第141話 共謀する
ここは『初心者の森』の入口広場――
法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルはいきなり飛んできた矢を聖杖で叩き落としてから木陰へと吠えた。
「いったい何者ですか?」
「ほう? 私の気配に気づくとは……なかなかの手練れだな」
帝国の女将軍、エルフのジウク・ナインエバーはそう言って、弓の構えを解き、樹々の間からゆっくりと歩み始めた。
両手を上げて追撃の意思がないことを示した上に、わざと視線も地に落としている。
その様子を見て、ティナは両手に持ち直した聖杖をいったん腰に帯び……それでもまだ一応は狙われた領主チャカ・オリバー・カーンの前に立ち塞がった。
「なぜ、いきなりこの者に対して矢を放ったのですか?」
「ギガント・グリズリーに見えたんだ」
「ギガント・グリズリー?」
「他所から来た冒険者なのか? この『初心者の森』に生息する三匹の
そう言われても、ティナは冒険者ではないのでよく知らなかった。
ただ、今は冒険者風の格好で『初心者の森』にいるわけだから、ジウクが誤解するのも仕方のないことか……
そのジウクがさらに釈明を加える。
「かなり暗くなってきたから、遠目からだと巨熊が両手を上げて女冒険者に襲い掛かっているように見えたのだ。すまなかったな」
ティナは「ふむん」と小さく息をついた
たしかに領主チャカに両手を上げさせ、枝上に吊り上げようとしていたところだ。
遠くからだと熊にそっくりなチャカが駆け出しの女冒険者を襲っているように映ったかもしれない……
と、ティナは納得しかけて、「ん?」と首を傾げた。
「あら? 貴女はたしか、『妖精の森』で会った……」
「ほう? 私のことを知っているのか?」
「はい。もちろんですわ。おじ様の内縁の妻を勝手に自称していた、頭のおかしいエルフじゃないですか?」
ティナは悪びれずに言って、また聖杖を両手に持ち構えた。
何せ、先ほど『妖精の森』で激闘を繰り広げたばかりの相手だ。
ただ、あのときは魔剣に操られていたせいでかなり好戦的だったが……今は落ち着いているのか、ずいぶんと雰囲気が違った。
もっとも、そのジウクはというと、「おじ様?」、「内縁の妻?」とティナの言葉を反芻して顔をしかめる。
「もしや、そのおじ様というのは――イナカーンの街に住むリンム・ゼロガードのことか?」
「そうですよ。私の愛する旦那様です。貴女が何者かはよく知りませんが、おじ様は絶対に渡しません!」
ティナが「がるる」と獣の如き咆哮を上げると、意外にもジウクは「やれやれ」と降参のポーズを強調した。
「まあ、リンムも年だからな。現地妻の一人や二人……いるだろうことは想定済みだ」
「おや? やけに冷静なのですね。先ほどはおじ様を
「む、む、貪るだと?」
それについては吸血鬼のラナンシーから聞かされていなかっただけに、ジウクはさすがに動揺した。
微かに記憶にあるのは、リンムに昔の約束の言質をとったことくらいだ。
もちろん、それとて帝国を支える臣下として、英雄の血を絶やさない為であって、決してリンムを愛しているからではない……
まあ、修行時代にジウクを負かした人族としてそれなりに認めるのに
と、ジウクは苦虫を嚙み潰したような表情になりつつも、「はあ」とため息をついた。
「まあ、いい。リンムに人族の若い妻がいるのは構わん。大事なのは、リンムが
その一言に――なぜかティナはガビーンとショックを受けた。
というのも、このときティナの頭の中では
「え? 今、貴女は……おじ様に
「そうだ。場合によってはしっかりと勃興してもらわねばならん」
「ぼ、ぼ、
「当然だ。実力を鑑みれば、リンムは中興の祖になりうる人物なわけだからな」
「チューが濃厚そうな人物!」
「ん? チューだと?」
「やっぱり、貴女はおじ様を貪る気満々じゃないですか!」
見事に頭の中が中学生男子な聖女である。何ともひどい勘違いだ。
とはいえ、実のところ、ティナもこれには悩まされてきた。リンムがティナのナイスバディに全くもって反応しないせいだ。
もしや性欲そのものが枯れ果ててしまったのではないかと心配するほどで、ティナはどうやってそんなリンムを落とすかと悶々としてきた。
もっとも、リンムからすれば、ティナは義娘スーシーの友人であって、その守護騎士になるかどうかはともかく、少なくとも恋人とはみなしていなかった。
性欲はたしかに枯れつつあるとはいえ、そういう意味ではティナのぼいーんは目の毒そのものだ……
そんな事情はともかくとして、ここにきてティナはピキーンと閃いた。
いっそこの内縁の妻を自称するエルフに手伝ってもらって、リンムを強引にでもベッドに誘うべきだと考えたわけだ。いやはや、欲望にだけは忠実な聖女である。
「いいですか、そこのエルフ?」
「急に何だ?」
「私が第一夫人、貴女はあくまで第二です」
ティナからすれば、本当はリンムを独占したかったが、ここらへんはさすがに貴族子女――
力を有する者が愛人を持つことにさして抵抗はなかった。
また、ジウクからしても、英雄の血が継がれることこそが大事なのであって、女の格付けなぞに興味はなかった。
「そんなことは別に構わないが……それより、さっきから気になっていたことを聞きたい」
「何ですか?」
「貴様はこの入口広場で何をしているのだ? 見たところ、ここには狩人による陣地構築がなされて、しかもその熊みたいな人族の周囲には土魔術の設置罠まで仕掛けてあるようだが?」
「じきにここにおじ様がやって来ます」
「ほう? リンムが?」
「はい。そして、おじ様を追って、厄介な敵も付いてくるはずです」
「敵……とは?」
ジウクの目が急に鋭くなった。リンムに仇名す者ならば許さないといったふうだ。
もちろん、リンムを追ってではなく、領主チャカを
そんなティナがジウクにさも平然と告げる――
「相手は法国の聖女です。話など全く通じない、非道で、危険で、好き勝手し放題、かつ凶悪そのものと言っていい、あまりに強大な敵です」
鑑があったらそこに置きたいくらいの発言だったが、ともかくジウクはピンときた。
以前に法国の第七聖女がイナカーンの街にやって来ると耳にしていたからだ。
もっとも、その聖女の暗殺は帝国にいる魔族たちの担当で、ジウクとは関係なかったから詳細は知らなかった。
何にせよ、どういう事情かは知らないが、リンムと聖女が対立したのか、この
そう考えて、ジウクは「ふむふむ」と納得した。言うまでもないが、そんな事実は微塵もない。
「なるほどな。そういった込み入った事情があるならば、ここは私に任せろ」
「……え?」
「私がこの入口広場でその聖女や追手とやらを食い止めてやる。貴様はリンムを連れて、どこぞにでも隠れていろ」
ティナは思わず感動して、ジウクの手を取った。
「ありがとうございます! 貴女の名前をお聞かせいただいてもよろしいですか?」
「ジウクだ」
「私はティナと申します」
その瞬間、ジウクはやや眉尻を上げた。
たしか法国の第七聖女もティナという名前だと思い出したからだ。
ただ、ティナ自体はそれなりによくある女性の名前だし、まさか聖女が冒険者の格好をして、狩人なみの陣地構築まで出来るとはこのとき夢にも思わなかった。
こうして勘違いは加速して……何にしても、最凶最悪のタッグが組まれたのだった。
―――――
領主チャカ「…………」←お馬鹿なのでツッコミを入れられず
さて、今年もまたバレンタインネタで近況ノートにSSを上げる予定です。
とはいっても、スケジュール的に今は『トマト畑三巻』の特典SSにかかりきりで、14日(水)は難しいので、週末になるかと思います。お待ちくださいませ。
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