8.レーダー、怒って逃走をやめる

「見つけたぞ、レーダー!」


 川に面した船着き場に出たところで、二人は声をかけられた。


 声の主は金髪の女。バーロア公の紋章のついたマントをまとっている。


 あの女騎士、アンナドレット・コーンス卿だ。


 数人の兵士を引き連れている。


「お前、ああいうのとやりたいのか?」


 当人を目の前にしながら悪びれもせず下卑たことを尋ねるケルムに、レーダーもまた平然と答えた。


「ああ。あんなのを涙と鼻水でグチャグチャになるまで犯したい」


「趣味が悪い」


「ゴブリンに理解できてたまるか」


「鼻水でグチャグチャは人間でも引くだろ普通」


 二人の下品な会話を、彼女は咳払いをして止めた。


「レーダー、なぜ逃げた?」


「出かけるだけだ。逃げたワケじゃない」


「ほう」


 彼女は興味深そうに細い眉を少し上げた。


「代官を殺した挙げ句に逃亡して、捕まらないと思っていたのか」


「逃亡なんかしちゃいねえ。言ったとおりギルドには行ったからな」


「ま、それは別にいい」


 代官殺しを不問にされたことで怪訝に思ったレーダーだが、すぐに次の追求を受けてしまった。


「お前が告発するにあたって、報告しなかった事があるな」


「犯罪は犯してないぞ」


「では、早朝に荘園の農奴を全て縛り上げるのは罪ではないと思っているのか?」


「だれも死んでねえんだからいいだろ」


「公の財産を不当に犯したのだ。死人の有無は問題ではない」


「うむぅ」


 レーダーは答えに窮してしまった。


 これを責められてしまうと、レーダーとしては言い逃れができないので開き直るしか無い。


 殺すか。


 そろりと手が腰の剣に伸びる。


 が、それはすぐに止められてしまった。


 目の前の女にではない。隣のゴブリンだ。


「よせ、やめろ!


 お前のヤケにつきあわされるのはゴメンだ!」


 ケルムがレーダーの腕に掴みかかって引き止める。


 だが、レーダーは吠えて剣を抜こうとする。


「どうせ無抵抗なら処刑されるんだ!


 だったら一か八かに賭けたほうがマシだ!」


 流石に彼らが騒ぎ出すと、囲んでいた兵士たちも武器を構える。


 だが、コーンスが手を上げて彼らを抑えた。


「やめておけ。屋敷の惨状を見ただろう。


 あれだけの大立ち回りを一人でやらかすような男だ。


 この程度の人数でどうにかなるわけがない」


 彼女の言葉に、兵士たちは不服そうに引き下がった。


 彼女は続けてレーダーにも語りかける。


「レーダー、お前の告発は事実だった。


 確かにあの代官は過剰に税を取り立てて私腹を肥やしていた。


 そこで、お前に提案がある」


「なんだと」


 予想外の言葉に、彼は訝しげに眉根を寄せる。だが、信用できないので柄を握った手は離していない。


「落ち着け。私だってむやみに優秀な戦士とコトを構えたくはないんだ。


 条件を飲んでくれれば、お前の罪は帳消しだ」


「聞くだけ聞いてやる」


 睨むような目線はそらさないまま、彼はこたえた。


「何、難しい話じゃない。


 お前は引き続き、このミャスラフで仕事をしてくれればそれでいい。


 ただし、今後は私からの仕事を優先的に請けてもらいたい。安心してくれ。報酬はきちんと払う」


「それだけか。今回の告発の報奨は?」


「強欲なやつだな。金については整理して教えてやる。


 一つ、告発の功績は罪科と先程述べた相殺で帳消し。


 二つ、徴収は不調だったが、そもそも依頼が不正なので契約自体が無効で違約金は無し。


 三つ、前金の返済については債権者である代官の権利が剥奪されたので公の召し上げとなるが、次回の私の依頼の前金代わりに立て替えておいてやる。


 以上だ」


「良かったな、レーダー!


 無罪放免だってよ!」


 嬉しそうにレーダーの腰を叩くケルムを一瞥して、レーダーはつぶやいた。


「気に入らねえな」


「えっ」


 ケルムの手が止まる。


「なんでだよ。こんな破格の条件なのに何が気に入らねえんだよ」


「俺を利用しようとしてやがる。それが気に入らねえ」


「じゃあお前、これから公とコトを構えるってのか?


 俺は付き合わねえぞ」


 焦るケルムを無視して、レーダーは言葉を続ける。


「だが、俺に利用価値を見出したことは評価できる。


 俺が虫ケラじゃねえと考えたからこんな破格の条件を出してきたんだろう」


「お前を、意識しているってことか?」


「そうだ。俺を無視しなかった。だからこの話に乗ってやる。気に入らんがな」


 レーダーの決断まで、妙に落ち着き払っていたコーンスが表情を緩めた。


「よかった。


 条件を呑まなければ公から正式にお前の首に賞金がかかるところだった」


「脅しか。先に聞いてたら答えないで逃げてたぞ」


「フフフ、私はその面でも運がいい、ということだ」


 それも気に入らないとばかりにレーダーは吐き捨てた。


「俺は帰って酒を呑む」


「ああ。市内に居る分には好きにしてもらっていい。城外に出る時だけ、門番に伝えてくれ。


 力を借りたい時に居ない場所を探し回るほど不毛なことはないからな」


 彼女の言葉に、レーダーは答えなかった。

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