第174話 大型燻製器 2
クジラは捨てるところがない、と聞いたことがある。肉は食用に、ヒゲや歯は将棋の駒や細工物として加工されていたらしい。
毛は網に、硬い筋は弓の材料だったか。
一番良く聞くのは鯨油だ。てっきり腹身などから搾るのかと思っていたが、皮から油を取ると聞いて驚いた。
骨は肥料に使えるし、昔は血を薬にもしていたらしい。糞を香料に、という一文を目にした際にはギョッとしたが、
(あれ、でも結石なんだよなぁ……)
痛そう、なんて思ってしまう。
どんな匂いなのかは全く想像も付かないが、品質によっては、それがとても高価な物だということくらいは知っている。
「さて、こっちの世界でも肉以外の素材は売れるのか」
従弟たちは手間賃代わりにと、素材は全てこちらに渡してくれるつもりのようだ。
魔石も要らない、とのことでありがたく頂戴する。代わりに何か良さそうな物を送っておこう。
ともあれ、今はクジラ肉だ。
解体した素材をひとつずつ確認していく。部位ごとに綺麗に切り分けられているので、使いやすい。
赤身の塊肉は何にでも使える。刺身はもちろん、ステーキにしてもいいし、揚げ物との相性も良い。
尾の近くの身は綺麗なサシが入っており、これは是非とも刺身で味わいたくなる。
「本皮……? 皮も食えるのか?」
少し分厚めの皮付きのブロック肉を鑑定してみると、煮付けや汁物にすると美味とあった。
うちの鑑定スキル、食に関してはほんと有能。ありがたく助言に従おう。
「尾羽。……尾羽? クジラに?」
つい、ニワトリなんかの尾羽を想像してしまったが、尻尾の二つに分かれているアレだな、うん。
「酢みそで食うと美味いのか……」
あと、お吸い物。なんとなく上品そうな味な気がする。
さえずり、と呼ばれる舌の肉も大きな塊で手に入った。牛や豚、鹿系のタンは食ったことがあるが、クジラのタンは初めてだ。
まぁ、同じ哺乳類なので期待できそうだと思う。刺身以外にもおでんや煮物にしても美味とのこと。
「軟骨、かぶら? 食ったことないな。唐揚げにするのかな」
知らない部位は確認後、すみやかに【アイテムボックス】に戻していく。
そして、ついに待望の部位を発見!
「うねす! おおっ、脂がノリノリだな。すげぇ」
クジラのアゴの下? 腹に近い柔らかな部位の肉で、ここをベーコンに加工するのだ。
「刺身でも食えるのか。でも、脂すごいから、ちょっと勇気がいりそう……」
ただでさえデカいクジラの、さらに魔獣化したケートス。おかげさまで、希少な高級部位がたっぷりと手に入った。
それぞれの部位の肉を分かりやすいように【アイテムボックス】に仕分けて収納する。
ちなみに肉以外の素材もたくさん取れた。
魔石は今までで一番大きい。夜空を閉じ込めたような綺麗な紺碧色をしている。
骨やヒゲ、筋や歯なども一応捨てずに持っておくことにした。
ギルドに持ち込むと売れるかもしれない。
内臓も一応、確保しておく。食用と薬用、廃棄用が混在しているようなので、後でじっくり鑑定するつもりだ。
なんと、龍涎香もしっかりと確保できた。
匂いは──良く分からない。海の香りはするが、甘い香りとやらはハイエルフの鼻を持ってしても不明だった。熟成だか、発酵だかすると変質するのかもしれない。
「一応、これも置いておこう。ギルドで買い取ってもらえるかもしれないし」
こちらの世界で売れなくとも、従弟たちに渡しておけば、日本に戻った際にひと財産が築けるかもしれないので、大事にしまっておくつもりだ。
スマホで時間を確認すると、あと一時間ほどで昼時だ。
休みなしで大森林を突っ切るのは精神的にも疲弊するため、本日は休日にしてある。
眠い目をこすりながら朝食を平らげた後、シェラはふたたび自室に戻った。
きっと二度寝を堪能しているのだろう。
コテツもリビングに置いたキャットタワーのハンモックでのんびり揺られている。
いつもは何処かに飛んでいくチビドラゴン、もといレイも今日は同じく休暇を楽しんでいるようだ。
先程も、今ハマっているミステリー小説の新作が読みたいとねだられてしまった。
面倒だったので、英国の女流推理作家の文庫全集を大人買いして与えておいた。
これだけあれば、一ヶ月は大人しく読書に耽ってくれるはず。
「一時間で調理か。もう今日はクジラの口だから、クジラ料理でいこう」
サーモンやカツオ、まぐろは何度か食べたことがあるので、やはりここはクジラ料理がいいと思う。というか、自分が食べたい。
時間を掛けずにさっと食べるには、刺身がいちばん。
「この尾の近くのサシ入り赤身肉を刺身にするか。牛刺しみたいだ。うまそう……」
切れ端をつまんで味見。
何も付けずに舌の上に乗せたのだが、体温で既にとろけそうだ。脂があまい。
「うっま」
肉の味も濃厚だ。これ、魚じゃない。うん、肉刺しです。めちゃくちゃ美味いぞ。
「握り寿司にして食いたくなるな、これ」
ワサビ醤油でもいいが、薬味たっぷりで味わいたい。ネギに生姜、ニンニク、大葉、胡麻など用意して、刺身は大皿いっぱいに盛り付けて、魔道冷蔵庫で冷やしておく。
「……で、あとは何にするかな。竜田揚げにしたいところだけど、時間がない。ハリハリ鍋にしよう」
たっぷりの水菜とクジラの肉を使ったシンプルな鍋だ。
両腕で抱えるほど大きな赤身の塊肉を【アイテムボックス】から取り出し、五ミリほどの厚さで一口サイズに切り分けていく。
生で食べれそうなくらいに綺麗な赤身だ。
これに薄く片栗粉を叩き込んで、ぐらぐら煮立たせた鍋で湯にくぐらせる。湯掻いた赤身肉を冷水にさらし、水を切っておく。
こうすれば臭みが取れると、何となく聞いた覚えがある。肉がしっとり柔らかく仕上がるので、面倒だがそのひと手間の価値はあると思う。
本当は昆布や鰹などでちゃんと出汁を引いた方がいいのだろうが、ここは時短で。
出汁の素を盛大に活用して、鍋スープを作っていく。臭み取りに生姜やネギも入れ、キノコに豆腐も追加。メインのクジラ肉もそっと投入。
肉は煮込みすぎると硬くなるため、すぐにメインの水菜も入れて、くつりと煮込む。
「水菜もシャキシャキの食感を楽しむものだし、このくらいで良いか」
土鍋は魔道コンロを活用し、四つ煮込んである。一人用ではない。大人数でつつける大きさの土鍋を四つだ。これだけあれば、大食漢の皆もきっと満足してくれるはず。
刺身と鍋に白飯を添えて、足りない分は鍋に冷凍うどんをぶっ込んでもらおう。
すうっと息を吸い、声に魔力をのせて皆を呼ぶ。風魔法を使うため、大声でなくとも伝わるのがありがたい。
「昼飯だ。今日はクジラの刺身とハリハリ鍋。クジラの刺身は早い者勝ちだ!」
次の瞬間、すました表情のレイがテーブルに座っていた。
二番手はコテツ。ぴょん、とキャットタワーから飛び降りて急いで駆けてきたのに、二階の自室にいたレイが一番乗りなのが解せないといった表情をしている。
「急いで来たのに、出遅れました……ッ!」
肩で息をしながら、駆け降りてきたシェラは寝癖もそのままだった。
予想通り、二度寝を満喫していたのだろう。
「皆、早かったから、ちゃんと刺身は無事だぞ」
魔道冷蔵庫から取り出した大皿をテーブル中央に置く。
土鍋はそれぞれの席にひとつ。
おかわりも用意してあるので、ハリハリ鍋を心ゆくまで楽しんでほしい。
「好き嫌いはあるかもしれないけど、くじら肉料理だ」
「お肉がとっても綺麗です……!」
「うむ。さっそく、いただこう」
クジラの刺身は、マグロの大トロとはまったく違う食感で、だが甲乙つけがたいほどに美味しかった。
脂がくどくないので、いくらでも食える。
牛刺しと馬刺しを足して2で割ったような味。つまり、もう絶品!
たっぷりの薬味と共に味わった。
「ハリハリ鍋も美味い。健康的な鍋って感じ」
残念ながら、鶏肉や豚肉のような旨味はないが、あっさり食える。下拵えのおかげか、臭みなく柔らかい肉をうっとりと噛み締めた。
◆◇◆
昼食は気持ちヘルシーなメニューだったので、夕食は揚げ物にした。
そう、クジラ肉の竜田揚げだ。
ついでに昼食後から頑張って作った、クジラ肉ベーコンもメニューに加えた。
塊肉にフォークで穴を開けて、調味液を染み込ませて下茹で。火が通り過ぎると、せっかくのベーコンが台無しになるので、低温で一時間ほど茹でた。
皮を剥いて、熱湯で表面を殺菌し、ここでようやく大型燻製器の出番です。
じっくりと燻製して、食べる寸前に取り出した。
もっと時間を掛けて仕込んだ方が旨いのは分かっていたけど。
もう下茹での段階で食べたくて仕方なかったから、味見の名目で夕食のメニューに追加する。
硬めのベーコンは薄くスライス。柔らかい部位は少し厚めに切り分けた。
まずは生で一口。生のベーコンは北海道旅行の際に牧場で食べたことはあったが、豚とは全く違う独特の味わいだ。
ワサビ醤油やポン酢、辛子味噌和えにしても美味しい。フライパンで炙って食べるのも最高だ。
「これはビールが止まらなくなるやつ」
「うむ。これだけで一晩飲めるな」
こっそり味見していたのだが、いつの間にか食いしん坊ドラゴンに背後を取られてしまっていた。
ひょいひょい口に放り込むな。俺が食う分が無くなる!
結局、そこにシェラが「ずるいです!」と参戦。うるうるな上目遣いの愛猫のおねだりに陥落して、そのまま夕食の宴へとなだれ込んでしまった。
結論。クジラの魔獣肉、めっちゃ旨い!
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ギフトありがとうございました!
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