第267話 命 VS 死 ⑦
その日もアルペジオの平穏な日常と同じだと思っていた。
「何だって言うんだよっ!?」
いきなり重力制御が切れたと思ったら、物凄い勢いで体を投げ出され、部屋のあっちこっちへバウンドするように叩きつけられた。大した怪我をしないで済んだのは、ライジグス国民の義務である強化調整のお陰だろうけど、それでも流血はするわ部屋は滅茶苦茶になるわで意味不明な状況に混乱してれば、今度は通信が途絶してますます状況は悪化していく。
「折角の休日だったのに」
彼はぶつくさ文句を言いながら、それでも冷静に備え付けのメディカルキットを、滅茶苦茶になった部屋から発掘し、細胞再生シートをパックリ割れた額に巻き付け、ギシギシ痛む体に無針アンプルガンでメディキットを注入する。
「ふぅ……これでその内痛みは引く……というか今、コロニーが動いた?」
フワリと浮かんだ後、何かに引っ張られるような感覚がしたし、浮かぶ前に爆音と呼ぶのすら生ぬるい巨大な破砕するような音が響き渡ったし、きっと非常事態が発生したに違いない。彼はすぐさま右腕に視線を向けた。
「……あれ? 端末がエラー吐いてる……」
こんな時は政府の発表を、と思って腕の携帯端末を起動させてみるが、端末の画面にはただエラーの文字しか表示されず、通信すら出来ない状態であった。
「これ、マジで非常事態じゃん」
ヤバイ、そう直感的に思った彼は、非常時に持ち出せるよう、ある程度荷物をまとめてあるバッグを引きずり出し、最近ハマって散財しているライライジャーの大人用のオモチャ数点をそのバッグへ入れると、バッグを背負い、まだ色々残っているメディカルキットの箱を小脇に抱えると部屋を飛び出す。
「うわぁ、ひでぇ……」
彼の部屋は安賃貸住宅の一階で、外へ出ればすぐに目の前には中央公園の広場が広がっているような立地だ。なので、部屋から出れば公園の様子が一目瞭然なのだが……
「メディカルキット足らねぇぞ、これ」
公園で遊んでいた家族連れやら、散歩目的の老若男女、運動目的だったろうスポーツウェアの老若男女、とにかくそこはまさしく死屍累々といった状況だった。
とてもじゃないが自分が持ち出したメディカルキットだけでは、目の前の人達全員を助ける分量はない。
「レスキューは動いて無いのかよ……ああ、通信が切れてんじゃ状況の把握は無理か……前だったらガン無視決め込んで逃げただろうけど」
悲しいかなオレ、ライジグスっこなんだよねぇなどと呟き、彼は頭を働かせながら何か無かったかを思い出そうと努力する。
「あっ! そうだ! 国王陛下の災害備蓄倉庫!」
思い出したと彼は手を叩き、公園の端から端まで確認し、すぐに目的の小屋を発見して走り出す。
それは自然災害は発生しないだろうけど、大規模な人災のような事故や事件は起こる可能性がある、という国王陛下の備えから生まれた物で、緊急時には誰でも使って良いと言われている災害備蓄倉庫だ。
各区画にその区画全員分位の備蓄が用意されていて、メディカルキットも大量に準備されているはずだ、と彼は賃貸住宅の大家さんから聞いた事を思い出していた。
備蓄倉庫にたどり着き、開けようとして端末が正常に稼働していない事を思い出し、緊急時に手動で開けられるような備えがあった事に気づいて、そのコンソールの前で唸る。
「ええっと、確か……ええっと何だっけ、うーんと……いちいちきゅーだ!」
何とか共用パスワードを思い出し、その番号を入力すれば、備蓄倉庫の扉がゆっくりと開いていく。
「わあぁお……国王陛下、何て過保護な」
そこには数百年は食い繋げられそうなフードカートリッジの山に、汎用小型ジェネレータの山、そのジェネレータで動く自動調理器の山に、水を産み出す装置にその水の元となる特殊濃縮液体の山、そして目的のメディカルキットもみっちりと詰まれていた。
「備えあれば嬉しいなじゃないですか」
ライライジャーの司令官もそんな事を言ってたような、などと考えながら持てるだけメディカルキットを持ち、公園内を駆け回る。
「良かった、さすがライジグスの義務。ヨボヨボのお爺ちゃんお婆ちゃんですら骨折すらしてねぇー! ライジグスの技術は世界一ぃぃぃだなこれ」
気絶して倒れている人々に、とりあえず一発とばかりにメディキットを注入し、メディカルキットに入っていた簡易診察スキャナーでスキャンして異常がないか確認しながら、彼は治療を続ける。
「頭部のダメージがちょっと重い人がいたけど、それもメディキット注入で何とかなったな。起きたら病院に行くように言わないと」
そんな事を呟きながら走り回っていると、ちらほらと意識を取り戻す人達が現れ、そういう人には直接メディカルキットを手渡し、自分で治療するようにお願いし、気絶したままの人の元へと駆ける。
そんな事を集中してやっていると、気絶している人の数が減っていき、彼を手助けする人なども現れ、地獄のような光景は解消されていった。
「ふぅ……じゃねぇ! そうだ! 皆さーん! シェルターへ移動して下さい! たぶんすげぇ非常事態が起こってます! 端末が使えませんし、通信すら繋がりません! なので安全の為にシェルターへ移動しましょう! 皆さーん! シェルターへ!」
自分がシェルターへ移動している途中だった事を思い出し、彼が大声で人々に呼び掛けると、他人の為に必死こいて駆け回っていた善人の言葉だと人々は従い、ゆっくりと政府が指定するシェルターへと向かう。
その様子にうんうんと満足そうに頷いていた彼だったが、すぐに愕然とした表情を浮かべて周囲を見回す。
「……っべー、目の前の事に集中しすぎて、あっちの事に気が回ってねぇった」
たらりと冷や汗を流し、彼は再び備蓄倉庫へと走る。
「おい、兄ちゃんどこ行くんだ?」
「ここにこれだけ人が倒れてるって事は、住宅で動けない人もいるって気づいた! メディカルキット持ってちょっと助けてくる!」
彼の言葉に呼び掛けた男性が、ああ! と声を出し、彼を追いかけるように走り出した。その様子に周囲の人々も大慌てで駆け出し、お人好しの彼を真似るようにメディカルキットを持ち出す。
「兄ちゃんは北区に、そこのあんたとあんたも兄ちゃんと一緒に北区だ。俺とあんたと君、一緒に西区へ。そうそうあんたと回りの人達で南区、残りで東区に行ってくれ」
「「「「おう!」」」」
人を動かすのが上手そうな中年男性が、さっくりと指示を出し、それに従うように指定された住宅区へ走り出す。
「うわっ! こっちの方がひでぇ!」
住宅という閉鎖空間でシェイクされたからか、公園に倒れていた怪我人よりも重症な人が多く、あちらこちらから痛みにうめく声が聞こえてきて、最近金曜日に国営放送で流れるようになった古いホロディスクのホラー物みたいな雰囲気だ。
「お兄さん、どうしよう」
「大丈夫だ! 公園に戻ればいくらでもメディカルキットはある! 落ち着いて全部の家を見て回ろう! メディキットを注入しちゃえば、命の危険がありそうな超重症じゃ無い限り応急処置は出来るから!」
「「「「はい!」」」」
なんでオレが中心なの? と思いながらも、なんだかんだで指示を出し、家々を回って救助活動を続ける。
「失敗したなぁ、オレ、真っ先にこれ体験してたじゃん、馬鹿かよ」
彼は悔しそうに呟きながら、痛みにうめく人達へ次々にメディキットを注入していく。だがとにかく倒れている人が多く、すぐにメディキットが足らなくなり、何度も何度も公園を往復する。
「そっちもひでぇのか!」
「全然手が足らないっす!」
「こっちもだ! でも頑張ろう!」
「はいっす!」
公園で時々すれ違う救助仲間と声を掛け合いながら、それでも活動を続けていると、今度はコロニー内部の証明がいきなり落ちた。
「マジかよ! ええっと、確かバックの中に非常用のライトが」
メディカルキットを一旦地面へ置き、背中のバックパックを下ろして中身をごそごそ探り、突っ込んであったライトを取り出す。
「ん? これ結構良い値段するライトで、ジェネレータは半永久仕様だからエネルギー切れって事はあり得ないんだけど……」
ライトを取り出しスイッチを入れても光が出ず、彼はペシペシとライトを叩くが、やはり光が出ない。
「ええ、初期不良ですか? ここでぇ……マジかよ」
彼はがっくりしながらライトをバックへ戻し、諦めてバックを背負い直してメディカルキットを持ち上げる。すると、ふっと照明が復旧した。
「よしよし、たすか……た?」
彼は気づいた、光が消えたんじゃない、光が食われたんだと。
『しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ』
そこに居たのは闇。自分より二回りは確実に大きな人型をした闇が、コロニーの天井から降り注ぐ照明の光を、まるで魔法か悪夢のように吸収して喰らっているのを見てしまった。
多分さっきはすぐ至近にこいつがいたんだろう、それでこちらのライトが役に立たなかった。そしてこいつは無数に分離して数を増やしたから、コロニーの照明が届くようになったんだと彼は気づく。そう、周囲にはこの闇が無数に存在していたのだ。
これヤバイ、こんなんヤバイに決まってる。そう思い、音を立てないようにゆっくりその場から逃げ出そうと動き出す。
「おかあさん! おかあさぁん! おかあさぁぁん! うわあああぁぁぁぁっ!」
「っ!?」
近くの家から子供が泣き叫ぶ声が聞こえ、その声を聞いた闇が、人の形はしているが絶対に人ではないそいつが、その叫び声を聞いて嗤った。
「っ!? うおおおおぉおおおおぉぉぉっ!」
その嗤いを見て、ああこいつをそっちに行かせたら終わる、そう直感的に感じた瞬間、彼は実に彼らしくない勇敢さを発揮し、腹から全力で声を振り絞りながら、手に持ったメディカルキットで思いっきりその闇へ殴りかかる。
だが、その攻撃は闇に大した痛痒を与える事は出来ず、逆に彼は無造作に振り回された腕の一撃を食らって数メートルの距離を吹き飛ばされ、住宅の壁へと激しく打ち付けられた。
「かはあぁっ!」
ぶしゃっと音を立てて口から血が吐き出され、耳の奥で機械が回転するようなきゅいぃいぃぃぃんという耳鳴りが激しく鳴り、ずりずりと地面に落ちた体は、まるで自分の体じゃないように全く動けなくなってしまう。
「けふっ! けふっ!」
息苦しさに小さく咳き込むだけで、その咳から想像できない量の血が吐き出される。これ、死んだかも、ぼんやりそんな事を考えていると、かすかに子供が叫ぶ声と女性の悲鳴のような声が聞こえた気がし、動かない頭を必死に動かし、声が聞こえた方向へ瞳を向ける。
「げぶっ! げぼっ!」
内蔵をやられたのか、尋常じゃない量の血を吐くが、そんなのどうでも良いとばかりに彼は体に力を入れた。彼の瞳に映ったのは、子供の小さな頭を鷲掴みにし、子供の母親だろう女性の腹に腕を差し込み、その様子にゲラゲラ嗤う化け物の姿だった。
「ごんぢぐじょぼっ!」
明滅して消えそうな意識に吐血、そして自分の限界を越えた激痛が、かつての記憶を呼び起こす。彼も自分の母親を宙賊に理不尽に殺された過去がある。そしてそのまま彼は奴隷として売り払われ、ライジグスに保護されるまで、ずっと人間以下の扱いを受けてきた。
「ざげんばぁっ!」
ふざけるな! ここは日輪の楽園だぞ! ここでは家族が笑顔で暮らして、誰もが幸せになれる権利が与えられる楽園なんだ! なんでそれを奪おうとする! そんな怒りが彼を突き動かす。
「ふーっ! ふーっ!」
動かない足でズリズリ足を擦るように移動していると、爪先にコツンと散乱していたメディキットのアンプルガンが当たる。神はここにいた! と彼はゆっくりそれを持ち上げると、おもむろに腹へ当てて最大注入量である五回分をパシュパシュパシュとぶちこむ。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ」
ゆっくり確実に痛みが体から引いていくのを感じながら、彼はバックを下ろして中身を確認する。何か武器になるようなモノはないだろうかと、確かに武器となるようなモノはある。
「……さすがにオモチャで戦えんわ……」
流れた血の量が多かったのか、手足の指先が妙にしびれるように冷たく、意識もどこかフワフワしているが、それでもさすがにオモチャの武器で戦う気にはなれなかった。
「……確かに高い買い物だったけど……この緊急時にオレってや……ん?」
オレってヤツは馬鹿じゃないか、と続けようとして、その馬鹿さ加減の象徴たる要請戦隊ライライジャーの変身ブレスレットが光ってるのが見えた。
「ん?」
大人サイズに、より豪華に、より劇中使用されている物に近いクオリティに、と完全に大きなお友達を狙い撃ちにした完全受注生産のプレミアムなそれを手に取ると、ぶわんと音を立ててホロモニターが勝手に起動した。
「わっ?!」
ホロモニターには、要請戦隊ライライジャーの司令官、総司令と呼ばれている役者さんが着ている服と全く同じ服を着た、ライジグス国王タツロー・デミウス・ライジグス陛下の姿がそこにあった。
「へ?」
訳がわらかないよ、彼がそう思っていると、ホロモニターの国王陛下がイタズラを思い付いた悪ガキのような表情でニヤリと面白そうに笑った。
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