閑話 その後のフォーマルハウト国
もっとも歴史ある新しき国フォーマルハウト。叡知と学徒の楽園。秩序と混沌が、保証された治安に守られて楽しめる国。樹立後のフォーマルハウトは、そんな感じで観光業が発展してきていた。もちろん学術目的の留学生も増えたが。
人が多く訪れるとなれば、それなりに面倒事は増えるモノで、まだまだ新米の域を出ない新政府の関係者は、阿鼻叫喚な仕事をこなしていた。
フォーマルハウトで最も多忙なる女性アリシア・ジョーンズ初代大統領は、第二ルナ・フェルム中枢ステーションの、最も厳重な警備が敷かれた一室で、部屋の半分を占領する書類(データパレットにすると事態の深刻さが分からないから紙)に埋もれる形で、常ならば手入れされた美しい毛並みを、ぐっちゃぐちゃに乱して、必死の形相で目を通していた。
アトリ商会の元ステーションを、ライジグスの技術者を招いてリノベーションされたそこは、ルナ・フェルムと同程度の性能を誇るステーションへとバージョンアップし、かなり快適な場所へと変貌してはいるのだが、アリシアにしてみれば、警備という名前の監視をされているようなもので、監禁状態で仕事をさせられているような感じだ。快適さなど最初の数日感じていただけで、その後は逃げ出したい場所でしかなくなっていた。
「大統領、お忙しいところ失礼します」
分刻みで書類を持ってくる自分の秘書官の入室に、アリシアは血走った瞳で睨み付ける。それはまるで道端で出会った仇敵と、ガンをつけるが如き迫力であったが、毎度毎回同じように睨まれている秘書官からすれば見慣れた表情。全く気にも留めず、憎たらしいほど涼しい表情で用件を告げる。
「マドカ・シュリュズベリイ様がいらっしゃりました」
「……あっ?!」
秘書官に言われて、あらかじめ予定されていたスケジュールを思い出し、アリシアは慌てて身なりを整える。アリシアが恥を掻かない程度に整ったタイミングで、秘書官がマドカを部屋へと通した。
「ごきげんよう、マドカさん」
「あー、すまんね。こんな忙しい時期に」
「いえいえ、マドカさんとミツコシヤさんは善意の協力者ですから」
防衛隊の制服ではなく、一般的なフォーマルな服装で現れたマドカは、力無い笑顔を浮かべながら頭を下げた。
「世話になった」
「それはこちらのセリフですよ」
共和国とアトリ商会、そして教団に関連した犯罪組織の動向。実のところマドカは、シュリュズベリイ一族はかなりの精度で、その情報を把握していた。しかし、それを誰かと共有する事をせず、マドカが、シュリュズベリイ一族がカタをつける気でいたのだ。何を犠牲にしても、今度こそ根絶やしにする為に。
「セラエノを騙して、ルナ・フェルムを危険に晒して、自分個人の怨念を晴らそうとした……だから、やっぱりケジメは必要だと思ってな。あたしゃここを去るよ」
「気にせずとも良いんですけども」
「くっくっくっくっ、後はバカ息子にでも頼ってくれや。ミツコシヤのバカ野郎共も置いていくんだしさ」
セラエノ断章が支配者を名乗りルナ・フェルムを守ろうとしたのも、実のところシュリュズベリイ一族の仕込み的な部分が大きい。あっさり最も大きな果実を、タツローというイレギュラーにかっ拐われてしまったが、それがなければ、マドカを中心としたミツコシヤ愚連隊が大暴れした事だろう。
「今後はどうするんですか?」
「ああ、アルペジオに居る娘の所に厄介になるよ。あの娘にはエライ苦労かけたからね」
「……あのー、それってライジグスに就職するって事じゃないですか?」
「さぁ? どうだろうね」
ジト目で見るアリシアに、飄々と返答するマドカ。だが、マドカは実際にそれは実現しないと思っている。何しろ、自分なんかが逆立ちしたって太刀打ち出来ない、自分の最上位互換みたいな娘がうようよしているのだ。ロートルが出る幕はないだろう。
「ゴバウもおっちんだし、もう心残りはないさ。後は娘と仲良く暮らすさね」
「そうですか……気が向いたら、またお力を貸してください」
「ふ、そうだね。気が向いたら、ね」
マドカはそれだけ言うと、手をヒラヒラ振って部屋から出ていった。
「はぁ……有能な人材は流出して行くばかり……仕事しよ」
色々とストレスがのし掛かる現状を打破すべく近くの書類を手に取る。それは事故報告書であった。
「事故、ねぇ……」
ステーションを催眠ガスで制圧した後、ライジグスの艦隊によってそのまま運び込まれたアトリ商会の拠点。臨検の為に防衛隊が入って調査をし、一番豪華な寝室でゴバウの遺体が発見された。報告書には、催眠ガスによって眠りに落ちる際、壁か何かに頭を強打した事故死と書かれている。しかし、現場検証のフォトグラフには、完全なる惨殺死体として記録されているのだ。
「……はぁ……はいはい、事故死事故死……」
マドカ・シュリュズベリイの過去話は有名だし、彼女がこの男にどのような不幸をもたらされたのかも知っている。だからアリシアは、面倒臭そうにしながらも事故死としてゴバウ・ククウ・アトリの死を処理するのだった。
「はぁ……休みたい……」
○ ● ○
「てんちょー、これでええのん?」
「どれどれ……ばっちりやで! やるやん自分!」
「えへへへへ」
多くの鼻たれ坊主、おてんば娘に囲まれて、トイル・メーズは船に積み込む荷物の目録をチェックしていた。
「しっかし豪気やわ」
デカデカとライジグス王国の紋章が刻まれた商船。それはタツローから下賜されたレガリアの商船だ。ご用商人なんだから、他の奴らに分かり易く宣伝出来た方が良いだろう? なんて言って、本当にポンと渡された船だ。
「まぁ、助かるっちゃ助かるしな」
今や一国一城の主だ、にやつく顔をデータパレットで隠しながら、周囲の様子を見回す。
「そっちは向こうやで」
「あう、これどないしょ?」
「あーあ、大丈夫か? ほら、にーちゃんに任しとき」
「これどこー?」
わちゃわちゃと子供達が働いている。この子供達はいわゆる浮浪児で、行き場の無い彼ら彼女らを、トイルが雇う形で養っている。もちろん慈善事業では無く、子供の内から商売を仕込んでおけば、いずれは大きくなるメーズ商会を支える従業員として活躍してくれる、はず。
「てんちょー、なんや話あるっちゅうおっさんが来てんでー」
「あーん? ……またかいな、ええ加減にしいや、バザム商会さん」
バザムからフォーマルハウトに変わって、激動とも言える変化を続けている。一番大きいのは、商人達の既得損益が一般的にまで落ち着いた事だろう。これによって、金こそジャスティス、が通用しづらくなり、それだけで商売をしていた大商人がかなりの窮地に立たされるようになった。それはバサラヤ、ザイツヤ、ムロツヤも例外ではなかった。彼らは窮地を乗り切ろうと、合同の商会を新しく立ち上げ、バザム商会として再スタートをしたのだが、まぁこれがかなりの裏目に出て、現在苦境真っ只中である。
「そこを何とか! な! わしらもライジグスの交易に一枚噛ませてーな!」
「自分で陳情しいや。ほら、もう出発せなアカンねん、散った散った」
かつての大商人の誇りはそこになく、みっともなくかつての栄光を取り戻そうと躍起になっている、醜い老人達の姿があるだけ。
「あまりしつこいとガードボット呼ぶで? この船な、陛下から直に下賜されてん。ルナ・フェルムのガードボットより強力なのが乗ってんで? ええんか?」
「堪忍な堪忍、ほなさいなら!」
逃げていくかつての最高権力者の後ろ姿に、トイルは呆れた溜め息を吐き出した。
「ええか? あんな大人になったらあかんで? 格好いい大人になるんやで」
「「「「はいな!」」」」
ま、悪い見本という意味では助かるか。トイルは商人らしい損得勘定でそう切り捨て、笑顔で将来の大商人達に指示を出すのであった。
○ ● ○
「おと、長官。報告書をお持ちしました」
「うん、ありがとう。そこに置いてくれるかい?」
「はい」
内部の情報を金にしていた息子の嫁は、今ではオーガストの秘書として頑張っている。離縁した今でも自分を父と慕ってくれているのが、何ともこそばゆい。
「防諜関係は上手く回ってる感じですね」
ミツコシヤ時代から自分に忠誠を誓ってくれている壮年の男に言われ、オーガストは苦笑を浮かべて首を鳴らす。
「今までがザル過ぎて、その穴をちょっとした厚紙で保護したからって、そんなに速効性のある効果は出ないよ。これだってテストケースだ。これからこれから」
オーガストはアリシアに乞われ、引き続き防諜関係の組織の長として働いている。ミツコシヤの方は、その業務をアルペジオへと移し、現在は開店休業状態。息子達が悲鳴をあげているが、ちゃんと教育はしたのだから自分達の力でどうにかしろと突き放している。
「お茶どす、です」
「ふふふ、ゆっくり直せばいい」
「すみません」
ミヤビはすっかり化粧っ気が無くなり、元の純朴なあか抜けない田舎娘に戻ってしまったが、隊員達からの受けは良い。前の状態を知っているだけに、反省してやり直そうと努力している姿は評価されているのだ。
「そう言えば、お母様の出立って今日じゃ? お見送りしなくても?」
「今生の別れじゃあるまいし、見送りなんかいらないからなって先に言われてるよ」
「ふふふ、お母様らしいです」
「アルペジオで大人しくしてくれると嬉しいんだけど……無理だろうなぁ」
お茶を口に含みながら、そっと胃の上辺りを押さえるオーガストに、ミヤビはそっと胃薬を渡す。
「これ、良く効くよね」
胃薬の錠剤を口に含み飲み込むオーガスト、そんな彼にミヤビはそっと胃薬のマークを見せた。
「……宰相閣下……」
がっくりと肩を落とすオーガストに、ミヤビは苦笑を浮かべた。
レイジアン製薬。それはレイジ・コウ・ファリアス宰相閣下が、自分の為に設立した薬品会社。後に胃痛同盟と呼ばれるようになる人々にとって、なくてはならない会社となるのだが、それはまた別のお話
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