第143話 可愛いは正義なので


 五十四階層のレイクサーペントの肉をたくさん確保したい。真剣な表情で訴えてくるのは、黄金竜のレイだけではなかった。

 銀髪を乱れさせながら、潤んだ瞳で上目遣いをするのは、シェラ。

 この子、ちゃんと自分の外見の良さを理解して、ここぞという時に利用しようとする。

 だが、あざとい女子になりきるには少し弱い。

 だって、動機が肉。


「私からもお願いします! あの、とっっても美味しいお肉は、どれだけ確保しても足りることはないと思うんですっ」

「そりゃあ、昨日の勢いで食い尽くしたら、すぐに無くなるよなぁ……」

「う……」


 少しばかり嫌味っぽい口調になってしまうのも、仕方あるまい。

 何せ、あの30キロはあった肉の塊を彼らはぺろりと平らげてしまったからだ。


「すまない。だが、あの肉を我慢するのは無理だ。実に美味であった……」

「まぁ、美味かったよな。俺が今まで食った中でも最高品質のトロだった」


 大トロの肉寿司は口にした途端、その熱で身が溶けた。噛み締めて味わう暇もなかったくらいだ。口の中には、上質の脂の旨みだけが残されていた。

 食べても食べても──むしろ、食べた分だけ、より飢餓感を覚えるような──そんな、ご馳走だった。

 用意しておいた、大量の肉寿司はあっという間に食い尽くされて、慌ててトロ部分を切り出して追加した。

 おかわり分は、酢飯を用意するのも面倒だったので、食べやすいように薄く切って、ワサビ醤油で食べることに。

 大トロの脂身は凄まじく、一度浸しただけで醤油が脂まみれになっていた。

 下手な肉より、断然美味い。

 肉の脂身よりも食べやすく、胃腸に負担なく、もたれにくい赤身は市場に出たら、あっという間に話題を掻っ攫うことだろう。


(まぁ、もったいないから、売ったりはしないけどな)


 マグロが好物なコテツも凄い勢いでレイクサーペントの肉を平らげていた。

 いつもは可愛らしく、小さな奥歯であぐあぐと噛み締めながら、のんびりと味わっているコテツが、今や野生を露わにして、物凄い形相で齧りついていた。


(うちの子、ちゃんと猫科の猛獣だったんだな……)


 ちょっと遠い目になるほど、それはワイルドな食事風景だった。

 そうして、二人と一匹に請われるまま、もちろん己の欲求を満たすために、ついつい追加の肉をテーブルに並べていき──気が付いたら、レイクサーペント肉の在庫は綺麗さっぱり消えていたのである。

 おかわり、と笑顔で皿を差し出してくる美貌の竜に向かい、俺は冷たく言い放った。

 もう、無いよと。

 自分たちで食べ尽くしてしまったのだと気付き、絶望に染まる紫水晶アメジストの瞳。

 シェラやコテツもショックを受けたようで、肩を落として震えていた。


(いや、そんなに?)


 ちょっと引いてしまうほど、落ち込んでいた皆を放置して、宴の後片付けを一人で頑張った。

 お通夜状態の二人と一匹を残して、俺は早々に寝室に引っ込んだ。

 そして、こっそりと隠し持っていたレイクサーペント肉の刺身を【アイテムボックス】経由で従弟たちに送ってやった。

 ワサビと刺身醤油を添えて。


 疲れていたので熱いシャワーを浴びてすぐに眠りについたのだが、翌朝、スマホには従弟たちからの通知が大量に入っていた。


『何なんだ、あの肉! めちゃくちゃ美味かった……』

『大トロか? サーペントは実はマグロだった? とりあえず見かけたら狩っておく』

『秒で消えたよ。すごく美味しかった。ありがとう!』


 おおむね、味の感想と感謝の言葉がつらつらと並んでいた。

 ハルの奴はひたすら親指を突き上げるサムズアップスタイルのスタンプが連打されていて、ちょっと鬱陶しい。


(気に入ってくれるとは思っていたけど、想像以上の反応だな)


 ダンジョンでは肉ばかりドロップするので、マグロに似た食材は両手を上げて歓迎されたようだった。

 これだけ喜ばれると、また送ってやりたくなるが、あいにく肉は完食している。

 あの年代物の特殊個体なレイクサーペントがまた湖畔フィールドに出没するとも限らないので、手に入るのかも不明。

 リクエストはされていたが、ここは期待させないように断っておこう。

 そんな風に考えていたのに。



 なぜか、今。リビングの床に直接座り込んだ、二人と一匹に懇願されている。

 

「なんで正座?」

「む。ニホンジンが本気を見せる際にはこうするのが礼儀なのだろう?」

「足がシビシビしてきました……ッ」

「ふみゃあああ……」


 涙目のシェラと、正座ができずに頭を抱えて泣くコテツを正視できそうにない。

 はぁ、とため息を吐く。


「……そんなに、あの肉が欲しいわけ?」

「うむ。欲しい。毎日でも飽きずに食えそうだ」

「私も欲しいです…ッ! 今まで食べた中でも、あんな食感のお肉は初めてです。海の街で食べさせてもらったマグロとは全然違いましたよ?」

「あー……あのマグロも美味かったけど、赤身オンリーだったんだよな。脂がのっていなかったから……」


 もしかして、天然のマグロっぽい魚にはシーズンがあるのかもしれない。

 もっともマグロもどきの魚の身はそれはそれで美味しいので、油で煮込んで手作りツナにしてある。

 サンドイッチやおにぎりの具材に大役立ちだ。ツナマヨ美味しい。


「コテツは猫なんだから、正座は無理だよ。筋を傷めると危ないから、こっちにおいで」

「にゃ……」


 ぽてぽてと歩いてきた子猫を抱き上げてやる。

 潤んだ翡翠色の瞳に上目遣いをされてしまうと、何でも言うことを聞いてやりたくなってしまう。

 卑怯だ。かわいい。


「……そんなに大トロが食べたいのか?」

「ウミャイ」

「美味いもんな。食いたいよなー……」


 可愛い愛猫からの訴えだ。聞かないわけにはいかないか。

 ぽつりと呟いた独り言を聞き取ったのか。

 レイがくわっと目を光らせた。


「可愛い相棒竜からの訴えも聞いてくれ」

「可愛い小鳥さんもお願いしていますよ?」


 シマエナガはともかく、金ピカドラゴンには可愛さはちょっと……


「む? 可愛いだろう、ほら!」


 なぜだか、対抗心を発揮したレイが何やら呟くと、その場に光が溢れた。


「うわっ、なんだ? まぶしい……!」

「ひゃあっ」


 慌てて目を瞑り、コテツを胸の中に抱き締めて光から遠ざけた。

 猫の目に激しい光は禁物だ。幸い、黄金色の光の洪水はすぐに収まってくれたが。


『どうだ? 可愛かろう!』

「……は?」


 目を開けた先には、長身の美丈夫の姿はなく、代わりに小型犬サイズのドラゴンがちょこんと床に座り込んでいた。



◆◇◆



「結局、押し切られてしまった……」


 ため息を吐きつつ、ゆっくりと周辺を見渡した。

 ここは昨日も訪れた、五十四階層。

 湖畔フィールドである。


 可愛い愛猫と可愛い小鳥、そして可愛いらしいサイズのドラゴンにねだられて、つい頷いてしまったのが運の尽き。

 可愛い生き物は正義なので仕方ない。


 レイクサーペントを倒そうと張り切る二匹と一羽を仕方なく、ゴムボートに乗せてやる。

 何度も、湖にリポップするとは限らないことを説明したのだが、肉の誘惑の前には馬耳東風。

 可愛いを免罪符にしたせいか、シェラはシマエナガ姿に、レイはチビドラゴン姿のままレイクサーペント討伐に挑戦するらしい。

 俺? 俺はゴムボートの操縦係です。


 チビドラゴンはそのままの姿でいると、他の冒険者たちに狙われそうだったので、【隠密】スキルを使って、姿を隠している。

 微細な魔力でも感じ取れるハイエルフなおかげで、どうにかレイの気配は追えていた。


『……うむ。いるな。昨日の奴よりも小さくて弱いが』


 ボートの縁に止まり、湖を覗き込んでいたチビドラゴンが嬉しそうに呟いている。


「まぁ、昨日のは年代物のレア個体だったみたいだし……」


 ちゃんとリポップしていたのは、嬉しい驚きだ。

 とりあえず、生き餌になるため、水魔法でボートをゆらゆら動かしてみると──


『来るぞ』

「ピィッ!」

「ニャッ」


 小さくて可愛いトリオが、せーので攻撃を仕掛けた。


「ちょっ……これ、ゴムボートォ!」


 シマエナガは風魔法、コテツは昨日と同じ植物魔法を放った。

 そして、最強のドラゴン(小)はブリザードをレイクサーペントにぶつけた。


 火魔法や雷魔法でないだけ、配慮はされていたのかもしれないが。

 ボートを魔法の余波から守るため、しこたま魔力を込めた水魔法で水の盾ウォーターシールドを発動していた。



◆◆◆


大トロ美味しい!😋


◆◆◆

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