第251話 顕現する地獄 ⑥

 Side:ラヴァム・ウォブァ


 かつて自身と同じ種族を保護する施設があった場所に出現した化け物。直視するにはおぞましく、無視するには巨大すぎるその存在を見上げ、教皇はプルプルと震えていた。


「姉さん!」

「ええ! これで私達は!」


 感極まったように抱き合う教祖と女主人を、大司教ベルはどこまでも冷たい瞳で見つめている。そんな視線に気づいた女主人が、勝ち誇った顔でベルを一瞥し、見せつけるよう教皇と口づけをかわすと、化け物へ向けて両腕を広げた。


「神よ! 約束は果たされた! さあ! 我々の契約を履行されたし!」


 新世界のアダムとイヴになる。その願いだけ、ただただそれだけを望んで、姉弟は邪神と契約をした。自らを邪悪へ落とし、一国を裏側から腐らせ、多くの無辜な人々を堕落させ社会と生活を壊し、騙し陥れ、教団が掲げる聖典が指し示す煮詰まった悪事を繰り返し繰り返し続けてきた。


 いったい何億の人間が死に、何兆の人間が破滅を迎え、何京の人間が絶望を知り、何垓の人間が呪詛を吐いたか……長命種の寿命の八割を使って行って来た全てが、ようやっとその実りを迎えようとしている。

 

 全身、血塗れ汚物塗れになって、それでも願いを叶える為だけに、邪神との契約を履行したのだ。今度は邪神がこちらとの契約を履行する番である。


「さあ神よ! 偉大なるアダム・カドモンよ! 契約を果たせ!」


 女主人の声が聞こえたのか、邪神は双眸が膨らんでは破裂し、破裂しては再生し、再生しては膨らんで破裂するを繰り返す瞳を女主人へと向け、しゃしゃしゃしゃとガラスとガラスが擦り合うような笑い声を轟かせる。


 たったそれだけで、教皇と女主人は魂が切り刻まれたような激痛と絶望感を無理矢理与えられ、立っていられなくなり腰から砕けるように座り込んだ。


『何故そのような事をしなければならない? 貴様らに割くようなかみのちからは一欠片もないぞ?』


 以前は確実に男性っぽい声色に聞こえたそれは、老人のようであり老婆のようであり、男性のようでもあり女性のようでもあり、子供のようでもあり意味をなさない音であり、ありとあらゆる音という音が混じり合って聞こえる壮絶な不協和音となって教皇と女主人を貫く。


 あまりの情報量の多さに脳機能も神経機能も受け入れきれず、二人はあまりの不快感にゲーゲーと胃の中のモノを盛大に吐き出す。


『この世界はもうワレのモノである。この世界をどう使うかはワレが決めるべき神事である。何故、貴様らの願いを聞き届けなければならぬ?』


 教皇は憎悪に燃える瞳で邪神を睨み、ゲーゲー吐きながらも約束が違うとテレパシーを送ると、邪神は一際甲高い声でしゃしゃしゃしゃしゃと嗤う。


『貴様は知っていたであろう? ワレは狭量で融通が利かず、なおかつ気分屋で短慮であると。ワレは狭量であるから貴様らの為に力を使う事を良しとせぬ。ワレは融通が利かないから、かみのちからを無駄にする事には抵抗がある。ワレは気分屋だから貴様らの願いを叶えようと思う気分にならん。ワレは短慮であるから、貴様らの滑稽な姿にイラつき消し去りたいとしか思えん』


 激しく瞳を破裂させながら、邪神は蠢く体表を禍々しくくねらせ、腹を抱えて笑う。その様は神というよりは子供である。だが、行っていることはどこまでもおぞましく邪悪だった。


「滑稽ですねぇ、教皇様……いえ、ブラフォード君と呼びましょうかね?」

「「!?」」

『……ほぉ』


 邪神の言葉を聞いても、邪神の笑い声を聞いても顔色一つ変えない大司教ベルが、張り付けた笑顔を捨て、心底失望しました、という表情で教皇を見る。


「だから言ったではありませんか。邪神に契約など守る意思が有る訳がない、と」


 ベルの言葉に教皇は同様したように瞳を泳がせ、女主人はそんな教皇を庇うようにベルとの間に体を置く。そんな女主人をベルは憐憫の眼差しで見つめる。


「貴女も愚かですね。自分が作られた存在だとも知らずに姉弟ごっこに浸って、楽しかったですか? お人形さん?」

「っ?!」


 ベルの言葉に教皇は目を丸くし、女主人はどういう事だと教皇へ視線を送る。


「貴女がブラフォード君のお姉さん、リシェレンナ姉さんの細胞から作られたクローンであるというのは間違いありませんよ? ただ……残念ながら全く似ても似つかない愚かな女に成り下がりましたけどね?」


 ベルはくつくつと笑い、邪神を見上げる。


「ねぇ? だってお前が姉さんを殺したんですものね?」

「「っ!?」」


 しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃっ! 空間を軋ませ、次元をよじり、時間が狂うような巨大な笑い声を出し、邪神が両手をパンパンと叩く。ただそれだけで周囲の小惑星が衝撃波で破壊され、ラヴァム・ウォブァの堅牢な外壁にヒビが走る。


『記憶を弄り、阿呆な肉人形を姉であると刷り込ませ、滑稽に踊る下等生物を見るのは実に愉快であったぞ!』


 感情が高ぶりすぎたのか、機械音声の整声が滅茶苦茶になったような、そんな甲高い声で早口に言いきった邪神は、ぐぱぁと巨大な口を開いてダラダラと真っ赤な液体を吐き散らす。


「はぁ……なるほど、通りで私の浄化も意味をなさなかったんですね……不覚を取りました」


 ベルはやれやれと肩を竦め、呆然自失としている姉弟の前へと進む。


「ムバァウゾレの本当の名前を知ってますか? ブラフォード君」

「……」


 ベルの、いや完全に幼馴染みのエフェルリアの顔に戻ってしまった彼女を、教皇ブラフォードは愕然とした表情でしか見れなかった。


「ムバァウゾレとは、アレがつけた忌み名です。本当の名前はル・フェリオの民。この世界を産み出した女神フェリオの祝福を受けた種族です」

「……なん……だと……」


 吐き出す物が無くなり、胃液に喉を焼かれてガラガラになった声で、ブラフォードが呆然と呟く。


「かつてあった大国は女神フェリオの神託を受けた高位文明だったんですよ。まぁ、女神フェリオがそろそろ親離れ子離れする管理が緩くなったタイミングで、アレが介入して滅茶苦茶にされてしまいましたがね」

「……馬鹿な……」


 ブラフォードの様子に深い悲しみを浮かべるエフェルリア。そんな彼女の姿に、ブラフォードはハッと気づかされた。彼女は教団に入信してから一度も自分の手を汚した事がない事に。


 彼女は言葉巧みに派閥を操り、野心が強い者達を扇動し、大きな派閥へするりと入り込み、そうやって自分の手を一切汚す事無く大司教の地位へと登って来たのだった。


 もちろん教皇のお気に入り、情婦であるというアドバンテージもあったが、大司教へと無血で登り詰めたのは、ムバァウゾレという種族の真実を知るからこそだったのか、と教皇は衝撃で足元が抜けたような浮遊感を覚える。


『そこまで理解していて、どうしてワレに力を寄越した?』


 ニタリニタリと裂けた口から真っ赤な液体を滴り落とし、狂ったようにカクカクンカクカクカクと首を小刻みに動かしながら邪神が聞いてくる。


「愚かですね。それはマイナスエネルギーじゃありませんよ?」

『何?』


 大司教ベルの姿に戻ったエフェルリアは、張り付けた笑顔とギラギラ輝く金色の瞳を邪神に向けると、にたぁっと笑いながらカクンと首を曲げる。


「神フェリオは今でも我々ル・フェリオの民を愛してくださっている。そして私はル・フェリオ最後の巫女。神フェリオから教えられた愚かなる邪神を封じ込める方策を神託として受け取っているのですよ」


 きゃは! きゃははははははっ! とベルが狂ったように笑う。


「輝けるデーモンブラッドと言えば理解出来ますか? 不出来な邪神さん」

『きさまぁっ!』


 きゃは! きゃは! きゃは! と人形のように笑うエフェルリアに、邪神が腕を振り払うとエフェルリアの体が、パン! という破裂音を残して砕け散った。


「エフェ! おのれぇっ!」


 エフェルリアの薄紫色の血液を浴び、全身をその色に染め上げた教皇が、怒りを全て炎に変換し、邪神の顔面へと解き放つ。


「っ!?」


 それがトリガーだったのか、ブラフォードを縛っていた力が緩み、過去の記憶が鮮明に甦る。そしてエフェルリアが言っていた事が真実であった事を知り、教皇は滂沱の涙を流した。


『鬱陶しい』


 邪神はそのまま腕を振り下ろし、教皇と女主人を叩き潰した。


『ちっ、面倒なモノを使いおって……まぁ良い。輝けるデーモンブラッド程度、眷属による生命体殲滅が進めば進む程、効力は落ちていくだろう。これだから管理神の祝福を受けし種族は面倒くさい』


 邪神はブツブツ文句を言いながら、自分が必要とするマイナスの力が澱む場所を探し、そこへ手を伸ばして眷属を産み出す。


『この世界を自分の力へ変換すれば……しゃしゃしゃしゃしゃしゃ! 上位の神へと至れる! しゃしゃしゃしゃしゃしゃ!』


 タツローに止めは刺せなかったが、それはまぁ良いだろうと邪神はにたりと嗤う。その視線の先には、より禍々しい姿となったブレイブ・ブレイバー2と、偽装カーゴシプップVK1、VK3、VK4とランサー3がズラリと並んでいた。


『凶化も十分に施した。これで全ての準備は整った……しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ! 後は全ての命を食らうのみよ!』


 邪神のみが存在する空間で、邪神は一人芝居のように身振り手振りを交えて悦に浸る。そんな邪神の周囲を、キラキラと清らかに輝く薄紫色の液体が舞っている事に邪神は気づかなかった。




 ○  ●  ○


 Side:帝国


「うん、良いんじゃないの?」

「ええぇぇぇぇぇぇぇ……」


 実に、それは本当に実に軽い感じの言葉であった。それこそ散歩に行ってきます、行ってくれば? 位の軽さであった。


「アリアン殿……」


 自分以外の六人の大公爵が痛ましいナニかを見るような目を向けてくる異常空間で、アリアンは心の中でしくしくと泣いていた。


「でも良い話だと思うよ? 実際にアリアンは僕という重しがあって結婚なんか出来なかった訳だし。それにタツローさんってああ見えて優良物件だよ?」


 何が不満なの? そう言外に言う皇帝に、アリアンは違うそうじゃないと心の中で突っ込みを入れる。


 ライジグス宰相レイジからの話で、アリアンとライジグス国王タツローとの縁談が持ち上がり、それがどういう意味を持つのかもしっかり説明を受けた上で、自分だけではちょっと判断が……と言葉を濁して、皇帝陛下ならばきっと断ってくれるよ、うん、と思って報告したら、すればいいじゃん、という返答だった不具合。アリアンは本気で泣きたかった。


 いやタツローにはぶっちゃけ不安はない。わりとアリアンは面食いで、タツローの美貌はドストライクだし、性格面も為政者としてすれてない部分などは凄くリスペクトしている。だけど問題はだ、自分が才妃でも側妃でも無く、正妃として迎えられるという部分にある。


『アリアン殿には皇帝陛下の養子となってもらって、その上でライジグスへ嫁に来てください。あ、もちろん正妃待遇で迎えますよ? ね? 母上?』

『ああ、アリアンならまず間違いなく楽しくなりそうだから歓迎するぞ』


 という、それはそれはありがた迷惑な会話があって、現在に至る訳で……アリアンは頭を丸めて宗教施設に逃げ込みたい衝動に駈られていた。


「でもぶっちゃけ、僕の娘として行かないと、レイジ宰相の思惑通りにならないでしょう? ならアリアンも腹を括らなきゃ」

「神聖フェリオ連邦国の女王が才妃であたしが正妃なのが問題だっつってんのじゃぁっ!」


 諭すような皇帝の言葉に、アリアンがついに爆発した。


「そこはほら、相手が納得した上での事だし、むこうさんの臣下達も実にありがたい申し出ですって大歓迎だったって話じゃん」


 僕に怒っても困るよ、そんな態度の皇帝にアリアンは涙目でうーうーと唸る。


「いやでも、そうかー僕も子持ちかー。娘を嫁に出すのは色々あるって言うけど、タツローさんが相手だったら全然大丈夫だから安心だね。うんうん、結婚式はド派手にやるからお父さんに任せて!」


 キラリと輝く笑顔で言われてしまい逃げ場を失ったアリアンは、がっくりと項垂れる。そんなアリアンの肩をポンポンとお姉さん役のウルティナ、ミレーナに叩かれアリアンは心の中でしくしくと泣くのであった。


「これでライジグスから増援が来るな」

「正直衛士隊と軍部だけだとフォローしきれなかったから助かるねアナタ」


 アリアンの内心など知らず、現実的な軍事卿の二人は、やったね苦労が減るよ、と現金に喜ぶ。そんな二人をじっとりとした目で見ながら、アリアンは深々と溜め息を吐き出した。

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