第149話 熊さんに出会った

 イナカーンの街の門前で戦いの幕が落とされかけていたとき、『初心者の森』の獣道では王国の最高峰たる冒険者二人が仲良く……もとい、一人はスキップしながら「るんるん♪」と鼻歌を歌い、もう一人は嫌々ながらそれに付き合わされる格好で進んでいた。


「あるー、ひっ♪」

「ある日……」

「もりのー、なっかあ♪」

「森の中……」

「くまさんにー♪」

「熊さんに……」

「であった♪」

「――って、ちょ、ちょ……本当に! 巨熊が出てきたじゃないですか!」


 そう叫んで、明かりを前にかざしたのは詐術士のシイティ・オンズコンマンだ。


 実際に、眼前にはこのあたりを縄張りにしているギガント・グリズリーが両手を上げて、「がおおっ!」と牙を剥き出しにしていた。


 こちらはさすがに『熊さん』こと領主のチャカ・オリバー・カーンとは違って、いかにも凶悪そうな肉食獣だ。優にシイティの二倍ほどの体格を誇っている。


 ちなみに、この森にやってくる駆け出し冒険者はこの巨熊の存在を察知して出会わない、もしくはたとえ遭遇しても逃げられるようになって、やっと一人前だと認められる。逆に言えば、それだけ討伐は難しいと認識されているわけだ。


 が。


「おおーっ! くまきちじゃねえか! ひっさしぶりだなあ!」


 王国最強の現役Aランク冒険者アルトゥ・ダブルシーカーはというと、巨熊と同様に諸手を上げてみせた。


 そして、さも懐かしそうに巨熊を抱き締め、互いにばしばしと体を叩き合って、久しぶりの邂逅を喜んで――いるのはどうやらアルトゥだけで、傍から見れば、巨熊は容赦なくアルトゥを襲っていた。


 とはいえ、アルトゥは全く気にしていない……


「さっきから巨熊の鋭い爪で背中をえぐられようとも、ろくに傷一つ付かないって……我が義姉ながらいったいどんなゴリラなんですか……」


 これにはシイティも呆れ顔だ。


 事実、巨熊は抉ろうとも、叩こうとも、潰そうとも、全く動じないアルトゥに恐れをなし始めたばかりか、ちょうど腹部のあたりを抱き締められ……もとい、ぎゅーっと絞め・・つけられて、悶絶の表情を浮かべた。


「何だか、あの熊が可愛そうになってきましたわ」


 もっとも、アルトゥはご機嫌だ。


「いやあ、くまきちに会えるなんてついてるなあ」

「が、る……る」

「兄弟姉妹は元気にしてるか? お前らってたしか五匹ぐらいいたはずだよな?」

「が……」


 ついにくまきちこと巨熊もそろそろ息が絶え始めたので、シイティがわざわざアルトゥの肩をつんつんと突いて、くまきちの惨状を理解させてあげた。


 これには凶悪なはずの巨熊もシイティに感謝しきりだった……


 もう一つちなみに、巨熊の母親も兄弟姉妹もすでに他界している。先日、魔王アスモデウスの実験の被害者になったせいだ。生き残ったのはこのくまきちだけで、おかげでくまきちもかえって威厳を保つ為に領域テリトリーに入った者には――容赦しないはずだった。


 が。


「くうーん」


 今ではまさに金太郎と熊状態である。


 アルトゥはくまきちの背中に乗って、「すまんかったなあ」と頭をなでなでしながら入口広場に進んでいた。


 ここにきてくまきちはやっと思い出していた。かつてくまきちの母や兄弟姉妹だけでなく、湖畔の主だった大蜥蜴まで従えた小さなゴリラ・・・がいたことを――いわば、これは本当のぬしの帰還である。弱肉強食の世界に生きるくまきちは素直にアルトゥに従った。


「くまさーんの♪」

「熊さんの……」

「がるがるる」

「ゆーこっと、にゃ♪」

「言うことにゃ……」

「がる?」

「おじょおーさっん♪」

「お嬢さん……」

「がるるん」

「おにげーなさいっ♪」

「お逃げ……って危ないですわ!」


 シイティが叫んだ通り――しゅっ、と。


 風を切って、一本の矢がアルトゥに向けて飛んできた。だが、アルトゥは簡単にそれを掴んだ。


「あっぶねーなあ。いったい誰だよ?」


 アルトゥが木々の暗がりを威嚇すると、そこから一人の人物が現れた。


「すまなかったな。いかにも凶悪そうなゴリラと熊が仲良く入口広場に向かってくるように見えたんだ。まさか人だったとは……」


 シイティは再度、明かりをその暗がりに向けたところ、木陰から出てきたのはダークエルフの女性だった――錬成士のチャルだ。


 これにはアルトゥもシイティも驚かされた。先ほど『妖精の森』で出会ったエルフだってこの大陸ではとても希少な亜人族だが、ダークエルフとなると伝承ぐらいでしか聞いたことがない。


 しかも、二人はすぐにそれぞれの武器を構えた。チャルがいまだに殺気を放っていたからだ。


「お前たちが冒険者をやっている、リンムの義理の娘ということでいいな?」

「へえ、親父を知っているのかよ? まさかどこぞのエルフみたいに婚約者だとか言わないよな?」

「言わんさ。ただ、そのエルフではなく、本当の婚約者というか……自称婚約者というか……まあ、押しかけ女房みたいな頭のおかしいやつから依頼されてな」

「依頼だあ?」

「ああ、そうだ。ここで二人と一匹にはしばらく大人しくしてもらうぞ」


 錬成士チャルはそう言って、再度、弓を構えて暗がりの中に消えた。


 さらに、アルトゥとシイティの視界では陰が滲んでいった――そろそろ夜になるというのに、さらに状態異常の『暗闇』だ。どうやら気づかないうちにアルトゥたちは攻撃を受けていたらしい……


「おっもしれえ! 相手は伝承の中の『森の民』かよ! いいぜ、こうなったらやってやるぜ!」

「お姉様……一応、言っておきますが、これは潜伏任務スニーキングなのですからね。あまり派手に暴れないようにお願いしますよ」


 こうして入口広場から少しだけ離れた場所で、これまた戦いの火蓋が切られたのだった。



―――――



タイトルを「熊さんに出会った」にするか、「チャルさんに出会った」にするか、少しだけ悩みました。戦闘回のプロローグみたいな話が二つ続きましたが、次話ではついに入口広場に舞台が移ります。

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