第155話 転調(イナカーンの街・門前→初心者の森・獣道)

「なあ、聖女殿よ。もうやめじゃ。これぐらいで十分じゃろう? ここにはどうやら――誰も・・おらんよ」


 王国の老騎士ローヤル・リミッツブレイキンはそう言って、鷹揚に肩をすくめてみせた。


 直後、ギルマスのウーゴ・フィフライアーは再度、守護騎士ライトニング・エレクタル・スウィートデスたちの前で盛大にずっこけた。


 当然のことながら、幕舎設営の手を止めて戦いを見守っていた者たちも「はあ?」と首を傾げたし、ウーゴは「いったい……ど、どういうことですか、老師?」と突っかかった。


 また、幾人ものライトニングたちも全員が訝しげな表情で、自らの主人たる法国の第三聖女サンスリイ・トリオミラクルムの指示を仰ぐ――


 すると、そのサンスリイもまたやれやれといったふうに「ふう」と小さく息をついた。


「たしかに貴方の仰る通り、結局のところ、誰もいなかったようですね……ええと、アデだったかしら? 報告をしてちょうだい」


 急に話を振られた格好のBランク冒険者のアデ=ランス・アルシンドだったが、さして慌てる様子もなく、淡々と報告を始める。


「はい。お二人が幾度か隙を見せたときにも攻撃を仕掛けようとした者はおりませんでしたし、絶好の機会となるはずだったつい先ほどの瞬間も――怪しげな動きを見せた者は皆無でした」


 その言葉に、聖女サンスリイではなく、老騎士ローヤルが「ふむん」と首肯する。


「はてさて、どうじゃ? 聖騎士団副団長のイケオディ殿よ。この機に街に入り込もうとした不審者はおったじゃろうか?」


 そんな老騎士ローヤルの問い掛けに、門前にいて観戦していた騎士たちは――


「え? 副団長がいたのか?」

「やべ。設営サボったのバレたぜ」

「副団長なら大丈夫だろ。団長だったら、逆にしばかれてただろうが」

「俺はむしろスーシー団長になじられたい」


 と、それぞれ顔をしかめたものだが……


 門の陰にこっそりと隠れていたイケオディ・マクスキャリバーが出てきて、これまた冷静にローヤルに返答する。


「はい。侵入者はおりませんでした。逆に出て行ったのは、リンム・ゼロガード殿を中心とした高ランクの冒険者たちのみです。どうやら敵はこの機に乗じてこなかったようですね」


 そんな副団長イケオディの言葉で、聡い騎士たちはやっと気づいた。


 つまり、この門前でいかにも突発的に生じた戦いは――実のところ、帝国の残党のあぶり出しを狙ったものだった、と。


 一見すると、いかにも反目し合っていた老騎士ローヤルと第三聖女サンスリイだったが……


 互いに知己のある者同士だし……ローヤルが懐に入ったときに止めを刺さなかったのも、またサンスリイが最後まで一度も『雷撃』を落とさなかったのも、いかにもおかしな話だった。


 それに先ほどの魔族が何者かを操れる能力を持っているならば、どこかに隠れ潜んで、騎士たちをまた支配下に置く可能性はあった。


 となると、この性格的に苛烈で、いかにも直情径行なサンスリイは意外にしたたかなのかもしれない……


からめ手が得意ってのも意外だったしな」


 と、騎士の誰かがふと呟いたところで、サンスリイは「ふふ」と笑みを浮かべて錫杖をまた両手に構えた――


「もちろん、続きはしていただけますよね?」


 その問いかけにローヤルは「はあ」と息をついた。


「わしはもう年じゃ。そろそろ休ませよ」

「そうはいきませんわ。先ほども言ったはずです。貴方の大陸最強の称号が欲しいのです。さあ、いざ、改めて尋常に勝負!」

「ウーゴ、それにイケオディよ」

「……はっ!」

「はい!」

「わしの代わりに相手をしてやれ。そのかわり聖女殿よ。こやつらに勝ったら、相手になってやるぞ。どうじゃ。それなら文句はなかろう?」

「仕方ありませんわ。では、雑魚なぞ、さっさと片付けるといたしましょうか」


 何はともあれ、こうしてイナカーンの街の門前では新たな即席のコンビが聖女と守護騎士に挑んだわけだが――聖騎士の鎧を纏った副団長のイケオディに幾度も雷が落ちて死にかけたのは言うまでもないことだった。






「おっもしれえ! 相手は『森の民』か! いいぜ、こうなったらやってやるぜ!」

「お姉様……一応、言っておきますが、これは潜伏任務スニーキングなのですからね。あまり派手に暴れないようにお願いしますよ」


『初心者の森』の入口広場から少しだけ離れた場所では、王国の現役Aランク冒険者のアルトゥ・ダブルシーカーと、詐術士シイティ・オンズコンマンがダークエルフの錬成士チャルによる襲撃を受けていた――


 飛んできた矢だけでなく、気づかないうちに闇魔術の『暗闇』まで受け、アルトゥは「ちい」と舌打ちしつつも即座にバックステップして、樹を背中にして双鋏を取り出した。


 近衛騎士のローヤルやウーゴとは違って、冒険者なのに互いに背中合わせになって協力しないあたり、この義理の姉妹の仲の悪さが垣間見られるというものだが……


 シイティの方は闇系の魔術を得意とするとあって、アルトゥほど『暗闇』にかかっていないのか、すぐそばにいたギガントベアのくまきちの背に回って、ぶつぶつと詐術の呪詞らしきものをこぼし始める。


「くまは盾。くまは鎧。くまは兜。くまは真っ先に矢にささり、あるいは剣をその身に受けるお馬鹿なけだもの――何なら今晩の夜食」

「クマアアアーーッ?」


 くまきちは悲壮な声を上げるも、逆らうすべもなく、しだいにとろんとした目つきになった。


「くまきち! 騙されるな! お前は森の奥に逃げろ!」


 アルトゥはそう叫んだが、くまきちはシイティのそばを離れなかった。


 すると、樹々の陰からなのか、それとも夜のとばりからなのか、どこからともなくチャルの声音が下りた。


「ほう? 詐術か……これは、これは、懐かしいものだな」


 その言葉にくまきちの背後にいたシイティがひょっこりと頭を出して、周囲を警戒しつつ問い掛けた。


「詐術をご存じですの? 私以外に使い手はいないと思っていましたが?」

「まあ、そりゃあそうだろうね。禁忌の闇魔術だから、今となっては詳しく記された古文書などもろくに残されていないはずだよ」

「つまり、長く生きているダークエルフだから知っていたということですか?」

「そうではない。そもそも、詐術は私の師匠が開発した術式なんだ。とある御方を言葉で洗脳しようとしたのがきっかけさ。まあ、所詮、悪戯みたいなものさね」

「…………」


 得意の詐術を悪戯と称されて、さぞかしシイティは怒っているかと思いきや――


 どうやら学究肌のシイティには詐術を詳しく知っていそうなチャルにかえって興味が湧いたようで、早速捕えて尋問しようと腕まくりを始めた。


「おい! 糞妹シイティ! あたいたちの目的は入口広場にさっさと行くことだろうが!」

「あらあら? ついさっきまで森の民相手に殺る気満々だったというのに、急に怖気づいてしまったのですかあ?」

「何だと?」

「ゴリラはゴリラらしく、うほうほと戦えばいいのです。せいぜい私の邪魔はしないでくださいませ」

「むっかついた。やっぱテメエはぐーで殴る!」


 何だかつい数分前とは全く立場や主張が異なっているのが、この姉妹の可笑しさではあったが……


 とにもかくにも、シイティとくまきち、さらに『暗闇』にかかったアルトゥは無謀にも森の中でチャルに挑んだのだった。

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