電柱コネクター

@ramia294

 電柱コネクター

 その昔。

 

 僕が、まだまだピカピカの中学生だった頃。

 こんな僕にも、人並みに初恋が、訪れました。


 ほんの数カ月前の小学生。

 中学生になっても同じクラス。

 幼馴染の彼女が、ある日、まったく別の存在に変わったのです。

 きっかけは、何だったのでしょう?

 揺れる黒髪?

 こぼれる笑顔?

 ひるがえる、制服のスカート?

 今も分かりません。


 彼女の席は、窓ぎわ。

 僕の席は、扉のそば。

 同じ教室の端と端。

 小学生の六年間、いつも隣の席だったのに、離れている席の間隔が、ふたりにも距離を作ったのでしょうか?


 その距離は、恋を生み出す距離だったのでしょうか?

 恋愛メートル。

 お互いが、恋愛に落ちる距離が、あるのかも知れません。

 僕だけの片思いメートルは、教室の端から端。

 ふたりが、両想いになる恋愛メートル。

 見つけたいと願ったあの頃。


 その頃の僕は、まだまだ子供。

 恋という名の険しい山を登る勇気は、まだ手に入れていませんし、大人という嵐の海に漕ぎ出す心の力も、まだ身に付けていませんでした。


 肉体と精神の成長が、ちぐはぐな、いびつな人間でした。


 そんな僕に、彼女の放つ光は、心の底まで差し込んできます。

 いつから、彼女は、輝き始めたのか?

 目が合えば、僕は視線を外してしまいます。

 その胸の高鳴りが、恋だと気づかず、戸惑い、迷い、ため息をつく日々でした。


 雨を傘でよけるように、夜の闇で人目を避け、月や星を見上げるだけの僕。


 持て余した自分の心は、肉体とは別の存在だと、主張し始めました。

 全てが、今まで通りでいられなくなった事を、感じ始めた時代でした。


 彼女の姿を見たい、少しでも近くに行きたいと、月に願い祈るだけの夜を過ごす日々。

 初めて訪れた胸の痛みを 誰にも言えないでいた、あの頃。

 お月さまだけに、恋の相談。

 お月さまは、迷惑顔です。


 その頃は、スマホもタブレットも存在していません。


 幼なじみ。

 それまでの距離が、近すぎました。

 ふたりの積み上げた時間が、僕の中の意地っぱりの味方をします。

 臆病で、間抜けな僕には、直接告白なんて無理だったのです。

 ただ素直に、好きだと言えば良かっただけなのに…。

 


 それまで、数多く観てきた映画も、たくさん読んできた恋愛小説も、僕の初めての恋物語の手助けをしてくれませんでした。


 しかし…。

 日に日に、胸に膨らむ思いを止める事は、出来ません。

 時に、胸の中の熱い何かが、吐息を彼女の名前に変えました。

 不意に口をつくその名前を、誰かに聴かれやしないかと、周囲を見まわす日々でした。

 誰にも言えない思いを 僕は、初めて持ちました。


 このままでは、膨らみすぎた風船の様に、僕の心は、破裂します。

 

 秋。

 澄んだ空気と、まん丸お月様。

 相変わらず月に祈り、夜風で恋の熱に火照った心を冷やす日々でした。


 深夜のラジオが、恋歌を歌い出しました。


 苦いだけで美味しさが分からなかったホットコーヒーは、大人への階段を上るための飲み物でしょうか?

 心地良い温もりを伝えるカップを片手に、僕の部屋のある二階への階段を上がりました。

 閉めたと思っていた窓があいていて、少し冷たくなってきた風が入ってきます。


 「あれ?」


 机の上に、段ボールの小さな箱がひとつ。

 ラジオは、悲しい歌の歌姫が素っ頓狂な声で、おしゃべりする番組が始まっていたので、深夜一時を過ぎた頃でしょうか。


「インスタントコーヒーを作るために、一階へ降りたときは、こんな荷物はなかったのに」


 これは、マジカルインスタントコーヒーでしょうか?


 ラジオは、倒れた旅人は、再び立ち上がると歌っています。


 荷物のあて先は、確かに僕自身でした。

 中に入っていたものは…。


 電柱コネクター。

 


 固定電話の受話器とそれに繋がるコードが、入っていました。

 商品名は、電柱コネクターと書かれています。

 送り主は、名前だけが、書かれていました。

 同上さん。

 誰でしょう…。


 取り扱い説明書には、簡潔な文が、書かれていました。

 受話器に接続後、反対側を電柱へ接続すると使用可能です。


 電柱?

 あの電柱ですか?


 その頃は、たくさんの電柱が、ありました。

 たくさんの電線が、高くもない空中を恋模様の様に、縦横無尽に張り巡らされていました。

 そして、たくさんの鳥の休憩所があった、優しい時代でした。


 ラジオは、時代の波に呑み込まれる喫茶店が、人生の様だと歌っています。

 

 ラジオのスイッチを切り、お馴染みの夜の街に、繰り出します。

 もちろん、目的は、飲み屋さんではありません。

 ただ、ただ、住宅以外何もない場所が、続く街。

 暗い街灯の数は少なく、お月さまが、出ていなければ、足元も怪しいその頃の街。

 それでも、出来るだけ人目につかない場所の電柱を選びました。


 電柱コネクター。

 電柱に近づけると、接続部分が浮き上がり、簡単に差し込めます。

 

 これで、彼女に話しかけることが、出来るそうです。

 深夜の街。

 薄暗い街灯。

 人気のない電柱に寄りかかり。

 僕は、こっそりコネクターを差し込みました。

 呼び出し音が、3回。


「もし、もし」


 彼女の声が…聞こえました。

 幻聴?

 録音?

 もちろん、彼女に繋がるわけなんか無いと思いつつ、僕は話しました。

 声だけの彼女。

 誰でしょう?

 もしかしたら、お月さま電話相談室?

 それでも…。

 今まで話せなかった思い。

 たくさん、話をしました。 

 避ける様な態度も謝りました。


 学校であった楽しかった事、将来の夢、そして、彼女への想い。

 とても好きな歌。

 その歌を歌う、深夜ラジオから優しく語りかけるパーソナリティ。


 もちろん、現実の彼女には、届いていないでしょう。

 それでも僕は毎日電話しました。

 電話をしてしまいました。

 すると…。

 あんなに孤独で暗かった夜が、明るく、優しく僕を包みます。

 毎夜、毎夜、囁き、囁かれる愛の言葉。

 恋愛物語だけは、たくさん知っていた僕の知識が、初めて役立ちました。


 学校での彼女の席が、隣になりました。

 恋愛メートル。

 両想いに、近づけたのでしょうか?


 彼女が僕に向けた笑顔の意味。

 僕は、期待してしまいました。

 本当は、僕の独り言でしかない、電柱コネクターの会話が、本当に彼女伝わっているかもしれない…。


 そして、あの朝…。


「私もあの歌は、好きよ」


 彼女の言葉。

 昨夜の電柱コネクターでの会話。

 伝わっていました。


 行かないでと心からこぼれる言葉。

 優しい、優しい、悪女の歌。

 僕と君のお気に入り。


 電柱コネクター。

 会話していたのは、本物の彼女でした。


「僕は、君が好きだ」

 

 彼女にしか聞こえない、僕の吐息。

 僕も心から大切な物が、こぼれました。



 それから、数十年。

 僕は、ついに完成させました。


 時間宅配便。


 まだまだ、小さな荷物だけですが、過去の時間に物を送ることが出来るタイムマシン。


「やっと、完成ね」


 温かいコーヒーを僕に差し出しながら妻が、言いました。

 良い香りです。

 あれから、僕は大人の嵐の海へと漕ぎ出し、発明家になりました。

 僕が、発明したかった物は、タイムマシンです。

 過去に荷物を送るタイムマシンを作らなければならなかったのです。


 僕と妻は、お互いの電柱コネクターを大切に取り出し、ダンボールの箱にていねいに、詰め込みました。

 もちろんお互いの宛先を記して。

 送り主は、僕と彼女自身でした。

 あの時、彼女は、僕と同時に電柱コネクターを受け取っていました。


「それにしても、よく頑張ったわね」


 と、彼女。


「そうだね。タイムマシンだから、本当に存在すると分かっていなければ、挫折しただろう」


 僕は、中学生の頃に時間をセットする。


「時間宅配便は、あなたが作った。おかげで、私たちは、付き合い、結婚出来たけど。この電柱コネクターを作ったのは、誰?」


 それは、確かに謎だ。

 電柱コネクターは、僕が作ったものではなく、あの頃に送るだけ。


「あの頃の僕は、君への想いをお月さまだけに、打ち明けていた。だから電柱コネクターを作ったのは、お月さまかもしれないよ」


 妻は、あの頃と同じ笑顔です。


 僕たちは、爽やかな風の吹く空に、ポッカリ浮かぶお月さまを見上げました。


 僕たちの会話が、お月さまに聞こえたようです。


 その姿を少しだけ赤く染めて、恥ずかしそうに、うつむいていました。


        おわり



 

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