探偵は食べることに夢中になりすぎる
カエデネコ
フリースペースとクリームパン
葡萄が零れるように垂れ下がる藤の花が山の木に絡みつき、咲き誇っていた。
そんな光景が教室の窓から見える季節のことだった。
腹が空いたな。
やっと授業が終わって放課後となる。この時間になると昼食も消化されてエネルギー切れだ。
帰宅部のオレはさっさと帰ることにする。
家までもたないから帰りにタコ焼きでも買って帰ろうか?しかし今月の小遣いの残りはいくらあったかな?とぼんやり考えながら机の中の物を鞄に片付けていたところに声をかけられた。
「葵ー!」
やばい。これは嫌な予感がする。
声の主をオレはよく知っている。
幼稚園から高校まで同じという幼なじみで腐れ縁のやつだ。
あからさますぎるほど顔に今の気持ちがにじみ出たらしく、相手は困った顔をした。
「そんな嫌な顔で観るなよ」
高身長、色素の薄い髪の色に目鼻立ちも良い美形男子。この学校の濃紺色のブレザーの制服がスラリとした体型で、モデル並に似合っている。2年でありながらも生徒会長、成績はもちろんトップクラス。性格も良い。これだけ揃っているならばおわかりだろう。女子にも人気かある。田辺蛍。
ケイは逃げそうになるオレの退路をスーッと塞ぐ。
「放課後におまえに声をかけられて、めんどくさいことが無かったことはない。オレは帰る!」
「いやいや、そういうなよ。葵とオレの仲だろー!」
「親しい仲ではない。じゃあな。」
「冷たいなぁ。ちょっと時間くれないか?」
やはりこうきたか。
「いーやーだ!!腹が減ってるんだ!!」
オレは帰る!絶対帰るぞ!!
鞄を持ちさっさと消えようとすると、ケイがそういえば……とガサゴソと茶色の紙袋から取り出す。
「そ、それは!!まさか!!」
オレは愕然とした!売店でも幻と言われているク、クリームパンじゃないか!!
1日限定5個という希少なもので、ほぼお目にかかれることがない。卵黄を塗られて焼かれたところが茶色く焼き上げられており艷やかだ。フカフカした生地になめらかなカスタードクリームは卵の風味が感じられ、程よい甘さ。
以前一度だけ食べて虜になったが、あれ以来……手にしたことがない!
すごく食べたい。しかもちょうど腹も減っている。ゴクリとツバを飲み込んだ。
「話、聞いてくれるか?」
オレのポイントを抑えているのはさすがだ。悔しいが鞄を置いた。
それを了承と受け取り、オレの隣の席のやつが帰ったことを確認し、座って話し始めた。
椅子に座ったということは話が長くなりそうか?やめておけばよかったか?
「あまり大きい声では言えないんだ。それから4時半から生徒会の会議に出席するから時間もない」
そう前置きしてきた。周囲にチラリと視線を横へずらすとほとんどの生徒は部活に行くためさっさと教室から出ていっている。教室の時計にも目を走らせる。
時刻は4時……10分ほど前。
「生徒会の問題か?」
「そうだ。正しくは教師から生徒会へ問い合わせがあったという感じだ」
声音は低めにして話すケイ。
カサカサとナイロン袋からクリームパンを取り出して遠慮なく食べるオレ。ふわりとした食感。噛んでいくと甘いカスタードクリームがでてきた。生地とクリームを一緒に食べると最高だ!
「気づいているかどうか知らないが、玄関から入って来てすぐのところに掲示板があるだろう?」
ああ……と頷く。
食べること夢中になりすぎないように気をつけて聞く。
……本当はじっくりクリームパンの味を味わいたいところだが。
「掲示板の内容を気にしたことないから覚えてないが、交通マナーの啓発とかそんな感じのポスター貼ってなかったか?後は新聞部の新聞とかだったか?」
「まぁ、そんな感じだ。みんなが見てるようでそれほど見ていないところだ」
「その掲示板がどうしたんだ?」
最後のひと口を名残惜しくも口へ入れた。
クリームパンよ……今度、いつお目にかかれるんだろう。
「数日前から何故か生徒がなんでも自由に書いて貼っても良いフリースペースに変わっていたんだ」
「良いじゃないか。生徒の自主性、生徒自治を尊重して……って、生徒会が発案し、行ったわけではないのか」
当たり前だと蛍が渋い顔をして言う。教室にはほぼオレと蛍だけになってきた。廊下はまだ騒がしいが。
「剥がして、ポイッじゃだめなのか?」
食べ終えたら、どうでもよくなってきた。
それを見抜いて、紙袋からハイと手渡してきたのは紙パックのいちごミルク。
さすがは幼なじみ。オレの嗜好を熟知してる。
「準備いいな。生徒会からの許可の下りていない掲示ということを問題に感じた教師が生徒会に通達してきたのか?学生指導の古賀か?」
いちごミルクのパックにストローを差して飲む。あっさり懐柔されるオレ。
いちごの甘酸っぱさと牛乳のまろやかさが合う。
「そのとおりだ。小さいスペースだが、先生方が気づくほどに増えてきてしまった。古賀先生は風紀に真面目に取り組んでいるので、いち早く生徒会に知らせてくれたんだ」
……ねちっこくて細かい古賀をそんなポジティブにとらえられるのはおまえだけだよ。
とにかく一度見てくれと言われて、廊下に出て一階の玄関へと降りていく。玄関が明るいので入った先の壁はやや暗い印象を与える。
玄関にはまだ多少生徒たちが残り、喋ったり、帰るためにズックを履き替えたりしている。
男二人が玄関の掲示板を眺めているのはなにやら変だ。さっさと終わらせよう。
ケイがこれだと示す白い色のボードのスペースは小さい。
その左横には『拓け!未来の新しい自分!』というキャッチコピーと共にオレらの通う旭ヶ丘高校の制服を着た男女ジャンプしている生徒募集の大きいポスターが貼られている。
残ったスペースにA3程のポスターが1枚貼れるか?というところだ。
しかし小スペースにもかかわらず、所狭しと様々な紙が乱雑に貼られている。付箋、ノートの切れ端、プリントの裏……密集しすぎて、正月のおみくじが縛ってある木のようにも見えるな。
『トイレットペーパーの予備がなくて焦った!by一階のトイレ』
『朝練の後のシャワールーム使用許可できないのか?』
『テストの点が上がりますように☆彡』
『売店のパンを増やしてほしい』
『昼休み1時間ほしい』
『来たれ!ダンス部!』
『茶道部は毎週水曜に部室でミーティングします。真面目に参加してください』
要望やら適当なメッセージやら…どんどん貼られていっているため、初めに貼ったやつの方のメモ書きは埋もれていくばかりだ。
生徒たちが面白がっているのは間違いないが……。
「見たところ、別に貼ってあっても害のあるようなものじゃないから良いだろ」
どのメモ書きも別に悪用しようという意図は感じられない。
ケイが肩をすくめた。
「そうもいかないんだ。古賀生徒が言うには学校の掲示物は生徒会の検印と許可がいるし、あくまで学校教育の趣旨にしたがって行われているため、教師からの許可がいる。とのことだった。教師の許可どころか、生徒会の許可すらされていない掲示物を貼れない」
なるほどなぁ。融通がきかないが、なんでもかんでも良いようにしていたら誰かが困るのだろう。
「最初に貼ったやつの犯人探しをして、古賀に突き出すのか?」
とりあえずそんな真似するなら断るところだった。相手に恨まれるのはごめんだ。逆恨みであったとしてもごめんだ。
「いや、古賀先生はただ剥がしておくようにとのことだったよ」
「は?じゃあ、なんでこんな……あー!またか」
にっこりと笑うケイ。くしゃりとオレは自分の黒い髪を握る。いつもこいつは俺を巻き込む!小さい頃、ケイが探検しようとかいいだし、人んちの農機具小屋に忍び込み、怖いじーさんに追いかけられたことを思い出す。
「葵の推測通りだよ。単なる好奇心。誰が意図的にこんなことを始めたのか知りたかったんだ」
「そのためにクリームパンを買いに走ったのか?」
「え?いいや。たまたま昼休みに売店を通りかかったら、売店のおばちゃんが余ったから持っていきなさいってくれたんだ」
たまたまだと!?そんなわけない!クリームパンはレアなんだぞ!と叫びたかった。こいつはおばちゃんキラーでもあったか。顔も頭も良いのに昔からケイは相手の好意に天然なんだよなぁ。影で泣いてる女子は数知れずだ。
「まだ食べれるだろ?紙袋にはまだ玉子パンとウインナードックが入っている」
紙袋をチラつかせてくる。『急げ』ということか。確かにケイの予定時刻はもう迫ってきていた。
「そっと上に紙と紙が重なってるのをとろう。一番下の物が古いからな。残りを見て考えればいいだろう」
壁に顔をくっつけて、慎重に剥がしていくオレとケイ。5枚に絞られる。ん?と目にとまる1枚。
『MからHへ放課後待ってます』
これだけ特定の人物に当てている。謎は意外とわかりやすかったな。もうオレはわかった。
「おい……」
言いかけたところに美坂先輩が来た。3年の生徒会メンバー。副会長である。背が低く童顔で1年にも見える。美人と言うよりかわいい系だろう。プリーツスカートをヒラヒラさせて小走りでやってくる姿はポメラニアンに似ている。
「予算おりたわよー。ホタルくん!生徒会室へ行こう。4時半になるわよ」
「はい!今、行きます!」
応答してから、オレの方を見た。美坂先輩もいいタイミングで来たので話すことにする。
「美坂先輩がこのフリースペースの発端なんですね?」
「バレちゃった?」
悪びれもせず、エヘッと笑う。あっさり認める。憎めないキャラだ。親しみやすい人だからこそ後輩からも人気がある。
「え!?先輩が!?なんのために?」
ケイが驚いて目を丸くした。オレの方を見る。
「生徒会用の掲示板に貼ろうとまず考えるのは生徒会メンバーだろ。一般の生徒たちがそんなこと考えないんじゃないか。ここは目立たないところだからな」
薄暗いし、実際にオレも日頃、この掲示板に何が貼ってあったか、ほぼ知らなかった。
「生徒会メンバーの名前のイニシャル、そして美坂先輩がケイのことをホタルと漢字の読み間違えをしてからそう読んでいることをオレはケイから聞いていた」
なるほど……とケイが頷いている。美坂先輩がやや苦笑して言う。
「最初は面白半分だったのよ?ここに貼っておけばホタルくんが何やってんですかー!?って来ると思ってたの。気づく前に私のおふざけに便乗した生徒がいたのね」
で、次から次へと広がっていき、掲示板がいっぱいになり、剥がしにくくなったというわけだな。
「なるほど、。美坂先輩だったのか。……これでスッキリしたよ。お疲れ様。葵!」
そうニッコリ笑ってオレに紙袋をくれ、美坂先輩に外したメモを渡して、言う。
「生徒たちの要望をまとめ、文書化しといてくたさい。どうせなら活用しましょう」
えー!と言う美坂先輩だが、ちょっとした騒動を起こしてしまったので抗えず、紙束をもらっていた。
オレは紙袋がパン2個にしては重量をかんじて、気になり開けてみる。
「7個も入ってるじゃないか!いいのか?」
「迷惑料さ。……一人で食べるなよ?弟たちにもあげろよ?」
「7個ならオレだけで無くなるな」
相変わらずだなと呆れるケイ。胸焼けするわよと引き気味の美坂先輩。
こいつ、これで普通に夕飯も食べますからねとケイの言葉を聞いて俺をジロジロ見る美坂先輩。
「それなのに太らないの?女子の敵ね!」
まぁ……確かに体を動かしているわけでもないのに、どこでカロリー使っているのか?太らない。
家の食事も毎食大盛りだ。母さんが「育ち盛りね!食費かかるわぁ」と笑っている。
「葵は運動神経悪くないんだから、その能力を旭ヶ丘高校のために使えば良いのに」
「運動部に入ったら、もっと腹が減るから嫌だ。そんな時間も無いしな」
暇そうに見えてオレが忙しいことを知っているケイはそれ以上言わず、美坂先輩の方へ向き直ると行きましょうと生徒会室へ促す。
去っていく二人の背中を見ながら思う。
美坂先輩はケイを放課後、呼び出して、本当は違うことを告げたかったのではないだろうか?
推測に過ぎないし、確認するような無粋な真似はしたくないので黙って見送った。
紙袋からパンを一つ取り出して食べる。計8個くれたのか……売店のおばちゃんの愛が重いな。しかし羨ましい。
家に帰ろう。紙袋の重量を手に感じつつオレもその場を離れた。
後日、その掲示板の下に小さい机と『目安箱』と色気のない筆記体で書かれた箱が置かれたが、利用する生徒はいなかった。
探偵は食べることに夢中になりすぎる カエデネコ @nekokaede
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