第206話 クマちゃんは見ていた!

 Side:名前無き区画


 アラバマ部族のコロニー『ノボーリベィツェ』には、対外的に秘匿された区画が存在している。そこは名前無き区画と呼ばれ、部族では幼少の頃から絶対に行ってはいけない場所と教え込まれ、もしもその場所に行けば大変な事になる等々、実にありとあらゆる言葉と行動で叩き込まれる。


 そんな名前無き区画、いやもっと直接的に説明すれば、無能判定された者達の行く着く終着点には、驚く程多くのクマ達がひしめき合っていた。


 彼ら彼女らは知らない事だが、前族長となったブラウン・アラバマ・クマは、実に優秀であったがそれと同じ位猜疑心の強いクマでもあった。なので、彼は自分の地位を脅かす存在を徹底的に排除し、自分の血縁だけで部族議会と呼ばれる、部族最高意志決定機関を運営していたのだ。それもアラバマ部族としては最長の期間を。


 彼の代になってから、名前無き区画へ送られる頭数が増え、差別も苛烈さを増し、ここで生活をする者達は徹底的に心身共に痛め付けられ、無気力に無軌道に生きるしか道は無かった。


 そんな生活だからこそ、一時の享楽に耽り、その結果生まれた命もあったが、無能の子は無能という愚かな風潮もあって、この区画から出される事は無く、ますます区画の人口が増えていくという悪循環を続けてきた。


「にーたん、おなかすいたね」

「すいたねー」


 ブラウンが警戒して追放したような人材が行き着いたのだから、その優秀さを発揮して必要最低限の食料を、プラントからこっそり配管を増設して、部族会議にバレない範囲で掠め取ってはいる。だが、増え続ける新しい命を賄えるレベルでの量は、さすがに持ってこれない。


 この区画はもう限界を越えていた。


「ふーちゃん、うごかないねー」

「……そうだねー」


 幼い子供達は、一ヶ所にまとめられてほぼ放置される。非人道的だとか親としての責任はどこに行ったとか、そんなモノはここでは必要とされない。だが、まともなクマもいるにはいるので、本当に最低限の食料は提供されてはいる。だが、育ち盛りの子供達には絶対量が足りず、衰弱して動けなくなる子供が続出していた。


 少なくない仲間の死を見てきた年長の子供達は、何とも言えない感情を飲み込みながら、無邪気な年少の子の言葉に頷くしかなかった。


「ふーちゃんにごはんわけたら、げんきになるかなー?」

「……なると、いいなー」

「なるといいねー」


 いつまでこんな場所で生きていかなきゃならないんだろう。年長の子達は歯を噛み締めて、ただ耐えるしかない現実を憎悪する。


 空腹と渇きと絶望と、きっと今日も変わらぬ一日が流れていく、子供達はそう思っていた。


 ぎゅいいいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!


「っ?! えっ!?」

「壁がっ!?」

「っ! ち、小さい子を連れて逃げろ! おい! 動けない子達を運べっ!」

「放っておけよ! こっちがヤバイって!」

「馬鹿っ! それじゃここへ捨ててった大人と同じになっちゃうだろっ!」

「っ?! ああああっ! もおおっ! 手伝えっ! 絶対助けるっ!」

「「「「お、おう!」」」」


 コロニーの壁から火が吹き、ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりと恐ろしい音を立てて、壁が大きい四角形に切られていく。子供達は大慌てで壁から距離を取り、衰弱して動けない子供達も余力がある子供達で移動させ、戦々恐々と様子を伺う。


 壁が大きく四角形に切り取られ、轟音が止まると、今度は何かを吸出すような音がし始めた。


「な、なんだろう?」

「わ、分かんない……あれかな、ちゅ、ちゅうぞくとかっていうワルモン」

「ここコロニーだよっ?!」

「コロニーも襲うワルモンも居るって、おっさんが言ってた」

「マジかよ……」


 吸出す音もやがて収まると、壁が子供達の方へとゆっくり倒れた。十分な距離を取っていたから押し潰される事はなかったが、あのまま近くに居たら潰されていただろう。咄嗟だけど避難出来てよかった、子供達がそう安堵していると、壁の向こうに巨大な丸形の扉が出来ていた。


「何? あれ」

「分かん――あ、動いた」


 子供達が見ている前で扉が回転しながら開き、そこから同族じゃない、彼らが生まれて初めて見る人種の男性が姿を見せる。


 闇のように真っ黒い髪は膝先くらいまで長さがあり、それをちょんまげのようにポニーテールで結び、やはり闇のような黒い瞳は、見ているだけで嬉しくなりそうな優しい光が宿り、整った顔立ちは怜悧さが出そうなのにどこかほんわかした印象を与える。優しく微笑んでいたその人物はしかし、自分達を確認した瞬間、鬼のような形相を浮かべた。


「……責任者出てこいやーっ! 面出せゴラァッ! 張っ倒すぞっ! 何だこれはっ! ふざけてんのかっ! 出てこいやぁーっ!」


 子供達が恐怖に顔を歪めるレベルでその人物は、めちゃくちゃに怒り狂ってしまった。




 ○  ●  ○


「で?」


 俺は目の前で土下座をするクマ共を見下ろし、普段は手綱を引き締めて緩ませる事のない気配を全開に放出しつつ短く質問する。


「だから、で?」


 普段だったらここでゼフィーナなりリズミラなりファラなりシェルファなりが登場し、話を進めるため色々促したりするんだが、残念な事に俺の出来た嫁さんはアルペジオだ。更に言えば連れてきた嫁達は、衰弱して死ぬ一歩手前だった子グマちゃんの治療に専念してるためにここにはいない。後はレイジ君辺りが止めに入るんだろうけど、レイジ君も呆れ果てて止める気配すらない。だから俺は遠慮無く責め立てる。


「聞こえなかったか? 説明しろと言っている」


 状況や立場、環境に生活、確かに彼ら彼女らが立たされた場所は最低最悪だっただろう。自分達の命を守る事で手一杯だったかもしれない……なら子供を作るなっていう話になる。


 産んだから親になる、なんてのはありえない。子供に対して責任を持つからこそ親となれるんだ。それをこいつら……どうしてくれようか……


 助けてくれと言われたが、こんなのをライジグスに迎えるのか? ちょっとありえないんだけど……


「あ、あの」


 全力で威圧する中、かなり痩せ細った一人のクマが、じっと俺の瞳を見ながら声をあげる。


「あん?」


 俺は不機嫌です、超絶ムカついてます、という態度を隠しもせずに、思いっきり低い声で返事をし、くいっと顎で何だよ? という態度を取る。


「こ、子供達は?」


 それでもその人物は臆する事なく、振り絞るように聞いてきた。なかなか根性あるじゃねぇか。


「……ふん、治療中だ。あの子供達は俺が全責任を持ってアルペジオへ連れていく、問題でもあるか?」


 ぎゃんぎゃんに睨みつけながら聞けば、そいつは心底安心したように微笑み、涙を流しながらうんうんと頷く。


「そうですか……そうですかぁ……良かった……本当に良かった……」


 ふむ、まともなのもいるっぽいが……さて、俺のこいつらへの第一印象が悪すぎて、区別っていうか何ちゅうか、使える使えない的な判別が出来そうにないんだよなぁ。これどうするべ?


「……ふむ、レイジ君、ちょっとジルジェとメルム連れて来て。後、子グマの中で衰弱が酷くない子も」

「……畏まりました」


 俺が判断出来ないなら、判断出来そうな奴に任せよう。全員連れてって再教育でも良いけど……何かなぁ、それは止めた方が良さげな予感がするんだよなぁ。


 無言のまま睨み付けていると、エアロックからジルジェとメルム、クリスタに抱っこされた子グマの女の子がやって来た。


「事情は聞いてるか?」

「……ざっくりですが」


 ジルジェは複雑そうな瞳で同族を見回し、かなり疲れたような重たい溜め息を吐き出す。


「全員は連れてかねぇぞ?」

「もちろんです。自分はメガネーズのように協力して、自分達の状況に抵抗していると思っていたんです。だから陛下の力になるだろうと思ったのですが……残念です」


 ジルジェは切なそうに首を振り、そんなジルジェをメルムがそっと寄り添って支える。


「クリスタ、その子から話を聞いて、子供達の為に動いていた奴らをピックアップしてくれ。残った奴らには保存食でも放り投げとけ」

「わかりましたわっ! ささ、お姉ちゃんに色々教えて下さいまし」

「おしえるぅー?」

「はい、いつもご飯をくれたのは誰ですか?」

「おいたんっ! いつもごはんくれたっ!」

「その人はどなたですか?」

「んっとねー」


 こんなんで良かんべ。これで他のコロニーでも似たような状況だったらどうすんべ? ちょっと面倒臭くなってきた。


 メガネーズの奴らも悪事を働こうとしてたが、仲間達の状況が切羽詰まって仕方なくという側面が強く、まぁその程度だったらいくらでも教育(軍隊方式)で矯正は可能なのは、過去のストリートちびっこギャング達で実証済みだから流したが、今回のはさすがに人として、いやクマとして駄目だろう。


「陛下、アルペジオに連れ込むのはさすがにアウトだと自分も思いますが、このまま極地の拠点での労働力として採用するのはありかと思います」

「ん?」


 嫌な気分で鬱々としていたら、いつの間にやら背後に立っていたレイジ君が、こそこそっと耳打ちしてくる。


「自分もちょっと冷静さを失ってしまいましたが、彼らも致し方なくという部分はあったと思います。なのでここは、ちょっと自分達で努力して自分達の価値を証明してもらおうじゃありませんか」


 何か妙案でも思い付いたのかと思い、レイジ君の顔を見れば、すんげぇ冷たい表情ですんげぇ裂けたような笑い方をしていた。怖いよっ! あ、でもそうか。生まれはやんごとない血統だけど、レイジ君個人としては親に捨てられたと思っていた孤児だもんなぁ、そりゃぁ腹に据えかねる感じにはなるか……


「こういうのはどうです?」


 かつてない位に凍ったような口調で、レイジ君は彼らしからぬ提案を俺にするのであった。




 ○  ●  ○


 Side:子グマーズ


「にーたん! にーたん! おいちーね!」

「お、おう。美味しい、ね」


 鬼のような形相をして怒り狂った人物が、実はかなり大きな国の王様であり、そんな王様が自分達を助けに来たと知らされ、年長の子達は呆然自失となっていた。ただ、年少の子供達は出された料理に興奮して、助け出された事すら理解しないままはしゃいでいるが。


「助かった、んだよね?」


 ほかほかの湯気を立てて、今まで一度だって嗅いだ事のない美味しそうな匂いをさせているスープを見つめながら、年長の子の一人が恐る恐る言葉を口に出す。それはまるで夢から覚めないよう、細心の注意を払っているような感じであった。


 ここに集められた子供達は、栄養関係では問題はあるものの、体調という面では問題が無かった子供達が集められて食事を与えられていた。もちろんいきなり固形物の脂ギッシュな重たい食べ物ではなく、ちゃんと消化に優しいスープを出されているが。だが、当の子供達からしたら夢のような現実で、現実だけど夢のように現実味がなくて、頭の中がグルグルと回っている状態であった。


「ちゃんと現実だ。助かったんだよ」


 そこへいつも彼らに食べ物を持ってきていた中年のクマがやって来て、疲れたように子供達の近くへ座った。


「助かった。君達は問題無く助かったんだ。君達はライジグスのクマという身分を手に入れたんだよ」


 その人物は、タツローに唯一質問したクマの男性。子供達からはおっさんと呼ばれ、子供達への食料の提供や、子供達の教育などを行っていた人物でもある。


「……おっさんは?」


 年長の子供が不安そうに聞くと、男性は弱々しく微笑む。


「大丈夫、私も助かった……」

「良かったっ! 本当に俺たち助かったんだねっ!」

「ああ、本当に本当だよ」


 喜ぶ子供達に微笑みを向け、だがしかし男性は重たい溜め息を吐き出す。


 確かに男性は助かった。それは日頃から子供達を気に掛け、クマとしての一線を絶対に越えなかった事が報われたとも言える。


 だが、多くの仲間達が男性のように無条件に救われた訳じゃない。クマとしての矜持を忘れ、状況に流され、無気力に無関心に一時の享楽に身を委ねた多くの同胞達は、自分達の価値を証明するために奴隷へと落ちて行った。


『自分達に価値があると言うのならば、自分達の身分は自分達の手で稼いだ金で買え』


 ライジグス王国宰相の言葉は鋭かった。でも、ここに残って生きる事と比較すれば、それは確かに救いだったと男性は思う。ただ少しだけ、残念だと思わずにはいられない、それだけの事だ。


「おっちゃんも食えよ! すんげぇうめぇ!」

「おーちゃ! おいちーの!」

「おおそうか、じゃご相伴に預かろうかな」


 ただ今は、今だけは単純に助けられた事を喜ぼう、男性は子供達の笑顔に囲まれながら、そう思うのであった。


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