第2話 秋香姉ちゃんがはまった世間の罠

「どうしちゃったの? 何か言ってよ。黙りこくってちゃわからないじゃない」

 春香は、姉妹愛から語気を荒くした。

「今は一人にしておいて」

 秋香はぶっきらぼうに答え、一人で缶ビールを一気飲みし始めた。


 そのときだ。急にチャイムが鳴った。

 ドアを開ければ、なんと夏祭りの金魚すくいで知り合った、吉村康祐が立っていた。

「秋香さん、いらっしゃいますか?」

 春香と吉村は、お互い顔を見合わせた。

「あっ、君は夏祭りのとき金魚すくいで知り合ったね。僕、秋香さんにどうしても、伝えたいことがあるんだ」

 なんだろう。とりあえず秋香を呼んできた。

「あれは誤解だったんだ。僕が仕組んだこと?

 とんでもないですよ。僕はただ、部長の指示通り、ホテルのレストランを予約しただけであり、それ以降のことは、僕、何も知らないんですよ」

 春香はピンときた。要するに、仕事をやるなどと言われて、ホテルの一室をとれと言われたんだろう。

 社内のセクハラと違って、相手がクライアントなら始末が悪い。

「何を信じようと、秋香さんの自由ですが、僕は秋香さんに誤解されたまま終わりたくない」

 そう言い残し、康祐は去っていった。


「私、今の仕事に女としての限界を感じてるの」

 秋香がようやく、重い口を開いた。

「私は、一生懸命に後輩に仕事を教えてつもりでも、いびりとしかとられられていないし、クライアントにはセクハラまがいのことはしょちゅうだしね。

 オーナーに相談しても、取り合ってくれないの。僕だって、クライアントから嫌がらせを受けることはしょっちゅうだ。しかし、僕はそれを自分の力で解決してきた。それに、その為に課長待遇で来てもらったんじゃないか。

 君、小学生じゃあないんだよ。いい歳なんだから、自分で解決しなさい。

 セクハラまがいにあたふたしてたら、水商売の女性は商売にならないじゃないか」

 春香は、ため息まじりに答えた。

「確かに、紀元前の旧約聖書の時代から、現代に至るまでまだまだ男性に有利な男性社会だよね。でもねえちゃん、やるだけのことはやってみたらいいじゃん。

 置かれた場所で咲きなさいというでしょう。

 でもどうしても、精神的に苦しかったら、お酒を飲む前に、転職を考えた方がいいよ。でも自殺だけは考えないでね。まあ十五歳から三十九歳までの死因は、病死ではなく、自殺なんだから」

 これが、秋香姉ちゃんに対する背一杯の慰めだった。


 翌日、春香は康祐から呼び出された新店カフェにいた。

 オープンしたばかりの新店カフェで、大きな花瓶に花が飾られ、クラシックの流れる素敵なお店。

 なんだか、ちょっぴり大人になったようだ。

 五分遅れて、康祐ともう一人の男性があらわれた。

「紹介します。この人、僕の信頼できる上司」

「初めまして。私は、天体企画の宇根といいます」

 ギョギョ、天体企画というと、アダルトビデオ制作会社だ。

「今日はおりいってお願いがございます。このDVDを引き取って頂きたいのです」

 見ると、なんと秋香姉ちゃんが写っている。タイトルは「美人派遣社員の不祥事」などという極めて古典的なタイトルだ。

「なんですか。このDVDは。姉がこういったものに出演したとでもいうのですか」

「そうですよ。なんならこのDVD差し上げますよ」

 嘘よ。そりゃタレント志願の女が騙されたのならわかるけど、姉は全く芸能界には興味を示さなかった筈だ。

 春香は、金魚すくい名人康祐に言った。

「どういうこと?」

 康祐は、沈黙を守っている。

「こういうのは、如何でしょうかね。康祐君」

 その男は、今度は紺色の男性が好みそうなパッケージのDVDを見せた。

 なんと、康祐の裸の後ろ姿が映っている。

 タイトルは「美少年狩り、ゲイ好み」女では満足できないあなたをイカセます

などと刺激的なタイトルが書かれている。

 確かに康祐は、美少年の部類に入るだろう。しかし、金のためとはいえ、こんなものに出演していたのか。

 男はにこやかに愛想よく笑顔をつくり、紳士的な態度で話を続けた。

「このDVDはまだ、市販されていませんが、きっと康祐君のイケメンぶりも手伝い、大金に化ける可能性大ありですね」

 まさに余裕しゃくしゃく、一方的に相手を見下した態度である。

「誤解のないように言っておきますが、私はあなた、いやあなたじゃ失礼ですね。

 春香さんのお姉様、秋香さんをこのような、猥雑で悪どい金儲けをしている連中から救い出したいと思ってるんですよ」

 男は、急にバカ丁寧な敬語に変わっていく。それとは、裏腹に目は、獲物を見つけたハイエナのようにぎらぎらと光っている。

 こんな不気味な男は初めてだ。いつかドラマで見た、サラ金会社の社長のようだ。

「このDVDは、もう百枚生産されています。これを春香さんに買い取って頂きたいのです」

 要するに、一見人助けを装った金目当ての恐喝だな。

 しかし、DVDの内容は何なんだろう。

 見てみなきゃわからない。まあ、間違っても姉はいくら金のためとはいえ、こういう類のものに出演する人じゃない。

 いや、しかし、風俗と同じように好きでこういうエッチ系の仕事をする人はいないだろう。借金地獄とか、騙されて契約書にサインさせられ、後からインチキだと気付いて断ろうとすると、莫大な違約金を取られるとか、裁判沙汰になるとかいう話を聞いたことはある。

 秋香姉ちゃんはお人よしで人の誘いに弱いところがあるから、まんまと引っかかったのではないか。私も含めてであるが、法律に疎い人は契約書を読んでも意味不明であり、最後に

「成人ものも含む」という個所をも見逃してサインしたというケースが多いという。

 成人ものというのは、アダルトビデオやストリッパーも含まれるのであるが、たいていの人はそのことに無知な場合は多い。

 ちなみにアダルトビデオの場合は、一本につき最低五百万円の賠償金が必要だという。

 また、水着モデルという名目で現場にいくと、なんとアダルトビデオの撮影場所であり「断ったら、親に二千万円請求にいくぞ」などと五人がかりで脅され、泣く泣く監督の言いなりになったというケースもあるという。


 なんでも、歌手募集のタイトルを信じて芸能プロダクションと契約し、半年間ボイストレーニングをして、レコーディングの現場だと誘われて行くと、そこはなんとアダルトビデオの撮影現場であり、泣く泣く監督の言いなりになる羽目になったという。


 春香は、こういうことは自分一人の胸にしまいこんで、即決してはならない。

 まず、誰かに相談することだという。

 相手はひょっとして、私をびびらせているだけかもしれない。

 これは、悪い奴の典型的な手口である。びびらせ、精神的に動揺させ、思考能力を鈍らせてから自分の思い通りにさせるのだという。

 まず、家に帰って姉にこのDVDを見せて、問い詰めてみよう。

 春香は、初めて口に開いた。

「一応、このDVDは一枚だけ買い取らせて頂きますが、後のことは姉と相談してみます」

 男は、あたかも勝利が保証されているかのような、余裕の微笑みを浮かべながら言った。顔はにこやかを装っているが、目を鋭く春香をにらんでいる。

「まったく世間知らずのお嬢さんだ。そんな呑気なことを言ってる間に、このDVDは世間に出回っているんだよ。一刻も早く、食い止めなきゃ。お姉さんのためにも、そしてあなたの名誉と将来の為にも」

 そりゃあ、確かに私にも世間体はあるし、将来もあるが、こんな詐欺まがい、恐喝まがいなことに屈服するものか。

 だいたい、こんな男の言いなりになるのが悔しいし、この件に応じたらしめしめ、いい鴨が見つかったとばかり、また金をせびってくるだろう。

 詐欺まがい、恐喝まがいの常とう手段である。

 そのときだ。康祐が口を開いた。

「俺もこの人には、騙されたクチだ。芸能界でデビューさせてやるといって、信用したら、このザマだ」

 康祐は、自分の出演しているゲイビデオらしきものを見せた。

 しかし待てよ。報道番組でも放映していたが、なかには写メールで事故で死亡した小学生の顔写真を合成して、ホモ写真化して販売していた元小学校教師もいたという。

 こんなことで、いちいち金を払っていたら相手の思うツボだし、またそれを装った二代目があらわれるにちがいない。

 春香は、バカらしくなった。

「勝手にどうぞ。こんな茶番劇に付き合っているヒマはないわ。今度は、恐喝未遂で警察に訴えるわよ。私の珈琲代だけは払っときます」

 春香は、小銭を置いてカフェを後にした。

 まったく、世の中正当な金儲けではなく、金をタカリにやってくる人がいて、油断も隙もないと思った。

 

 

 

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