第62話 ケット・シーの子ども
妖精と聞いて真っ先に思い出すのは、子供の頃に目にした絵本やアニメのキャラクター。
てのひらサイズで悪戯好き、透明な羽根が生えた可愛らしい存在だ。イメージ的にはお花畑に棲んでいたり、夢の世界の住人か。
長じてからは、もう少し恐ろしい存在もその名に当てはまることを知った。
ケルトの神話や伝承では、ドワーフやゴブリンなども妖精の一種とされていたらしい。
『幻想生き物事典』は愛読書だった。
幼心にも、その幻想的な生き物には興味をそそられた。おどろおどろしい姿の妖精と違い、その妖精は見慣れた姿をしていたからだ。
何を隠そう、その「会ったら、ぜひともモフモフしてみたい妖精」が、つい先程、保護をしたばかりの存在だった。
「
片手のひらに乗るサイズの、そのケット・シーは本物の子猫だと生後三週間ほどか。
耳の先はまだ丸っこく、尻尾も細く短くて、ぴるぴると震えている。
「怪我は治したが、目を覚まさないな。血が足りないのか? いや、寒いのか」
小刻みに震えている身体はひんやりしている。
慌ててテントまで戻り、ブランケットで丁寧に包んでやった。
「湯を沸かす時間ももったいない。
生活魔法で沸騰させた湯を湯たんぽに注ぎ込み、火傷をしないようにカバーをかぶせる。
【アイテムボックス】から取り出した段ボール箱を臨時の猫ハウスにすることにして、大急ぎで寝床をこしらえた。
最近の百円ショップはペットコーナーが充実している。まずは箱の底にペットシーツとタオルを敷き詰めた。そこに湯たんぽを置き、ブランケットに包んでいたケット・シーの赤ちゃんをそうっと載せてやる。
「うん、暖かいな。たしか、子猫も寒さに弱いから湯たんぽ必須って聞いたことがある。あとは、ミルクか? ん? 妖精って飲食するんだったか?」
焦りのあまり混乱してしまう。
昔、読んだ絵本には妖精にクッキーやミルクを与えていた気がする。
ええい、ままよ! と再び
百円ショップには売っていなかったが、コンビニはあるはずだった。
「あった! 子猫用ミルク!」
粉ミルクではなく、紙パックに入った子猫用のミルクだ。さすがに哺乳瓶はなかったので、スポイトで与えてみることにした。
深皿に中身を移し、生活魔法で人肌に温める。
低血糖気味の子猫にはミルクに砂糖を追加して与えると良いと聞いたことがあった。
「砂糖、砂糖。お、蜂蜜か。たしか、蜂蜜も体に良いよな? 猫には大丈夫だったか。いや、猫じゃねぇ妖精だ」
妖精なら蜂蜜は好物のはず!
温めたミルクにひとさじ蜂蜜を垂らして、ゆっくりと混ぜたものを、渾身の力で鑑定してみる。
「この蜂蜜ミルクを、コイツに与えても良いかどうか、鑑定!」
ピンポイントすぎる鑑定依頼だったが、見事期待に応えてくれた。
【鑑定結果:ケット・シーは蜂蜜ミルクが大好物だから、与えて良し。君の魔力を込めるように飲ませてあげれば、数日で元気になると思うよ。その子をよろしくね! 創造神より】
「お前かよ! でも助かった、ありがとう!」
魔力の込め方が良く分からないが、そっと抱き上げてスポイトごしにミルクを含ませてやった。
しばらくは口の端から力なくミルクが溢れ落ちていたが、根気よく続けていると、やがて喉を鳴らして飲み始めた。
んくんく、と懸命にミルクを嚥下している。
弱々しいが、そこには生きたいという、確かな意志を感じた。
やがて、小さなお腹がぱんぱんに膨らんだあたりで汚れた口許を濡れタオルで拭い、箱の中に戻してやった。
薄い色合いだった鼻先や耳の中に血の気が戻ってきたらしく、桜色に色付いてくる。
「良かった。とりあえず、温めてミルクもやったし、大丈夫そうか……?」
子猫を拾った友人を手伝ったことがある。何をしていたっけ、と思い出そうとして、はっとした。
そうだ、食べたら出す!
トイレの手伝いが、子猫には必要だった。
「ティッシュを濡らせば良いんだったか? 濡れたタオルの方がいいかな……」
考え込んでいる間に、なぜかスマホがピロンと鳴った。勇者メッセアプリの通知音だ。
今頃、誰だ? とスマホを手に確認すると、何と創造神からだった。
『鑑定だと、まどろっこしいから、メッセで伝えるね! ケット・シーは嗜好品を食べても排泄はしないから、トイレのお手伝いは不要だよ』
なんだ、それ。アイドルかよ。妖精か。
思わず突っ込みそうになったが、創造神のおかげで助かったので、ここは素直に感謝の言葉を送っておく。
「なになに? 今はまだ生まれ落ちたばかりだから、蜂蜜ミルクで充分だけど、育ってきたら、美味しいご飯をあげてね? ……人と同じ食事で問題ないのか」
本物の猫なら、とんでもない話だが、この子は異世界産妖精の子どもなのだ。
やわらかなブランケットに包まれて、すやすや眠る子猫の妖精はずっと眺めていても飽きそうにない。
「可愛いな……」
日本でも良く見かけた、キジトラ柄だ。
こんな小さな愛らしい生き物を殺そうとするなんて、とんでもない魔獣だった。
地面に残っていた血痕の持ち主はおそらく、この子の母猫なのだろう。血の量からして、もしかして兄弟猫も毒牙に掛かったのかもしれない。
「もっと早く助けられていたら、お前の家族も無事だったのにな。ごめんな」
人差し指でそっと子猫の額を撫でてやる。
甘えるように、口元をむにゃむにゃ動かす様がとんでもなく愛らしい。
「……良し。創造神にも頼まれたし、俺が責任を持って、親代わりにお前を育ててやる。だから、元気になれよ?」
ぴゅ、と子猫が鼻を鳴らした。
まるでこちらの言葉を聞き取ったようなタイミングに、苦笑する。
「うん、とりあえず後は……」
すっとスマホを構え、子猫の妖精の愛らしい寝顔を写真と動画で様々な角度から撮影していく。起こさないよう、細心の注意を払って。
もちろん可愛い可愛い子猫ちゃんを従弟たちに自慢するためである。
「拠点としても悪くない場所だし、しばらくはダンジョンアタックは休んで、ここで暮らすか。子猫の妖精が心配だし」
幸い、大森林とダンジョンで手に入れた魔獣肉はたっぷりと在庫がある。
肉以外の素材は基本的に全てポイント化しているので、ポイント残数も余裕があった。
1か月ほどこの場所でダラダラ過ごしても食うには困らない。
「どうせ雨季の間は大森林にも出られないし。うん、子猫看病休暇だ!」
ウキウキと宣言する。
ダンジョンアタックも楽しくなってきたところだが、ずっと一人で過ごしてきた身には、この可愛い子猫の存在が尊くて愛しくて堪らないのだ。
(同族の美女ハイエルフ、美少女エルフじゃなかったのは残念だけど。子猫の妖精との出会いの方が、むしろ奇跡なのでは?)
猫は猫という存在だけで、成猫も老猫もひとしく愛らしいが、子猫はまた別物だ。別次元の可愛らしさなのだ。
しかも、まだミルクが必要な赤ちゃん猫。
成長すれば二本足で立ち、猫の王さま然とするのかもしれないが。
でも、今はまだ震えながらスポイトで懸命にミルクを舐めるしか出来ない、いとけない存在なのだ。
勇者メッセで子猫の写真を見せつけられた従弟たちが、またすぐ拾ってきてる! と呆れていることも知らず、この小さくて可愛いらしい命を全力で守り育てようと誓った。
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