第165話 おっぱじめる

「口づけを交わす」→「おっぱじめる」とタイトルが続くのに、なぜこうも期待できないのだろうか……



―――――



「全くもって待っていないですわ!」


 第七聖女ティナ・セプタオラクルがどんどんと地面に足を叩きつけ、「むー!」と両頬を膨らませて抗議するも、エルフの女将軍ジウク・ナインエバーは眉をひそめるだけだった。


 とはいえ、ジウクも朴念仁ではないので、「ああ、そういうことか」と気づいて詫びを入れた。


「もしや……夫婦の営みの邪魔をしてしまったか。それはすまないことをしたな。しかしながら、森の川べりで堂々とおっぱじめるとは……二人とも逃亡中ということを忘れていやしないか?」


 ジウクがそんな疑問をていすると、今度はリンム・ゼロガードが顔をしかめた。


「待ってくれ、姉弟子よ。おっぱじめるとか言い出しているが……俺は何もそこまでするつもりはないぞ」

「では、どこまでするつもりだったのだ?」

「そ、それは……ふ、ふ、雰囲気次第というか……」

「あら、おじ様ったら……いけず」


 ティナにからかわれただけで、齢四十歳を超えて見事に惑うリンムである。


 それはともかく、リンムとしてはもう一つ看過できないことがあったので、でれでれとくっつくティナをずいとズラしてからジウクに訂正した。


「そもそも、何を勘違いしているのか知らないが――俺たちは夫婦でもない」

「そ、そうだったのか?」


 ジウクは即座にティナを見て、「それではいったい何なのだ?」と尋ねる。


「たしかに私たちはまだ肉体的には繋がっていませんが、我が騎士として精神的に深く結びついています。ねえ、おじ様?」

「深く……結びつく……? う、ううむ、まあ、たしかに……」

「ですから、夫婦ではなくとも魂の伴侶ソウルメイトに違いありません」


 どこか煮え切らないリンムに比して、ティナはきっぱりと言い切った。


 とはいえ、当然のことながらジウクにとってはいまいちよく分からない関係性だったので、自称・・内縁の妻として再度確認した。


「つまり、二人はまだ恋人だったということか? 現地妻ではなくて?」


 これにはさすがにリンムも即座に抗議した。


「そもそもからして、現地も何もティナはイナカーンの街にすら住んでない」

「何だと?」

「イナカーン地方にはお役目で来ただけだ。その役目を果たした以上、今後、ティナがどうするのかは俺にはまだ分からん」

「そのお役目というのは……冒険者の依頼クエストのことか?」


 ジウクからしてら、リンムとティナの関係はてっきり冒険者繋がりだとばかり思い込んでいたが、リンムは「は? 依頼だと?」といかにも訝しげに答える。


「どこをどう見て、ティナを冒険者だと思ったんだ? 彼女は聖女だぞ」

「は?」


 今度はジウクが眉間に皺を寄せる番だった。


 もっとも、リンムの紹介を受け、ティナはさも平然と悪びれずに言い切った。


「はい。私は法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルですわ。このイナカーンの街にはとある・・・調査でやって来ておりますの」


 さすがに奈落の調査と魔族の討伐の話を持ち出さないだけの分別はあったものの……


 何にしても、ジウクはまさに鳩が豆鉄砲でも食ったかのような顔つきとなった。そうはいっても、これまでティナは一言も嘘をいっていない――


 多分にリンムに対する誇大妄想的な発言はあったものの、イナカーンの街を拠点にする冒険者で、かつリンムの現地妻だと勝手に勘違いしたのはジウクの方だ。


 これにはジウクも額に片手をやって、「そうか。ティナは聖女だったのか」と呟いてから、かえって大声で「あはは」と笑いだした。


 普通なら「よくも虚仮こけにしてくれたな」と怒るところなのに、これほど見事に思い違いをしていたわけだから、最早、「天晴あっぱれ」と清々すがすがしい気分だ。


 そもそも、ジウクから見てもこの娘ティナはあまりに可笑しすぎた――


『森の民』みたいな狩人の嗅覚を持ち合わせ、攻撃役アタッカーのように平然とぐーで魔物を殴って、さらにこれほどに俗世の欲にまみれた聖女などいてたまるか。


 ジウクはいっそ胸のすく思いで、「はああ」と大きく息をついてから、


「それで貴様たちはこれからどうするのだ? 恋人の・・・営みの続きでもまたおっぱじめるのか?」


 と、尋ねた。もし続きをするつもりなら、終わるまではせいぜい露払いくらいはしてやろうと本気で思った。


 が。


「いえ。私たちは――戻ります」


 ティナはそう言い切った。


 帝国には逃げずに、イナカーンの街へ――正確には第三聖女サンスリイ・トリオミラクルムのもとへと。


 ティナはとうに覚悟を決めたのだ。


 そして、ギュッとリンムの右手を握った。リンムもそれに応えてくれた。


 そんな二人を見て、ジウクは「ふう」と小さく息をついて、いかにもやれやれと肩をすくめてみせる。


「仕方がない。乗りかかった舟だ。最後まで付き合ってやるさ。どのみちティナが本当にリンムの妻になるつもりならば、これから色々と話さなくてはいけないことがあるのだしな」


 ジウクとしては魔族の暗躍とそれを許している現在の帝王ヘーロス三世にリンムを当てたかったので、何にしても二人のそばにいることに決めた。


 ついでに言うと、この破天荒な法国の聖女がいったいどんなことを仕出かすか、ちょっとだけ興味もあった。


「私は背後から遅れて付いていこう。森の闇の中に隠れているよ。どのみちチャル様には気づかれるから、あまり戦力として当てにしてくれるなよ」


 ジウクはそう言って、森の陰の中に紛れていった。


「では、行きましょうか。おじ様」

「ああ、そうだな。ティナ」

「私たちの戦いをおっぱじめますよ」

「そのだな……おっぱじめるという言い方は止めないか?」

「え? いいじゃないですか。ジウクが言い出したんですから、きっと古代エルフ語ですよ」

「いやいや、女の子がいう言葉じゃない気がするんだよなあ」


 ともあれ、こうして三人はイナカーンの街に戻ったのだった。

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