第105話 小さな翼
地面に叩きつけられそうになったシェラが、一瞬だけふわりと浮き上がった。
「シェラ……!」
風の精霊が少しの時間を稼いでくれたおかげで、どうにか間に合った。
落ちてきた少女をキャッチして、その勢いのまま木立に突っ込んでしまう。
木や枝が折れる音が思いの外大きくて、腕の中のシェラが手足をばたつかせた。
混乱しているのか、水の中でもがくように
「落ち着け、シェラ。もう大丈夫だ」
暴れて怪我をしないように、ローブごしに抱き締める。
肌には触れないよう気を付けたのは年頃の従妹がいる身としては当然の処世術だ。
とは言え、こんな姿を当の従妹に見られたら、きっと冷ややかに一瞥されて「サイテー」とか言われそうで怖い。
囁くような声音で「大丈夫」を繰り返すと、腕の中の少女はようやく落ち着いてくれた。
シェラを抱えたまま、そっと身を起こしていく。
ふと、周囲に白い羽毛が雪のように舞っていることに気付いた。綺麗だな、とぼんやり思う。
(鳥の巣に突っ込んだのかな……?)
ならば、申し訳ないことをしたと思う。
鳥の雛が怪我をしていたら癒してやろうと考えて──動きを止めた。
(いや、木立に突っ込む前に羽根を見た覚えがあるぞ? むしろ、白い羽毛は降ってきたシェラを中心に……)
もぞり、と腕の中の少女が身動いた。
慌てて手を離そうとして、違和感に気付く。
動いたのは、シェラの背中側。ローブごしにも分かる、奇妙な膨らみだ。
一瞬、コテツかなと思ったが、当のコテツは俺の肩によじ登り、心配そうに妹分の少女の顔を覗き込もうとしている。ならば、それは。
「シェラ? 背中の、
「……はっ! すみません、ごめんなさいっ!」
我に返ったシェラが慌てて俺の胸を押して離れようとして、茂みに足を取られてコロンと転がった。
勢いよく半回転したため、ローブがめくれ上がる。幸い、冒険者衣装はスカートではないので、はしたない格好ではあるが、中身は見えていない。ギリギリセーフ!
しかし、恐らくは彼女が隠したかったのであろう、
ローブに隠されていた彼女の背中には、広げたてのひらサイズの可愛らしい翼が生えていたのである。
「……はね?」
「!!」
ふわふわの白い羽毛に包まれた、小さな翼はシェラの肩甲骨の辺りから生えているようだった。
(シェラは翼のある獣人だったのか)
なるほど、と納得したのだが、シェラはあわあわと焦っている。涙目で見上げてきて、声を震わせながら尋ねてきた。
「み、見ました……?」
「下着のことなら見えなかったから安心しろ。背中のそれについてなら、見たけど」
「ああ……」
悄然と肩を落とす少女を、とりあえず立たせてやる。土や草の汁などで汚れた全身は【
【アイテムボックス】から取り出した折り畳みのイスに座らせてやり、蜂蜜入りのホットミルクを飲ませてやる。
マグカップを握りしめたシェラは遠慮がちに中身を飲んで、ぱっと顔を輝かせた。
「おいしい……! ミルクがこんなに甘いなんて」
「コテツのお気に入りのホットミルクだよ。蜂蜜入りだから甘いんだ」
「なーん?」
「はいはい、お前の分もちゃんとあるから」
コテツにもホットミルクを提供し、自分用のお茶を飲む。本当は缶コーヒーが飲みたかったが、ここは我慢だ。
温かくて甘い飲み物のおかげでシェラは再び落ち着きを取り戻したようだった。
「なぁ、シェラ。背中の
「いえ、まずくは……なくもないですけど、トーマさんは悪くないです。私がウッカリ木から落ちたのが原因ですし、せっかく翼を出したのに、結局意味がなかったのが悲しいです……」
「や、意味はなくもなかったと思うぞ? ほら、コテツの精霊魔法が届く前にその翼でちょっとだけ浮遊したっぽいし?」
「いいんです、気を使わなくても。この翼は小さくて弱くて、まったく役に立たないんですから」
ふぅ、とため息を吐いて、シェラは背中の翼を引っ込めた。しゅる、と姿を消した翼の下から肩甲骨が見える。
背を隠すように、めくれたローブを直し、まとめていた髪のリボンを外すシェラ。さらりと涼やかな音を立てて、銀の髪が背中を覆う。
せっかくの翼を隠すなんてもったいない、とぼんやりと思った。
「シェラは何の種族なんだ?」
「私は有翼人です。獣人の間では、鳥の人と呼ばれている種族なんですよ」
「へぇ。初めて見た。珍しい種族なのか?」
「ふふっ。私からしたら、エルフの人の方がよほど珍しいですけど。……はい、数は少ないです。それに他の獣人と比べても、とても弱い種なので、森に隠れ住んでいます」
冒険者になれる有翼人はほんの一握りだけ。
鳥の人の中でもその強さと勇敢さで頂点に立つ、鷹や鷲の血を引く猛禽類の有翼人だけなのだとシェラは言う。
「私の生まれた集落は小さくて弱い鳥の人ばかりで、皆ひっそりと隠れ住んでいました。木の上に暮らし、獣からは飛んで逃げたので、どうにか生き延びていたんです」
「そう言えば、ベジタリアン……いや、肉食じゃない集落なんだっけか」
「はい。木の実や果実、野草を食べて生き延びている種族です。たまに虫や小動物を少し食べることはあるんですけど、私は全然足りませんでした」
きっ、と顔をあげて切々と訴えてくるシェラ。うん、分かる。痩せ細っていた手足から、彼女の食事事情は窺い知れた。
「お腹いっぱいお肉を食べたかったけど、言えなかったんです。私、出来損ないだったから。見たでしょう? 私の翼、あんなに小さくて自力じゃ飛べないんです」
集落の皆は背に立派な翼を生やしていた。
風魔法と翼を操り、有翼人は空高く優雅に飛ぶ。
小さな子供でさえ軽々と木を越えていけるのに、シェラは数センチの高さまで浮くことが精一杯で。
「有翼人にとって、飛ぶことは息をするのと同じこと。それが出来ない私は出来損ないなんです……」
軽々しく、そんなことはない、とはとても言えなかった。
魔獣や魔物が蔓延る、この世界では強くなくては生き残るのが難しい。
「お父さんもお母さんも、姉さんも。皆、立派な翼でした。長老が言うには、私には祖先の血が濃く出てしまったんじゃないか、と」
色々な種類の『鳥』の血が混じり、薄めて、そんな貧相な翼の持ち主として生まれたのだろう。
飛べない鳥、小さな羽根の鳥、肉を食べる鳥。色々な血がシェラを形作っているのではないか、と長老が言った。
「家族は優しかったんです。出来損ないの私のために、木の実をたくさん取ってきてくれて。でも、私はいつもお腹を空かせていました」
集落の草食の鳥の人たちにとって、猛禽類の鳥の人たちは恐ろしい存在。
お肉が食べたいと泣くシェラは段々と集落で孤立していったのだと言う。
「だから、逃げたのか」
「はい。集落じゃ、マトモな武器もないから、獲物を狩ることも出来なかったから。このままじゃ、餓死すると思って出奔しました」
まだ十代半ばの少女が思い切ったものだ。
でも、それで良かったのだと思う。
最初に拾った時はボロボロだったけれど、今ではすっかりシェラは健康体だ。
儚げな病弱美少女よりも、健啖家で元気に笑う少女の方がよほど魅力的だと思う。
「なら、翼を隠すのは何でだ? 珍しい種族だと、誰かに狙われるとか」
「集落の誰かに見られたら、連れ戻される可能性があるからです……」
「は? 何だ、それ! シェラはもう成人だろ。集落を出たとしても本人の意思が優先されるだろうが」
つい、言葉が荒くなってしまった。
シェラは困ったように、でもほんの少し嬉しそうに笑う。
「それは、私が集落の人たちに取って、特別な存在だったからで……」
「特別な存在?」
腹いっぱい満足に食わせてやらなかったくせに?
不満そうに眉を寄せると、シェラは周囲を見渡して、こくりと喉を鳴らした。
緊張している?
「私のスキルが特別だったんです。有翼人にとって特別、という意味なんですけど」
内緒ですよ?
そっと顔を寄せてきたシェラが耳元でそう囁く。吐息が耳朶に触れて、くすぐったい。
「……え?」
目の前で、シェラの輪郭が歪む。
淡い白光に包まれたシェラが、次の瞬間、空気に溶けるように姿を消した。
ぱさり、と地面に落ちたのは、シェラが身に纏っていた衣服だけ。
「シェラ⁉︎」
慌てて衣服に手を伸ばしたところで、もぞりとそれが動いた。
もぞもぞと身動いて、ようやく布の隙間を見つけたらしき、
「は……?」
初雪のように真っ白で、まるで綿毛のようなふわふわとした毛並みに包まれた、愛らしい小鳥がそこにいた。
チュチュ、ピチチと可愛らしい声音で鳴くと、その小鳥は俺の手に飛び乗ってきた。
見覚えのあるフォルムだ。一時期、いや今でも大人気な鳥。よく知っている。
従妹のナツにねだられてクレーンゲームでぬいぐるみをゲットしたこともあったので、よく覚えていた。雪の妖精、雪の天使、まんまぬいぐるみ。
そう、そのとにかく可愛い鳥は。
「シマエナガ……? いや、シェラか……?」
「チュイッ」
元気よく、こくりと頷いて見せた、小さくて愛らしいシマエナガに悶絶したのは言うまでもない。
◆◆◆
またまた宣伝ですみません。
『異世界転生令嬢、出奔する』の2巻が発売されました。
レンタルも開始しておりますので、よろしくお願い致します…!
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