第106話 シェラフィール


 その集落は十の家族が集まった、小さな群れだった。鳥の人──希少な有翼人の集まりで、羽の色は様々。

 中でもシェラフィールの家族は鮮やかな青や赤の立派な翼を持つ一族で、その羽の色を大層自慢に思っていた。

 だから、末の娘が真っ白に生まれ落ちた時には驚いたし、落胆したらしい。

 白い固体は弱くて、すぐに死ぬ。

 集落ではそう言い伝えられていたからだ。

 実際、シェラフィールは未熟な固体だった。

 有翼人にとって何より大切な翼は大きく育つことなく、満足に飛ぶことが出来なかったのだ。


 有翼人は皆、風魔法が得意だ。

 背を飾る大きな翼だけで人の身体で飛ぶことは不可能。風魔法を駆使して、空を飛んでいる。

 シェラフィールも風魔法の資質はあったが、いかんせん魔力が少なく、身ひとつを浮かせることも難しかった。

 集落から逃げ出した後で知ったのだが、少女は栄養が足りず、発育不良の状態で。

 そんな肉体では魔力を充分に練ることが出来なかったのだ。



 森の外へ逃げ出して、初めてお腹いっぱいの肉料理を食べた時の感動を忘れることはないだろう。

 満たされるとは、このことかと実感した。

 固くて不味いと評判の安価なウルフ肉だったが、シェラフィールにとっては信じられないくらいに美味しい食事だった。

 涙を流しながら、貪るようにウルフ肉を咀嚼する少女に同情した屋台の主が、たまに売れ残りを譲ってくれたおかげで、どうにか彼女は生き延びることが出来たのだ。

 あの時の屋台の主には感謝しかない。


 

 お腹がいっぱいになると、風魔法を上手に操れるようになった。

 とは言え、未成熟な肉体はすぐに疲労を覚えるため、これまではほんの少ししか使えずにいた。

 空を飛ぶなんて、とんでもない。

 ただ、高所から飛び降りる際には重宝した。

 ローブに隠した翼をはばたかせ、ちょっとだけ身を浮かせる。それだけでも充分だ。

 ソロの冒険者となったシェラフィールは木の上から弓を使って獣や魔獣を狩るため、威力は弱いが、風魔法はとても役に立った。

 だから、ちょっとだけ慢心してしまったのかもしれない。


 森の奥での採取と狩猟で、手っ取り早く稼ごうと思った。

 冒険者ギルドの宿泊場所は安価で過ごしやすかったが、四人部屋。いつか、背中の翼を見られてしまわないかと、不安でしかたなかった。

 たくさん稼いで、ちゃんとした宿に泊まりたい。小さな家を借りるのでも良い。

 普段は隠せているけれど、気が抜けたり油断すると、翼は姿を現してしまうので。


 有翼人であること自体はバレても構わない。珍しくはあるが、全く存在しないわけでもないのだ。

 ただ、集落の者に知られると、呼び戻されてしまう。小さな翼の役立たずなシェラフィールだが、とても希少なスキル持ちだったからだ。

 スキルは【獣化】。

 獣人たちにしか顕れない、とても珍しい能力なのだと長老は言っていた。

 獣人たちの種族の真祖、聖獣と崇められていた存在の姿へ一時的に変化できるスキルだ。

 シェラフィールは真白い小鳥に変化することが出来た。愛らしいが、何とも弱々しい姿に長老や家族はガッカリしたようだが、それでも希少なスキル持ちの少女は集落に有益だと考えたようだった。


 小鳥が好む、木の実や果実を彼らはせっせとシェラフィールに捧げてきた。

 甘酸っぱい木の実は嫌いではなかったが、少女の腹はちっとも満たされなかった。

 満足に飛ぶこともできない、足手纏いのくせに希少なスキルのおかげで良い思いをしている。

 そんな風に思う集落の者もいて、シェラフィールはますます身の置き所がなくなった。


 だから、その日。

 まだ夜も明けない内から、シェラフィールは家を抜け出し、集落から逃げ出したのだ。

 

 着替えや日用品、木の実に水袋。

 目立たないように少しずつ家から運び出し、木の樹洞うろに隠して。

 そうして、こっそりと出奔したのだ。

 目指すは大森林の外。人や獣人が暮らす街を目指した。


 何度か、集落の者に見つかりそうになったが、【獣化】スキルで小鳥に変化してやり過ごした。

 魔獣に追われた時も小鳥の姿で逃げ切った。

 弱々しいが、人の姿の時よりもその翼で飛べる分、小鳥の時の方が逃げ足が早い。


 どうにか街に到着し、新人の冒険者としてギリギリで生活していたシェラフィールがてっとり早く稼ごうとして失敗し、行き倒れかけていたところを助けてくれたのが、トーマだった。



 少年は行商人だと名乗った。

 僅かに見えた耳先が尖っており、エルフの系譜と知れた。だが、長老から聞いた話ではエルフは金か銀の髪色をしているはず。

 トーマは光に透けると紺色に見える、ブルーブラックの髪と綺麗な青い瞳の持ち主だった。


(人の血が入っているのかしら……? なら、ハーフエルフね)


 エルフの血は間違いなく彼の身に流れているはず。何せ、初めて顔を間近で目にした時は、綺麗な女の子だと思ったほどに、整った容貌をしていたので。


 トーマは傷付いていたシェラフィールに治癒魔法をかけてくれ、飲み水を分けてくれた。

 お腹を鳴らした彼女のために食事も与えてくれた。とても美味しいスープだった。

 街で売られているスープにはほんの少しの干し肉と野菜の切れ端しか入っていないものがほとんどなのに、彼が提供してくれたスープは具沢山で、なんとお肉がたくさん入っていた!

 味も濃くて、夢中でおかわりを繰り返し、久しぶりに満腹感を味わった。


 文字通り、身ひとつになったシェラフィールに彼はお金を貸してくれ、さらに行商の手伝いとして臨時で雇ってくれた。

 ふくりこうせい、という良く分からない理由を付けて、着替えや日用品を与えてくれ、しかも三食おやつ付きという高待遇!

 冒険者ギルド周辺でよく感じるような、嫌な眼差しを向けてくるわけでなく、ただ親切に接してくれて、とても嬉しかった。


 従業員の制服と言って渡された服も素敵で、シェラフィールは胸を高鳴らせたものである。リボンなんて贅沢品も初めて手にした。

 下心なく、似合うと褒めてもらえることの嬉しさを、初めて知った。

 市場での物売りは大変だったが、短時間で完売するし、合間に食べる朝食のサンドイッチが楽しみすぎて、苦にはならなかった。

 数時間の仕事であんなお給料を気軽に渡してくるトーマはきっと、良いところのお坊ちゃんなんだと思う。

 頭が良く、計算も早いのに、街のことをあまり知らなかったりと、不思議な人だ。


 連れている猫も変わっている。

 生後一年未満くらいの、キジトラ模様の可愛らしい猫だが、とても強い。

 従魔なのだと言っていたから、ただの猫ではないのだろうけれど、まさか自分よりも魔法が得意だとは思わなかった。

 あんな小さくて可愛らしい猫なのに、どうやらシェラフィールのことを妹分だと思っているようで、面倒を見てくれている。

 きっと主人であるトーマを真似ているのだろう。


(トーマさんなんて、外見だけなら私より年下に見えるのに、私のことを小さな女の子扱いするんだから!)


 それが、不思議と嫌な気分はしなかった。

 優しくされた分、彼にも、他の人にも誠実になろうと思えたほどで。

 ずっと萎縮するか、警戒して生きてきた少女にとって、彼らと過ごす時間が心地良すぎて、浮かれてしまっていたのだろう。


 美味しいホーンラビットの唐揚げをお腹いっぱいに詰め込んで、うきうきしながら散策した森の中。

 そこに美味しい実のなる果樹を見つけたのだ。たっぷりと蜜を宿し、赤く熟した果実。

 下の方の実は食われたり、地面に落ちて腐っているが、枝の先にある実はちょうど食べ頃に完熟していた。


(美味しいご飯のお礼にトーマさんにとってきてあげよう!)


 こっそりと横目で確認すると、ちょうど愛猫と会話しているようで、木の実には気付いていない。

 驚かせちゃおう、なんて軽い気持ちでシェラフィールは木に登った。

 鳥の人らしく、スレンダーで体重も軽い少女はするすると木を伝い、枝に乗った。

 少し細めの枝だったが、すぐに降りれば大丈夫だと考えて。

 だが、狙う果実は枝の先。

 身を乗り出して、どうにか指先が届いたと同時に枝がミシリと嫌な音を立てた。


「ひゃ……ッ!」


 乗っていた枝が折れ、バランスを崩したシェラフィールは慌てて翼を発現し、風魔法を使うが、間に合いそうにない。

 地面に叩きつけられる衝撃に備えて、身を縮めたところ、落下速度が僅かに落ちた。

 そして、固い地面ではなく、柔らかな腕の中に抱き止められたのだった。




◆◆◆



シェラ視点のお話でした。

更新遅れました。すみません…!



◆◆◆

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