第168話 油断大敵
『初心者の森』の入口広場に第七聖女ティナ・セプタオラクルがリンム・ゼロガードを伴って姿を現すと――
まず、第三聖女サンスリイ・トリオミラクルムが守護騎士ライトニング・エレクタル・スウィートデスの背から下りてゆっくりと進み出てきた。
そして、両腕を胸の前で組み、顎をやや上向け、鷹揚に「ふん」と鼻息を鳴らす。
直後だ。
ティナはサンスリイの前まで歩んで正座してから、素直に頭を下げた。
「サンスリイお姉さま……
この殊勝な態度には、そばにいたリンムだけでなく、広場にいた皆が唖然となった。
神の奇跡でもまざまざと見せつけられたといったふうで、まるで凶悪な魔族が戦わずして魔核を差し出してきたようなものだ……
それだけティナの傍若無人ぶりはほんの数日しか付き合いのない者たちにもよく知れ渡っていた。
もっとも、「躾けが大事です」と
「法国を出国して以来、貴女のことをずっと心配していたのです」
そんな穏やかで慈しみのある話しぶりには、今度は老騎士ローヤルだけでなく、その場にいた全員がやはり呆然とした。
てっきり開口一番で雷を落とすとばかり思っていた。もちろん、この場合の雷とは叱責と稲光の二つの意味合いである。
だから、ローヤルは特大の稲妻が森内に落ちてきたときに備えて、どうやって消火活動すべきか、入念な対応まで考えていた。
それがあっけなく無に帰した。とはいえ、基本的には何事もないのが一番なので、ローヤルはとりあえず「ほっ」と息をついた。
が。次の瞬間だ――
リンムも、ローヤルも、同時に「はっ」と固唾を飲んだ。
というのも、何とまあサンスリイが地に片膝を突き、ティナと同じ視線になってからギュッと抱き締めたのだ。
「貴女に怪我もなく……無事で……本当に何よりです。良かった」
それはまるで聖女が如き、慈愛に満ち溢れた抱擁だった。
いや、そもそもサンスリイは聖女なので、聖女が如きと形容するのはおかしいのかもしれないが……
いずれにしても、これまであまりに聖女らしくない言動ばかり見てきたローヤルにとっては衝撃の一言だった。
すると、刹那だ。今度はティナがサンスリイをきつく抱き締め返した。目に涙を浮かべて震えてさえいる。
「いつもお姉さまにはご迷惑ばかりおかけします。こんな
しかも、これまたいかにも聖女らしい、しおらしさだ。
当然、リンムにしても、親友のスーシーにしても、この第七聖女は果たして本当にティナなのかと目を疑った。
何者かが認識阻害でティナに成り代わっているのではないかとみなした方がよほどしっくりときた……
というか、もしやこれはダークエルフの錬成士チャルあたりが何かしら仕掛けているのではないかと、二人してチャルに視線をやったほどだ。
もちろん、チャルはやれやれと肩をすくめたわけだが……何にしても、リンムとスーシーにとってはまさに青天の霹靂だった。
そんなティナの健気さにうたれたのか、サンスリイも目もとが濡れていた――
「許しましょう、ティナ」
「ありがとうございます、サンスリイお姉さま」
「結局のところ、貴女は聖女として未熟なのです。私の指導が足りなかった。私の不徳とするところです」
「いえ、お姉さまのご指導は十分でした。私が未熟なのは、努力が足りなかったせいです」
「いえいえ、貴女が努力の子だということは誰もがよく知っておりますよ」
「いえいえいえ、これからもお姉さまに頼ることなく、誰しもに認められるように、一人前の聖女を目指して一層の努力に励んでまいります」
「水臭いですよ、ティナ。私と貴女は
「うふふ。これ以上、お姉さまの手を煩わせることこそ、妹の不徳と致す所存ですわ」
「何を言うのです。今こそ、私こそが正しく導かねば」
「お姉さまこそ、何を仰っておられることやら。私なぞより迷える信徒たちをお導きくださいませ」
……
…………
……………………
広場にはしばらく静寂だけが下りた。
いや、正確にはギチギチと何かを締め付けるような衣擦れの音だけが上がった。
最早、言うまでもないだろう。ティナとサンスリイは
ティナが涙を浮かべて震えていたのも何てことはない。サンスリイによる胴体への絞めつけがあまりに強力だっただけだ。
おかげでリンムも、老騎士ローヤルも、嫌な予感しかしなかった。
実際に、夜なのでよく分からなかったが、空ではいかにも不穏そうに曇天がゴロゴロと音を立てていた。
ローヤルもここにきて、消火活動の詳細を詰めていてよかったなと自画自賛した。また、リンムも「どうせこうなると思っていたよ」と、とほほと肩を落とした。
もっとも、勝負は一瞬だった。
「ねえ、ティナ?」
と、第三聖女サンスリイがティナを離してほんの少しだけ距離を取った。
そのときだ――
「隙を見せましたね、お姉さま! 今ですわ!
ティナがそう声を上げると、二人のいた地面に魔法陣が浮かび上がった。
それこそが、ティナがこの入口広場で領主チャカ・オリバー・カーンを人質に取っていたときに設置した罠だった。
どうやら『
もっとも、そんな拘束の呪詞がまとわりつく中で、意外にもサンスリイは笑みを浮かべてみせる。
「やれやれ。やはり私の指導はまだまだ足りなかったようですね」
サンスリイはそれだけ言うと、「ふんっ」と拘束をあっけなく無効化したのだ。
「いったい……どういうこと?」
ティナは
他にも幾重にも設置罠は張り巡らしてあったはずなのに、全くもって作動する様子を見せない……
これにはティナも
「何てことはありません。貴女がここに戻ってくる間に、広場を幾度か回って全て解除しておきました。そもそも、ここは冒険者たちが休む場所なのでしょう? そんなところに凶悪な設置罠を放置しておくわけにはいきません」
いかにも常識的な話ではあったが、当然のことながらティナは警戒した。
サンスリイに本来、常識なぞ通じない。この姉は今、たしかに「放置しておくわけにはいかない」と語った。ということは――
「まさか!」
ティナは自らの足もとに視線をやった。
そこには
どうやら土魔術の設置罠『物理拘束』のようだ。硬度な土の拘束具がティナの足枷となって、ティナがよろめいたところで後ろ手にも枷が
「きゃ!」
ティナは思わずよろめいた。
そこをリンムがフォローして左半身で受け止める。
「おじ様……」
「大丈夫か、ティナ?」
「はい。何とか……ただ、さすがはお姉さま。この土の拘束具は簡単には壊せません」
「あくまで物理的なものみたいだな。それならば俺の剣で斬れるだろう。何とか斬る隙を見つけるから、ちょっとだけ待っていてくれ」
リンムはそう言って、ティナを左腕に抱いたままでサンスリイと対峙した。
すると、サンスリイはまた「すう」と息を吸い込んでから、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「貴方がティナの報告にあった、冒険者のリンム・ゼロガードですね?」
「そうだ。お初にお目にかかる。ティナと貴女との間にどのような事情があるのかは分かりかねるが……何にせよ俺はティナの騎士なのでね。どうあっても守らなくてはいけない」
リンムが片手剣の柄に右手を伸ばすと、今度はサンスリイの守護騎士ライトニングが立ち上がって前に進み出てきた。
そのライトニングに守られながら、サンスリイは「はあ」とため息混じりに言ったのだった。
「それではやはり――躾の時間です。リンムとやらも、よろしいですね?」
―――――
熊さんたちが出てこないので、熊成分というわけではないですが、ベアハッグはプロレスの技で、通称「クマ抱っこ」と言われています。要は、ボクシングのクリンチ強化版とおったところですね。
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