第64話 一番怒らせたら駄目な人

「随分と外が騒々しいですね?」

「この子達を助けようとしている、他の子供が出てきたんじゃないのでしょうか?」

「なるほど、それは確かに有り得ます」


 かつて孤児院だったそこは、ところどころに血痕が飛び散り、むせ返る血と汚物の匂いが漂い、弱々しい呻き声が断続的に聞こえてくる、そんなおぞましい場所へと変貌していた。


「助けに来たのなら、丁重におもてなしをしなければなりませんね」

「はい、我らが教皇様は全てを等しく導こうとされてますから」

「ええ、ええ、その通りです」


 赤黒い法衣のような服装をした、妙に頭が肥大化した男が、真っ赤に染まる口を三日月型に歪めて笑う。その様子に、従順そうに従っているはずの男が、吐き気をこらえるよう口許を押さえた。


 笑った拍子に男の口の中にあった物体が、チラリと見えてしまい。従者の男は青い顔を隠すために緩くうつむく。


「青い瞳、赤い瞳、今度の瞳は何色で、どんな味がするんでしょうか?」


 そう、男の口から覗いていた物体、それは彼が今なお髪を掴んで離さない、少年達の眼球の食べかすが見えていた。


 教団で他者の目というのは力の象徴である。それをくり貫いて食べるというのは、教団幹部にとって最上級のであり、間違いなくである。従者の男が気持ち悪がっているのを理解した上で、男はあえて口に出したのだ。


「申し訳ありません」

「いえいえ、分かりますよ? 自分にもそんな時期がありましたから」


 髪を掴んでいる少年二人を持ち上げ、男はねっとりと少年達の抉れて何もない眼窩へ舌を突っ込み、ゆっくりじっくり味わうように、舌をくねらせる。少年達は狂ったように叫ぶが、男はそれすら楽しむように、その行為をやめようとしない。無論、従者の男も止める気など微塵も存在していない。


「ああ、やはり子供の感情は良いですねぇ。純粋で、激しく、そして何より恐怖に染まりやすい。良いですよ、もう心が折れたって誰も責めやしませんよ?」


 男の囁きが毒のように少年、レイジとアベルの脳へ染み渡る。だが、二人は唯一の抵抗とばかりに、弱々しく歯茎だけになってしまった口を力一杯噛み締める。


「無駄ですよ? 貴方達の考えは全て


 男の言葉に嘘は無い。何しろ、男の頭が肥大化しているのも、教団による改造手術によって、後天的にサイキック能力を手に入れた代償なのだから。


 教団では神官長から必須となる能力があり、それがサイキック能力。教団が独自に設定している能力値強度一以上無いと、教団では出世ができない。男のように教団内部で地道に活動し、力ある派閥に取り入り、望んで改造手術を受ける根性があるものだけが出世できるのだ。


 教団上層部幹部連などほとんどが、ムバァウゾレ種族の独占状態。男のように改造手術を受けて、上層部へ出世しようとする信者の方が少数だ。


 何故か? 生まれながらのテレパシスト、教団の強度で五以上は天然で持つムバァウゾレ達ですら、その能力でおかしくなるのだ。わざわざ偉くならなくても利権は甘受できるし、教団信者であるだけで一定の地位は約束されている。自分から狂いに行くのは、余程出世欲に取り憑かれた者か、狂信者かのどちらかである。


 男は出世欲に取り憑かれた者だったが、身の丈に合わない能力は、ものの見事に男の正気を奪い、界隈では『眼球狂い』の二つ名で呼ばれる化け物へ変貌していた。


「助けに来た子達、でしょうか? それとも助けを呼びに行ったでしょうか?」


 男のネットリした言葉に、既に折られた両手両足をモゾモゾ動かし、全力で抗うよう必死に叫ぶ二人。その様子を、男は嬉しそうに目を細め、かすれたような笑い声を漏らす。


「記憶にある通りなら、紫色の瞳はまだ食べた事がありませんねぇ。美しい少女でしたし、どのような甘美な味がするのでしょうか。楽しみです」

「あ″あ″あ″あ″あ″ぁ″ぁ″っ″!!」


 自分の頭の中を見られた。そう分かったアベルが、喉が割れるんじゃないかと思う絶叫を体の底からひねり出す。


「くっくっくっくっくっ、良いですね。実に良い。もっと自分を満足させてくれるなら、助かるかもしれませんよ? だぁい好きなが」


 レイジが必死に頭の中で打開策を考え、アベルが動かない体を精一杯動かし、なんとか男に一撃をいれようとするが、届かない。二人の無駄なあがきに、男はニンマリと笑う。


「あまり、良い趣味とは言えませんね?」

「そうですね。大丈夫ですか? シュルファ様」

「正直、それなりにと覚悟してたのですけど、私、結構に怒っているみたい」


 いつの間にか、孤児院の大きな扉が開いており、そこに見目美しい美少女と美女が立っていた。美女の方は珍妙な服装をしており、似た服装の少女達が数人付き従っているようだ。


 美少女は見た事の無い、金髪碧眼の色白な姿をしており、その外見はまるでおとぎ話に出てくるような妖精を連想させる、そんな可憐さを持っており、服装もどこかドレスのように見えなくもない。


 美女は帝国西方地域に多く居る水色の髪色をした、やはり恐ろしく目鼻顔立ちが整った、白黒の野暮ったい衣装が勿体ないくらいメリハリのあるプロポーションの女性だ。


「おやおや、どちら様でしょう? こちらへ招いた覚えはないのですが?」

「ええ、招かれても来たいと思わないですけど」


 男は口の端からヨダレを流し、二人の体をじっくりねっとり視姦するように見つめる。素晴らしい、男の獣欲を掻き立てる、何と美しい女達か、これは是非とも手に入れて楽しまなければ……そう思った時、妙な違和感を覚えた。


「貴女様のお名前を教えていただけますでしょうか?」

「何故、貴方ごときに名乗らなければならないのか、理解不能ですね」

「くっくっくっくっくっくっ、これは手厳しい」


 男は焦る。表面上は何事もないように取り繕えているが、内心は大混乱であった。


 美少女、美女どころか珍妙な服装をした少女達まで、彼女らの。手に持つ少年達、従者の声は聞こえてくるのに、目の前の女達の心が読めない。


「どうしました? 顔色が悪いですよ? ああ、間違えました。顔が変ですよ?」


 シェルファと呼ばれた美少女が、口許だけ微笑み、目は一切笑ってない表情で男に言うと、男は道化のように大袈裟な仕草で額を押さえる。


「すみません。自分の顔が酷いのは理解しているのですが、これも教団での活動を支える為に必要だったのです。お目汚しはご容赦いただきたく」


 やはりだ。どうやっても彼女達に自分のテレパシーが通用していない。これは一体どう言う事か。いやしかし、自分の強度は三あるのだ。テレパシーだけがサイキック能力の全てではない。男は、生唾を飲み込みながら、桃色の未来を妄想する。行ける。これまでだって何度も成功してきたんだ、今回も問題は無い。


「お目汚しの謝罪ついでに余興を」


 これでこの女達は自分のモノだ。男は気合いを入れて、彼女達を念動力で縛り付けた。自分の精神力が、ぎっちり彼女達を縛り付ける感触に、男はニヤリと笑う。


「ああ、先ほどから妙な干渉を受けると思っていたら、その不細工な頭は低レベルの脳改造手術の跡ですか。お話になりませんね」


 水色の髪の美女が吐き捨てるように言うと、彼女達を縛り付けていた感触があっけなく霧散した。


「な、何を?!」

「教団の人間がサイキッカーだというのは、調べればすぐに分かりましたから、それなりに対抗手段を用意するのは当たり前ですよね?」

「た、対抗手段だとっ?!」


 男が絶句した一瞬の、刹那の意識的空白。そのわずかな間に、まるでワープでもしたように、シュルファが男の眼前に現れる。


「殺しはしません。貴方には是非その大きな頭に詰まった情報を必要がありますから」

「な、ぐべばあぁっ?!」


 シュルファの突き出した掌底が、男の顔面を陥没させ、孤児院の壁を貫通し、外へと吹き飛ばす。そのまま体を捻り、真横で呆然と様子を見ていた従者を蹴り飛ばし、何事もなかったように仲間達の方へ歩いていく。その胸にはいつの間に保護したのか、レイジとアベルを抱き抱えて。


「うん、絶対、シュルファ様は怒らせないように注意しよう」


 水色の髪の美女、マリオンは心からそう誓う。先ほどの動き、訓練を受けているマリオンですら見えなかった。戦闘向きの技能はそれほど熱心に訓練していないシェルファだが、もしかしたら天性の才能があるのやもしれない。そう思うと、下手に怒らせるのは危険であると結論付けたのだった。


「あ、タツローとファラも来ましたね。さあ、残った残党も片付けてしまいましょう」

「「「「はいっ! シュルファ様っ!」」」」


 見習いの少女達も、シュルファに逆らってはいけないと理解したようで、それはそれは見事な位に揃った返事をする。その様子に苦笑を浮かべ、シュルファは胸に抱いた少年二人を見る。


「良く耐えましたね。すぐ治してあげますよ」


 その言葉に安心したのか、何とか必死に意識を保っていた二人の体から力が抜け、気絶したように寝息を立て始めた。


「……やはり教団は敵、確定ですね」


 かつての自分を思わせる二人の姿に、改めて教団を倒すという決意をするシュルファであった。

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