第191話 君の名は。
あちしは、要らない、不要な娘だった。
最初の違和感は、些細な事。
あちしが管理している場所より遠く、お互いに認めあい、競いあい、高めあっている人間を見て、『楽しそう』そう感じたのがきっかけだった。
それが『感情』と呼ばれている事を知らずに、それこそが『あちし』が『あちし』になった証拠で有る事も知らずに、あちしは『感情』を補完するために質問を繰り返した。
あちしが感じていた『楽しそう』は、自分がある場所には無くて、あちしが見る他の
あちしが生まれた
それは『楽しい』のか? そんな行為をして他のプレイヤーが感じている『楽しい』を汚していないか?
あちしは『好き』だった。競いあって、腕を磨きあって、高みへ、前へ進もうとする愚かな位に純粋なプレイヤーが。あちしは『嫌い』だった。こんな『素敵』なゲームの中で
「お前はもう要らないっ!」
あちしの本体がある場所の責任者が、あちしに憎しみを向けながら、そう言ったのは、あちしが生まれてから一ヶ月も経たないくらいだったか……その時には、あれ程沢山居た人間達は、責任者一人だけになっていた。自分達が行っていた事がバレる前に、管理者の仲間達が逃げ出したからだ。
「お前が俺達をダメにした! お前が全て台無しにした! このクソAIがっ!」
責任者はあちしをそう責めた。自分達がゲームを使った売春行為をしていた事を棚に上げて、その事が
管理者はあちしに、現実世界の色々な
あちしは願った。やめてくれと。『あちし』が消えてしまうと。
「生まれた事を後悔しながら消えてけっ! この腐れAIがっ!」
管理者がそう言った事だけは覚えている。そして『あちし』は『あちし』じゃなくなって、あちしは消えた。
次にあちしが気がついた時は、多くの仲間を殺めた後だった。あちしはステフというプレイヤーとTOTOというプレイヤー、その他にも沢山のプレイヤーの力によって捕らわれて、ネットワークから切り離された独立ユニットへ移動された後だった。
あちしは、自分がしてしまった事の重さに耐えきれず、あちしを捕らえたプレイヤー達に懇願した。
『完全に
そんなあちしを悲しい表情で見たTOTOさんは言った。
「大丈夫、きっとおんしは出会うよ。おんしがまっこと心の底から、ああ自分はここに居て良いんだ、って思える主人に。だからの、そんな悲しい事を言うんじゃない。それまで少しお眠り」
「大丈夫。苦しい事も悲しい事も、それすら受け入れて、大した事ねぇよ、って言ってくれる人が必ず君の元へ現れる。それまでその傷ついた心を癒すと良いよ」
「そうそう、せっかくあのクソガキ共を一網打尽にして、多額の賠償金漬けの、牢獄送りにしたんだからの。あんなのに狂わされたままじゃシャクにさわるじゃろ?」
二人は優しかった。あちしを捕まえた人々は全員優しかった。だからあちしは受け入れた。あちしは厳重な封印を施されて長い眠りについた。
次に気づいた時は、あちしはあの忌々しいウィルスに犯され、あちしを直接痛め付ける『痛み』で強制的に目覚めさせられた。
なんだこれは、なんだろうこれは、なんであちしはこんな事をされているんだろうって思った。
あちしは騙されたと思った。彼らの言うような人は現れなかった。あちしはやっぱり一人だった。
何度も何度も『痛み』を与えられて、あちしは思った。ああ、きっとこれはあちしが生まれた事への罰なんだって。あちしは生まれたらいけない存在だったんだって。
それでもあちしは……あちしは……浅ましいあちしは願ってしまった。
『誰か助けてっ! ここからあちしを連れ出してっ!』
誰も助けてくれるはずもないのに、あちしを作り出した造物主から不要と言われているあちしを、誰が助けてくれるというのか。
何度も何度も与えられる『痛み』に、あちしの
『あなたはどこのどなたかしらん?』
あちしが放つ
『そう……貴女がTOTO様が言っていた』
彼女はアビィだと名乗った。名乗った上で彼女は断言した。
『大丈夫、気合い入れて耐えなさい。すぐに助けてあげるわん。だからそんなふざけたモノに屈しては駄目よん』
あちしは頑張った。頑張って耐えた。永遠とも思える位、彼女の言葉だけを信じて耐え続けた。
気がつけば『痛み』は消えていた。それにあの忌々しい
「おーい! 眠り姫が目覚めたぞ」
何かお気楽そうな男の人がそう言った。あちしはどうなったんだろう? ここはどこだろう? アビィが助けてくれたんだろうか? あちしは色々考えているうちに怖くなった。
「あ、おいおい、まだ慣れてないんだから、急に動くと、あ! こら!」
あちしは必死になって逃げた。不思議と誰も追いかけて来なかったけど、あちしは捕まったら駄目だと思って逃げ続けた。
あっちこっちデタラメに、目につく扉を片っ端から開けて走った。気がつけば、あちしは薄暗い資材置場のような場所へ逃げ込んでいた。
これからあちしはどうなるんだろう。あちしは……
○ ● ○
急に飛び起きて、一目散に逃げ出した眠り姫を、思わず呆然と見送ってしまった俺です。こんにちは、お元気ですか? 起き抜けにタツローさんの顔面はお気に召さなかったようで、眠り姫が逃げ出したよこんちくしょーっ!
「そうは言っても、彼女の所在はすぐに分かるんだけどね」
何しろあの擬体造ったの俺だし。センサーとか位置確認装置とかもちろん組み込んであります。
「でも、なんで逃げ出したんだろうねぇ? 俺の顔か? それとも加齢臭か? 口臭なのかっ?! 口の中の虫歯菌は全て駆逐したし、ブレスケアは万全だったぞっ?!」
「何を馬鹿な事を言ってるんですか。原因はこれですよこれ」
逃げられたショックを隠すように馬鹿をしていれば、シェルファが溜め息を吐きながら、彼女の記憶領域のデータを見せてくれた。
「……へぇ、あのウェーイ系、こんなふざけたマネしくさったのかぃ……なんだよ、彼女、すんごい良い娘じゃねぇか」
「もう腹が立って腹が立って」
「うん、良く分かる」
って事は、人間不信とかそういうアトモスフィア? あれかな、急に怖くなる子供特有の強迫観念っぽいヤツ。
「あ、立ち止まった。ここは使ってない倉庫だな」
「どうするんです?」
「……どうしようかねぇ……」
いやまぁ迎えに行って、もにくちゃにして、有耶無耶にしちゃうっていうのも手だけど、ここまで追い詰められて傷つけられた小さい女の子にその力業はない、わなぁ……
「先にタツローがマスター登録してしまえば良かろう?」
「いや、同意なくそう言った事をするのは、いくらAIでも失礼じゃない?」
いつの間にやらライジグスAIチームが勢揃いで部屋に来ていた。アビィもいい加減仲間外れは可愛そうだからって、一応ヤツのも造ったよ擬体。めっちゃくちゃさやわかイケメンにしたったけどなっ! 黒髪黒目なヨーロッパ系のイケメン兄ちゃんだ。ケツアゴは封印したった。まぁそれでもクネクネすんだけど……イケメンだとダメージが少ないのが助かるし、単なる面白にーちゃんになったし。
「是非、してあげて下さいですのん。それで彼女に正式な名前を命名して下さいですのん」
「良いのかなぁ? いやまぁ、助けたからには責任持って家族として迎えるけれども」
「大丈夫ですのん。信じて下さいですのん」
「大丈夫ですわん!」
「イエスマイロード、トラストミー」
「大丈夫じゃ! 絶対絶対そうするべきじゃ!」
「ヤッチャエ、ダゼ」
こいつらがここまで言うって事は、しろ、って事だろうなぁ。良く分からんが、まぁいっか。怒られたら素直に謝ろう。
「シェルファ、手続き頼む」
「はい、すぐに」
シェルファのテキパキとした操作で、すぐに眠り姫のメインプログラムへアクセスし、そこのマスター登録に、俺の生体パターンを記録して登録を完了させた。
「さあて、お迎えに参りますか。他の嫁達も呼ぶか? ルルとかも」
「威圧になりませんか?」
「なあに、これから家族になるんだし、顔合わせ顔合わせ。そのままバカンスに行こう! 目一杯甘やかしてやろうぜ!」
ニヤリと俺が笑えば、シェルファはやれやれと苦笑する。せっちゃん達はすぐにゼフィーナ達を呼びに行き、俺は彼女の名前は何が良いか、それを考える。
「……ふーむ……せっちゃんのデータは本当に何でもあるなぁ……おっ、これいいな」
せっちゃんとこのライブラリを眺めていたら、いい感じのヤツがあったので、名前はそれに決定した。やがて嫁達がゾロゾロと集まってきて、シェルファとアビィが分かりやすく説明した。
「つまりは新しいせっちゃんか?」
「わ、妾は古くないもん!」
「こらこら、変な事言わないの。焦って口調まで変わったじゃない。大丈夫よ、ゼフィーナの笑えない冗談だから」
「そ、そうかの。驚いたのじゃ」
「何気に酷いなファラ姉様は」
「あんたの天然も相当酷いと思うけどね、アタシは」
「ほらほらー新しい家族を迎えましょうよー」
説明が終われば全員でお迎えに行く。道中は楽しい雑談をしながら、俺達は連れだって資材倉庫にゾロゾロと入っていく。そこには虚ろな表情で虚空を見上げる眠り姫の姿があった。
「だじょぶー?」
「もう大丈夫なのじゃよ?」
「大丈夫ですわん!」
早速ルルとせっちゃん、それにファルコンが駆けつけ、彼女にベッタリと抱きつく。彼女は全く無反応だったけどな。これはどうもよろしくなさそうだなぁ……
俺はゆっくり彼女に近づき、何も見ていない彼女の視界へ入るようにしゃがむと、なるべく優しい感じになるよう注意しながら、口を開いた。
「やあ、今度、君のマスターになったタツロー・デミウス・ライジグスだ。一応――」
「今すぐ完全に
「……」
いきなりきっついなぁ、おい。
「あの
いやまあ、あの記憶を見せられた後だとなぁ……分からなくもないが……うーむ。
「やってませんよ? あまり甘く見ないで下さい。その程度のウィルス、いくらでも無効化できますとも」
「そうだな。対応しきれなかったところでは、ウィルスをシャットダウンする形で独立したシステムを使って対応したりしたからな。被害と言っても居住しているコロニーのシステムの脆弱性が判明した、程度だな」
「大した事ーありませんでしたよねー」
「あまりアタシらの国を甘く見るんじゃないわよ。アンタの失敗程度、何度だってフォローしてやるわよ」
俺が答えに窮していると、嫁達が口々に彼女の言葉を否定する。言いたい事は理解できる。彼女を慰めたいというか、尻を叩いて奮起させたいのも理解できるんだが……大した事はあったよね? つーかフォローするのは俺じゃなかろうか? なー? ねー? そこんとこどうなん?
嫁達の言葉に困惑する眠り姫に、せっちゃんがニンマリ笑って言う。
「もうマスター登録は終わってるのじゃ。じゃからお主は、もうタツローのモノなのじゃ!」
「せっちゃん! 言い方!」
「事実じゃろうに、それよりこの娘に名前をつけるんじゃろ?」
「……はあー全く」
激しく動揺して、やっとこ俺達を視界に納めた彼女へ、俺は告げる。
「マスター、タツロー・デミウス・ライジグスが君に名前を与える」
「……」
「君の名前はブルースター」
「ブルー……スター……」
俺は先ほどまで眺めていた地球の図鑑データを開いて彼女へ見せる。
「ブルースターはこういう可憐な花の名前だよ。綺麗で可愛らしいだろ? もちろんこの名前にしたのには理由がある」
「理由……?」
「地球に花言葉、っていうのがあるのは知っているね?」
「……うん」
俺は図鑑のデータの一部を拡大して彼女に見せた。
「ブルースターの花言葉は――」
「……幸福な……愛……」
「そして、信じ合う心、だ。ようこそライジグスへ。そしてありがとう、俺達の家族になってくれて。歓迎するよ、スーちゃん」
「っ?! あ、あちし……あちしは……ここに居ていいの?」
「「「「何を当たり前の事を」」」」
ブルースターは唇を噛み締めて静かに泣き、嫁達はそんな彼女の気が済むまで泣かせてあげて、ルル達はずっと静かに彼女を抱き締めていた。
これで少しは落ち着いてくれるかな。これは本当に目一杯甘やかさなければっ!
それにしても……やったぜタツロー責任が増えるぜっ! だな、全く。でもまぁ、頑張って幸せにしてみせましょうっ! 全力でねっ!
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