ランドセルとアイスクリーム②


私は話を続けた。


「その日は土曜日で、私は弟と留守番をしてたの。二人で一緒に家で遊んでた。ゲームで負けた弟が癇癪を起して泣き出したから、私は必死に泣き止ませようとしたんだけどうまくいかなくて……。だから、好物のアイスクリームを食べさせてあげようと思った。でも丁度冷凍庫のアイスが切れてたから、私は近くのスーパーに一人で買いに出たの。弟を家に残して……。

 アイスを買って帰ったら、家の中にあの女がいて弟が発作を起こしてた。『違う、違う、お前たちが悪いんだ!』みたいなことを言って逃げて行った。あの女は弟に私に通学路で言ったようなことを言って聞かせたんだ。それが大きなストレスになって弟は発作を起こしたの。

 私はすぐに救急車を呼んで、弟は病院に運ばれた。両親も出先からすぐに駆け付けた。私が訳を話すと父は突然私をった。『なんてことをしてくれたんだ!全部お前のせいだ!』父はそう言ってうな垂れて、母も何も言わず静かに泣いてた。実はその頃、弟は大きな手術の予定があったんだって。お金はかかるけど効果の高い手術で、弟は手術予定日に向けて体調を整えているところだったんだ。それが、この発作のせいで先延ばしになった。しかも、執刀医の都合もあるから、すぐには予定を組み直せなかったって」


「だからって、そうなったのは君のせいじゃない……!君がたれる理由にはならない……!」


「普段の父だったらたなかったと思う……。でもあの男子の母親の訪問で、私の両親も疲れ果ててた。それに、これは後になって分かったことだけど、弟の治療でうちにはお金がほとんど残ってなかったんだって。弟の手術費用も借金で工面しないといけなかった。そんな状態だから、私が骨折させた子の治療費とかも家計にかなりの負担になってたんだ。積もり積もったものが爆発したんだと思う……」


「でもそれを雪乃ちゃんに向けるのは間違ってる……」


「そうかもしれない……。でもあの時あの場所でそう思ってる人は誰もいなかった。最初は私も親に自分の言い分をわかってもらおうとした。いじめられていたこと、通学路で付きまとわれたことを打ち明けて……。『私だって辛かった』てね。私がそう言った時の二人の軽蔑した顔は今でも瞼の裏に焼き付いてる。タイミングがタイミングだったからね。ただの言い訳としか思えなかったんだと思う。

 それから両親は、事態の根本的な解決に乗り出した。ただでさえ病弱な弟が、こんな仕打ちを受けたのが堪えたんだろうね。最初は警察に被害を訴えたらしいんだけど、それはうまく行かなかった。あの女は県警察の偉い人と親戚関係で、その時すでに両親の訴えが通らないように、いろんな根回しがされてたらしいんだ。だから両親は、あの女に慰謝料って名目でお金を渡すことで事態を解決させた。家にあいつを呼び出して、それから私に土下座で謝罪もさせた。それであの女は納得したらしいよ。最初からお金が欲しかったのかもね。その後、私たち家族は別の学区に引っ越して、それでやっとすべてが終わった」


「だけど、今回のことでかかった慰謝料とか引越しのお金も全部借金で賄ったから、その後の生活が大変だった。弟の治療にも相変わらずお金がかかるし、かなり切り詰めた生活をしなきゃいけなくて、どんどん家の中が荒んでいったよ。

 両親は最初のころしきりに私を責めた。私も全部自分のせいだってわかってたから必死に謝った。毎日二人に謝り続けた。でも、そのうち二人は私に話しかけさえしなくなった。まるで、私が存在しないみたいに振舞いだした。

 そんな時でも、弟だけは私を気にかけてくれた。あんな目に合わせたのに、『姉ちゃんのせいじゃない』って、そう言ってくれたんだ。その時に私は決めたんだ。私は両親と弟に負い目があるけど、頑張って償っていつか普通の家族に戻ろうって。

 それから私は、借金返済のために朝早くから遅くまで働く両親に代わってほとんどの家事をやった。掃除に洗濯、朝晩の料理。二人は何も言わなかったけど、私の作ったご飯はちゃんと食べてくれた。相変わらず私のことを無視していたけど、それでもいつか許してもらえるんじゃないかって希望が見えた。それからは、勉強も頑張ったんだ。中学校に上がってからもずっとトップの成績をキープしてた。この高校に入ろうと思ったのも県内で一番偏差値が高かったから。合格を両親に伝えるときは緊張と期待ですごくドキドキしたよ。もしかしたら褒めてくれるかもしれないって。実際はただ一言『そうか』って、それだけだった。それでもよかった……。これからまた頑張ればって……。」


いつの間にか私は泣いていた。

両目から涙がとめどなく溢れてくる。

止めなくちゃ。こんな情けないところもう見られたくない。

私は肩を抱く南さんの腕から逃げて彼女に背を向けた。


「一昨年に弟が手術したんだ。私のせいで延期した手術……。成功して今じゃ弟はすっかり元気になったよ。さらに嬉しいことにね、去年の12月で借金を完済したんだって。これは弟が教えてくれた。それから両親はよく笑うようになって、家の中が明るくなった。全部がうまくいってるって思った。だから私も希望が持てた。このまま私のこともいつか許してくれるって……、前みたいな家族に戻れるって……。

 でもね…、一昨日の土曜日、目が覚めると家の中には誰もいなかった。リビングのテーブルには弟の字で書置きがあった。『借金完済のお祝いに家族旅行に行ってきます。姉ちゃんごめん。』って。それを見たときにね、やっとわかったんだ。何をやっても無駄だって。両親が私に振り返ってくれることはないんだって。私はとっくの昔に家族の一員ですらなくなってたんだって。馬鹿みたいな話だよね。こんな話、ほんとにごめ……」


言い終わらないうちに南さんに後ろから抱きしめられた。

背中に伝わる彼女のぬくもりのせいで胸が締め付けられる。

切ないような嬉しいようなよく分からない感情で胸がいっぱいになって涙が止まらない。

彼女の手を握りながら私は嗚咽した。


私が落ち着きを取り戻すと、彼女は私の耳元でこう尋ねた。


「まだ死にたいって思ってる?」


「うん……。私は死にたい……」


「そっか。じゃあ遺書を書くの手伝うよ。書くべきことも、伝えるべき相手も、今話してくれたことの中に全部あったよ。雪乃ちゃんは嫌かもしれない……。でも私の最初で最後のお願いだと思って遺書だけは書いて……」


「私たち何やっても最初で最後だね!わかった。書くよ。」


“最初で最後”

その言葉に私たちはクスクスと笑い合った。

遺書を残したところで、両親の心は動かないかもしれない。

まったくの無意味かもしれない。

でも、南さんと話していて、自分の中に言葉にしていない思いがたくさんあったことに気が付いた。

だから、最後に私の全部を文字にして残そう。

何よりこれが南さんの願いなんだから。


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