かった。……あの、さ」

 笑顔で押し切った私に気おされたのか、それとも引いただけなのかは分からないけど、彼は少しだけ言いよどみ、目を伏せた。

「いきなりこんなこと言いだすと変な奴って思われそうだし、実際に可笑しい奴だって言われても反論できないんだけど……」

「はあ……」

 うう、と呻くような声。なんだか落ち着かない様子で、どうしようかと悩んでいるらしい。

 今のうちに逃げようかな。なんて思いもするけれど、まあ乗りかかった船だと割り切って話を聞くしかないだろう。

 頭を抱えて身もだえる人を放っていくのもちょっとかわいそうだし。

 待ちの姿勢になって佇んでいると、ようやく決心がついたのか、彼は切り出した。

 重々しく、いっそ仰々しい程に問いかける。

「あのさ、あんたが俺の運命の人だって言ったら、信じる?」

「――はい?」

 本日二度目のフリーズ。

 頭の中は真っ白になって、おんなじ言葉がリフレインする。

 私が運命?

 それ、マジで言ってる?

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