第169話 躾(前半)

「おじ様! 距離を取ってください! すぐに! 十歩以上です!」


 リンム・ゼロガードの右腕に抱かれて、ふやけた満足顔でさぞかし何の役にも立たなそうに思えた第七聖女ティナ・セプタオラクルだったが――


 意外にも即座に、真剣な表情に切り替えてリンムに伝えた。


 リンムはそれを聞き、「分かった!」と肯くと、ティナを抱いたまま背中を見せて一気に駆け出した。


 慌てて逃げる格好になったものの、バックステップで後退しなかったのは、何だか嫌な予感がしたせいだ。


 実際に、リンムたちを追いかけるようにして、すぐさま、パッ、パッと、光の柱が幾つも立ちあがった。


 そして、リンムがやっと十歩以上離れると、その柱はさながら獲物を逃した雷蛇といったふうに、バチ、バチと発光しながら第三聖女サンスリイ・トリオミラクルムの周囲に何匹も生じてうごめき始めた。


「あれは自動パッシブスキルの『雷蛇の聖櫃せいひつ』ですわ」

「雷蛇……聖櫃?」

「はい。お姉さまのそばに近づくことさえ許さない。意思・・を持った雷による箱型の結界みたいなものです。触れたとたんに消し炭にされます」

「なるほど。懐に入り込まなくてはいけない剣士の俺にとっては分の悪い相手だな」

「ですが、逆にお姉さまもあそこから出て来られなくなります」

「それは……良いことなのか?」

「どのみち、お姉さまは遠距離攻撃の手段をたくさん持っていますから、さして変わりはありません」


 リンムがその答えに「はあ」と小さくため息をつくと、ティナは一時いっとき、そんなリンムにだらりと寄りかかってきた。


「でも……さすがですわ、おじ様。何とかお姉さまと離れることができました。まずはこの距離を確実に取るようにしてください」

「分かった。それでティナ。相手の得物、それに得意な魔術は何なんだ?」

「得物は聖杖に見えて、あれは仕込み鞭になっています。だから、間合いにはお気をつけください。それと、お姉さまの扱う魔術は主に光と雷――特に雷に見えて熱をもたない光だったり、その逆だったりと、お姉さまの歪んだ嫌らしい性根の腐ったかのような中・長距離からの攻撃が厄介です」

「そういえば……守護騎士のほうは?」

「すいません。実のところ、よく知らないのです。私とはあまり接点がなかったものですから」


 そこまで聞いて、リンムは「ふむん」と息をついた。


 同時に、リンムは剣の柄に手を伸ばしかけた。第三聖女サンスリイが雷の牢獄とでも言うべき結界の中にいったんこもってくれたので、ここでティナの拘束でも先に解こうかと思ったのだ――


 が。その矢先だ。


「おや?」


 リンムは眉をひそめた。


 相手の守護騎士ライトニング・エレクタル・スウィートデスの姿がどこにもなかったからだ。


 気配を探ろうとするも、さっきから幾つもの雷蛇がバチバチと派手にうごめいているせいで、魔力マナ探知が得意でないリンムは目と耳で索敵しづらい状況になっていた。


 すると、ティナが咄嗟に「おじ様! 後ろです!」と声を張り上げる。


「何っ?」


 リンムにしては珍しく度肝を抜かれた。


 幾ら何でもいきなり背後を取られるとは思っていなかった。


 実際に、リンムが振り向いたときには、先ほど馬になっていた背の高い美少女みたいな青年が――なぜか筋肉達磨になって凶悪な棘の付いた拳武器をめて両手を振りかざしていた。


「ちい! いつの間に!」


 リンムは舌打ちしつつ、それでも何とか片手剣で拳による攻撃を弾いてから、ライトニングの懐に潜り込み、剣の柄で相手を突き飛ばした。


「ぐうっ!」


 ライトニングはうめくも――


「こ、これは……どういうことだ?」


 リンムはすぐに我が目を疑った。


 というのも、ライトニングがリンムから離れたとたんに視界から消えてしまったのだ。まるで手品でも見せられているかのようだった。


 すると、ティナが冷静にフォローしてくれる。


「おじ様。落ち着いてください。これはおそらく、お姉さまの認識阻害によるものです。『雷蛇の聖櫃』と同時に、この広場に特殊効果をかけたに違いありません。いわゆる光の屈折です」

「なるほど。夜だというのに、幾つもの雷を立ち上げてわざわざ明るくしたのはそれが理由か」

「しかしながら、おじ様は気配を探るのが得意でしたよね? 以前に魔族相手にやっていた、両目をつぶって敵のを探るやつはどうなのですか?」

「これだけ光がチカチカして、さらにバチバチと音も立っていると、それらが気になっていまいち集中しづらいな」


 リンムはそう答えたが、より正確には片腕にティナを抱いたままだと、目をつぶったとたんに頬擦ほおずりされたり、何ならキスされたりしやしないかと、さっきから身の危険をちょっぴりと感じていた……


 いわば、二人の聖女と相対しているようなものだ。たまったものじゃない……


 ともあれ、さすがにティナも今の戦況を理解しているようで、まずは姉に勝つべく「ふんす」と鼻息荒く、


「それでは守護騎士の索敵は私にお任せください。身動きできない分、魔力探知に全力を出す所存です。何なら私を盾にしてくださいませ」

「いや、さすがに盾にするつもりはないが……とりあえず索敵は任せたよ」


 リンムはそう応えて、「さて」と改めて第三聖女サンスリイに向いた。


 とはいえ、リンムの眉間の皺は深いままだ。気配を上手く探れないことがこれほどまでに焦りに繋がるとは思わなかった。


 いや、気配を探れないというよりも――正確にはリンムの目、耳、鼻や肌触りといったものが完全に狂わされている。


 まるで状態・精神異常にでもかかったようで、どうにも落ち着かない……


 さらに二対一の状況で、こちらはティナを抱えて左腕を使えない上に、どこにいるのか分からない守護騎士ライトニング、また鞭、雷蛇や魔術などで遠距離攻撃を仕掛けてくる第三聖女サンスリイの相手をするのはさすがに分が悪い……


 となると、まず優先すべきはティナの自由を取り戻して数的不利を打開することだ。


 リンムはそんなふうに考えをまとめて、相手の出方を見極めてからティナの拘束を解く隙をうかがおうとしたら――


「おじ様! おかしいです……守護騎士らしき魔力マナが周囲に幾つもあります!」


 その言葉に、リンムはかえって自分の感覚が狂っていなかったのだと安心できた。


「やはりか! てっきり、この『雷蛇の聖櫃』のせいで感覚がおかしくされたのかと思っていたんだが……まさかと思うが、守護騎士が何人も付いているなんてことはないよな?」

「何にせよ、来ます! また後ろです! いや、今度は左側! いえ! すぐに反対――」


 今度はティナが惑うものの、リンムは次々と現れ出てくる守護騎士ライトニングの攻撃を全て受け流した。


 さすがは帝国の女将軍ジウクや王国の老騎士ローヤルから「人族では当代随一」とまで評価されたリンムだ。


 逆に懐に入り込まれたならば、むしろ剣の技が勝る。その技量の凄まじさに下手な小細工は全く通用しなかった。


 それを理解したのか、ライトニングが幾人も姿を現して、「くく」と初めて笑ってみせる。


「あれだけ男嫌いと噂された第七聖女様が男性を騎士に任命したと聞いたときには驚かされたものですが……なるほど。これだけの力量を持った剣士ならば肯けるというものです」


 そんなお世辞にリンムはそっけなく対応する。


「こちらも驚いたよ。まさか守護騎士が幾人もいたとはね。いや、違うか。他の者たちは実在していない上に認識阻害でもない――これは『分身』とかいうやつだな?」


 リンムの問いかけには、ティナも、またライトニング本人も驚いた。


 ぱち、ぱちと、手を叩いて称賛する。


「素晴らしい。よくぞ気づきました。たしかに私は騎士でありながらしのび――狩人の上位職たる暗殺者の中でも、さらに特殊な『忍者』と謳われる一族の末裔です」

「……まさか本当に存在するとはな。昔、師匠の持っていた古文書に『侍』なる職業が記されていてね。興味本位で読みふけったわけだが、そこで知ったんだ」

「知識も豊富とは恐れ入りますよ」

「ただ、一つだけ聞きたい」

「何ですか?」

「忍のわりには、ぺらぺらとよくもまあ喋るものよな。いったい、何を企んでいる?」


 リンムが目つきを鋭くすると、ライトニングはさらに口の端を歪めてみせた。


「ご安心ください。すでに企みは終わっております」

「何だと?」

「さあ、上空をご覧くださいませ」


 さすがに視線誘導の罠かとみて、リンムは宙に目を向ける愚を犯さなかったものの……


 その一方でティナが「あ、あ、あああっ!」と声を荒げた。


「おじ様……申し訳ありません」

「何だ? 急にどうした?」

「私としたことが完全にお姉さまにめられてしまいました。『雷蛇の聖櫃』も……認識阻害による光の屈折も……それに守護騎士による分身とやらも……全てはあれを隠す為の布石だったのです」

「あれ……とは? いったい、宙に何があるんだ?」


 リンムがそう問いかけると、ティナは震える声で呟いた。


「月が――落ちてきます」

「は?」


 これにはリンムもさすがに宙に視線をやらざるを得なかった。


 実際に、宙を覆うばかりの光球がそこにはあった。月とはものの例えに過ぎなかったわけだが――たしかに月が落ちてくるかのようだ。リンムも呆然とするしかなかった。


「これは絶対……絶命と……いうやつか」


 そう。第三聖女サンスリイは認識阻害で隠蔽していたのだ。


 そして、今まさに宙では雷蛇たちが集まって、『雷球』となってリンムたちに迫ろうとしていた。

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