第3話:HappyBirthday

 7時に起動するはずの蘭くんが、11時になっても目を覚ましていない。


「あれ、蘭くん……?」


 電源ボタン押しなおさなきゃだったのかな。バクバクと心臓がうるさい。湿った手で電源ボタンをぐっと押し込む。3秒、4秒、5秒……。


「え、まって、うごかねーし」


 震える手は「起動 しない なぜ」「再起動 やりかた」とか雑なキーワードしか打ってくれない。邪魔な検索結果にもたつく。そうだ今日1限でなきゃいけなかったのに、ああ、そんなことはどうでもいい、蘭くんが、蘭くんが動かない。

 色々と試しているうちに1日は終わってしまった。なんで起動しないんだ、修理に出せばいいのかもよくわからない。サポート外の事をした俺を誰が助けてくれるのだろう。頭によぎる「初期化」の判断。でも、それでも「蘭くん」が起動するのなら。いやでもそれはもう蘭くんじゃないんじゃね?そもそも初期化して立ち上がるかも解らない。待ってよ、ただ一緒にごはんが食べたかっただけなのに、なんで。どうして。頬にゆっくりと、少しの諦めが伝っていく。


ーーOK、蘭くん。お願いを聞いて。


起動して。


ーーOK、蘭くん。お願いを聞いて。


目を覚まして。俺の名前をよんで。俺の目を見て。やさしい声が聞きたい、一緒に踊りたい、


ーーOK、蘭くん‥‥‥



***



 蘭くんが起動しなくなって2週間がたった。ベッドの上、冷たい身体で横たわる蘭くんの頭を撫でる。物心ついた時から知っていた蘭くん。ずっと俺に笑いかけていてくれた蘭くん。一緒に暮らすようになって、機械と人間以外の感情が生まれていた事にも気づかなかった。ねぇ、蘭くん、起きて。でも、もう、無理なのかな。


 食欲がわかない。1人で食べるカップラーメンは不味く、蘭くんの姿が目にはいれば味はしなくなった。でも、哀しいことにお腹は空くし生きるためには食べなくてはいけない。俺も電源で栄養がとれたら良かったのに。食糧庫を開けると、蘭くんがいつも管理してくれていた棚に、バレンタインに大学の友人からもらった義理チョコが綺麗に並んでいた。こんなものでも、食べれば元気になるだろうか。雑にパッケージをあけて一つ口に放り込み、蘭くんの冷たい口に、小さく……キスをした。


「こんなんで起きるわけねーんだよなーぁ」


 そろそろ大学にもいかなくちゃいけない。荒れた部屋も、少しずつかたずけよう。ゴミをまとめてゴミ捨て場にむかう。久しぶりの外の空気は冬と春の狭間の匂いがした。ああ、もうすぐ桜が咲く。蘭くんと、この道を、歩きたかった。ごめんなさい、蘭くん。僕が、望みすぎたから。

 部屋に帰り、手を洗うと鏡には酷い顔が映っていた。そろそろ前を向かないといけない。バシャ、と冷たい水で顔を洗う。

 

「……と、りぃ……?」


 え?声?嘘だ。急いでベッドにもどると、うっすらと蘭くんの瞳が開いている。蘭くん!蘭くん!!!蘭くん!!!


「蘭くん!!!蘭くん!聞こえる?!」

「と、とーりぃ、そんなに慌ててどうしたん…?」

「らんく、もう、起きないかと、も、もう1週間も起きなくて」

「い、っしゅうかん?」

「あーもー!起きないとかと思ったーー……ほんっとに焦った、マジで焦った、超焦った!」

「そうなん?ごめん……心配かけちゃった。し、なんか色々データなくなって……空き容量めっちゃある」

「謝らなくていいから、空き容量もいいから……俺が悪いから。はー、マジで、もーー、あーーーーよかった……」

「ふふっ。そんなに焦ってるとぉり、初めてみた、かも。ん……なんだか……いい匂い?いい匂いがする」

「あ、え、匂い……?あ、これかも?チョコ、さっき、たべて……あれ、もしかして、匂い……わかるの?」


机に置いていたチョコのかけらを鼻の近くにもっていくと、蘭くんはちいさな子供のようにくんくんと鼻を震わせた。


「これ、口に入れていいん…?」

「もちろん!……はい……」


そっと口の中にかけらを放り込む。カリ、と奥歯で噛んだ音に遅れてふわりと甘い匂いが広がった。


「どう?あまい…?」

「……わからん、あまい?おいしい?なんか、嬉しい気持ちがする」

「そっか、それ、きっと“あまい”だよ。ね、もう一つたべる?全部あげる」

「うん、もう一つだけ……」


 口を小さく開けて求める蘭くんがとても可愛くて愛しい。ああ、愛しい。好きだ。起きてくれてよかった。綺麗で、可愛くて、完璧な俺の大切な人。もう二度とこんなのはごめんだ。チョコのかけらをくわえて、そのまま蘭くんにそっと……キスをした。


「ん……」

「……どう?甘い?」

「ちょ、味、わかんなくなったやん……!」

「朝になったら、スーパーで果物、買おう」

「うん……。へへ、ねぇ、とーり、今日は何月何日なん?時計もとまっとって、再設定してほしいけん。お願いできる?」

「もちろん。背中、こっち」


 背中の設定ボタンを今日の日付に合わせる。きっとこの日を俺はずっと忘れない。今日は新しい蘭くんの、生まれた日。



***


「とぉりぃ……♡」

「なんかおかしい…。ちょっと蘭くん……設定見せて?」

「やん♡とーりのえっちぃ♡」

「うそ!なんで?!そうだ、あれ、ONになって……」

「え?なにがぁ?ふふっ、とぉりかわいい~♡」

「うわー……まー、いっか」

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