第89話 兄妹とエルフ


「きゃあああっ!」

「メイ、しっ! 静かに! アイツらを刺激するから、なるべく叫ぶな」


 恐慌状態の妹を抱き締めて、オーガストは咄嗟に登った木の幹に爪を立てた。

 すぐ足元にはブラックウルフが六匹。涎を垂らしながら、こちらを睨み付けている。

 木登りは種族的に得意だったので、どうにか初撃からは逃れることが出来たが。咄嗟のことだったので、小さな木に登ってしまった。

 幸いブラックウルフからは届かない高さまで登ることは出来たが、枝が細いため、これ以上は登れそうにない。

 木の下でうろうろと歩き回っているブラックウルフたちが諦めて何処かに行ってくれれば良いのだが。


「ヴォフッ!」

「わっ! こいつ……!」


 群れの中で一際大きな個体のブラックウルフがオーガストたちが登った木の幹に体当たりしてきた。

 ぐらりと揺れて、慌てて木にしがみつく。


「嘘だろ……」


 ミシミシと嫌な音がする。

 このまま攻撃が続けば、自分たちが地面に落ちるか、木が倒されるか。

 どちらにしても、命は助からないだろう。

 オーガストは腰にぶら下げていた短刀を握り締め、心を決めた。

 群れのボスらしき、あの大きなウルフに襲い掛かってやろう。仕留めることが出来なくても、自分が気を引いている間に妹のメイは逃げることが出来るかもしれない。

 三つ年下の小さな妹の頭をくしゃりと撫でると、オーガストは合図をしたら集落を目指して走れと告げた。


「お、おにーちゃん、は……?」

「俺も後から追い掛ける。だから、お前は前だけ見て走れ。いいな?」

「っ…く……うん、分かった……。急いで戻って、誰か大人の人を呼んでくる……」

「よし、良い子だ」


 ドン! 大きな音がして、ひときわ強く木が揺れる。ウルフたちが交互にぶつかってきていた。

 ぐらり、と身体が揺れた。


「今だ、メイ!」


 勢いを付けてボスウルフの頭上に飛び降りようとしたオーガストの目前で。

 

「ギャン!」


 ボスウルフが右目ごと矢に貫かれて地面に倒れ込んだ。


「え?」


 驚いて身体が固まったところで、次々と矢が飛んできて、逃げ惑うブラックウルフたちを貫いていった。

 最後の一匹が地面に倒れたところで、呆然としていたオーガストが矢が放たれた方向に目をやった時、視線がぶれた。


「う、わっ?」


 ブラックウルフたちの攻撃にどうにか耐えていた木が、幹からぱくりと折れてしまったのだ。

 妹から手を放していたことを思い出して、慌てて抱きかかえようとしたのだが。

 メイはオーガストとは反対側の地面に頭から落ちていった。


(手が届かない! メイ!)


 種族的な能力もあり、自分ならばなんて事ない高さだったが、妹はまだ木登りが苦手だった。

 空中でくるんと回って身軽く地面に降りることが、メイには難しいのだ。

 

「ひゃあっ!」

「っと。……大丈夫か、君」


 妹の悲鳴と、知らない人の声。

 どうにか無事に着地したオーガストが慌てて顔を上げると、そこにはフードをかぶった人が妹を抱き止めてくれていた。



◆◇◆



 その人は、旅商人のエルフだと名乗った。

 見たことのない衣装を着ており、フードを下ろした、その人の髪は濃紺色。

 エルフといえば色素が薄く、金髪や銀髪ばかりだから、もしかして他の血が混じっているのかもしれない。ただ、目の色はエルフそのもの。

 澄んだ、綺麗なブルーアイズだ。

 女の人みたいに綺麗な顔立ちもエルフと言えば納得できる。


「集落を目指して旅をしていたところ、悲鳴を聞いて駆け付けてきたんだ。間に合って良かった」

「すまない。助かった。妹を助けてくれてありがとう」


 オーガストが頭を下げると、トーマと名乗ったエルフは「当然の事をしただけだから」と笑うと、ブラックウルフを指差した。


「これ、君たちの獲物だった?」

「……いや、俺たちは薬草と木の実の採取に来ただけだから、むしろ俺たちが獲物になってたな……」

「じゃあ、貰って行くぞ」


 獲物は倒した者の手柄なので、当然の権利だ。頷くと、トーマは腰をかがめて死骸に触れていく。


「え? 消えた!」

「すごーい! なにそれ? なんで?」

「ん、知らないか? これは【アイテムボックス】っていう収納スキルだ」

「初めて見た!」

「そうなのか? それほど珍しいスキルじゃないと思っていたけど……」

「珍しいと思うぞ。少なくとも俺たち獣人の集落では収納スキル持ちはいないから」


 すごいすごいと纏わりつくメイの頭を撫でてやりながら、トーマが首を傾げている。


「そう言えば、君たちは猫の獣人? 木から飛び降りた身のこなし、すごかったな」

「違う! 俺たちは黒豹族だ! 猫なんかじゃないっ!」


 よく間違われるので、ついカッとなってしまった。と、トーマの肩の上で丸くなっていた猫が顔をあげて、シャーッと一声。

 猫なんか発言について叱られてしまった。


「そうか。悪かった。黒豹か。かっこいいな」

「そ、そうだろ? 黒豹は強くてかっこいいんだ! 俺はまだ子供で弱っちいけど……」

「オーガストは幾つなんだ?」

「八歳」

「わかっ! いや、本当に子供だな⁉︎ その年齢で小さい妹を守っていたんだ。偉いぞ、オーガスト」


 わしゃわしゃと頭を撫でられて、張り詰めていた気持ちが緩みそうになる。

 じわりと涙が滲んだオーガストは慌てて目元をこすった。


「おにいちゃん、だいじょうぶ……?」

「っ、平気だ!」

「よし、二人とも元気でいいことだ。頑張ったご褒美に良い物をやろう」


 おいで、と手招きされて近寄ると、不思議な布のような物を何もない空間から取り出すと、地面に敷いた。


「ほら、ここに座って。腹はへってないか?」

「おなかすいたー」

「あっこら、メイ!」

「ぷっ。いいから、子供は遠慮すんなって。ちょうど俺たちも休憩しようと思っていたところなんだよ。付き合ってくれ」


 優しい眼差しに釣られて、オーガストはおずおずと敷物に腰を掛けた。

 メイなどはもうトーマにすっかり懐いたようで、次は何をするのだろうと目を輝かせている。


「作り置きで申し訳ないけど、ハンバーガーだ。玉ねぎとか、平気? そっか、じゃあ大丈夫だな。飲み物はこれな。オレンジジュース。コテツはホットミルクで」


 手渡されたのは、肉や野菜を挟んだパンだった。パン、だと思う。

 オーガストやメイが見た事もない形状の物だったが、トーマはパンだと教えてくれた。

 どうぞ、と勧めてくれるまま、二人はその「はんばーがー」という食べ物にかぶりついた。

 普通なら、二人とも子供とは言え、初めて会った他種族の者から手渡された食べ物を口にするわけがなかった。そのくらいの警戒心はある。

 だが、その警戒心を食欲が上回った。


「なんだ、これ! うめぇぇ!」

「おいちー!!」


 匂いからして、それが美味しいのは分かっていたが、口にした途端、何もかもが吹っ飛んだ気がする。とんでもなく美味しい。

 パンなんて堅くて酸っぱくて不味いものしか知らなかったが、このパンはとても柔らかくてほんのり甘かった。

 肉も信じられないほどに柔らかく、塩以外の味がする。野菜嫌いのメイが美味しい美味しいとシャクシャクと葉っぱを齧っているのにも驚いたが、気持ちは分かる。

 この葉っぱと赤い実がまた美味いんだ。


「ほら、誰も盗らないから、落ち着いて食え。喉に詰まるぞ。ジュースも飲め」

「……ん。あっま! この果汁もすげー美味いぞ、メイ!」

「ほ、ほんとだー! おいしいよぉー」


 酸っぱい果汁しか知らなかったから、こんなに甘い果汁は初めて飲んだ。

 夢中で飲み干すと、微笑ましそうな表情のトーマがおかわりを注いでくれた。

 お腹がいっぱいになったところで、トーマに集落への案内を頼まれる。


「俺は商人だから、色々な物を売り歩いているんだ」

「ねぇねぇ、さっきの「はんばーがー」も売ってるの?」


 メイが無邪気に尋ねてきたのには、トーマは苦笑していた。


「いや、あれは売り物じゃないんだ。俺が売るのは雑貨類や調味料かな。食品もまぁ……様子見で少しは出しても良いけど」

「やったー!」

「こら、メイ。命の恩人なんだぞ、甘え過ぎるなよ」

「いいよ。さっきは怖い目に遭ったもんな。しばらく誰かに引っ付いていたいんだろ」


 トーマは笑いながらメイをおぶってやっているが、うちの妹はウルフのことなんてすっかり忘れていると思う。


(肩に乗ったトーマの猫と睨み合っているもんな……オンナってこえー)


 こっそり集落を抜け出したことがバレると、母親には叱られるだろうが、滅多に来ない行商人を案内したことには感謝されるはず。


「じゃあ、トーマ。俺たちの集落に案内するよ」

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