第138話 逃げ出す

 法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルは女司祭マリア・プリエステスに連れられて、イナカーンの街の教会にやって来ていた。


「いったい何ですの、マリア? 改まって話があるって? しかも、教会にわざわざ呼び出してまで?」


 ティナはそう尋ねて、つんと下唇を突き出した。


 せっかくリンム・ゼロガードにくっついていた――もとい、義理の娘たちが揃って離れて、リンムを独占する機会が到来したところだ。


 しかも、今は神聖騎士団長スーシー・フォーサイトも何やら事情があって、騎士団の詰め所に立ち寄り、こうして一時的に女司祭マリアが護衛を継いでいる。


「これでつまらない用事でしたら、もう護衛なんていらないですからね」


 ティナはぷんすかと両頬を膨らませた。


 もちろん、マリアは護衛しやすいようにと、ティナを教会まで呼び出したわけではない。


「大丈夫です。決してつまらない話ではないはずですよ」

「本当に?」

「はい。それはもうお約束いたします」


 マリアは淡々と言い切って、聖堂の扉を閉めて、鍵をかけ、関貫まで差し込んだ。


 この様子にはティナも「ん?」と訝しんだ。


 だが、マリアは平静そのもので、ティナに聖堂の椅子に座るように促す。


 もちろん、ここにティナを呼んだのは、もとはと言えば、冒険者ギルドのギルマスことウーゴ・フィフライアーが仕入れ、Dランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツが託した情報を伝える為だ――


 それも確実に・・・だ。


「え? 急に何を始めるの、マリア?」


 ティナはそう言って首を傾げた。


 というのも、マリアはまずティナに足枷・・めたからだ。


 その足枷には重たい鉄球が付いている上に、ティナを後ろ手にして手枷も嵌めて、さらには猿轡まで咬ませる。


 まるで大罪人でも拘束するかのような扱いで、これにはさすがにティナも困惑するしかなかった……


「んー、んんん、んぐっ(どういうことですの、これは)?」


 そんなティナの戸惑いに、女司祭マリアはやっと答える。


「ティナ様。冷静に、暴れずに、かつ逃げ出さずに――私の話を確実に・・・聞いてくださいますか?」

「んー、んぐんぐうううう(だから、何だって言うのですか)!」

「明日の昼ぐらいに、この街に第三聖女サンスリイ・トリオミラクルム様がご訪問なさいます」


 直後だ。


 鉄球付きの足枷が嵌まっているのに、ティナはがばっと立ち上がり、聖堂の扉まで瞬時に移動した。


 もちろん、後ろ手に手枷もされているので扉はさすがに開けない。そんなわけでティナは躊躇うことなく、扉にヒップアタックをかました。


 しかも、猿轡などものともせずに、無詠唱でいつの間にか身体強化バフまで施している始末だ。


 これならば、たとえ何者かに誘拐されても問題はなさそうだなと、かえって女司祭マリアは「ふむん」と息をついたほどだ。


 それはともかく、ドン、ドン、ドンッ、と、幾度もヒップアタックを繰り返して扉ががたつき、関貫も折れ始めたので、マリアはティナの足を払ってその場に倒した。


「落ち着いてください、ティナ様。まだサンスリイ様はこちらに到着しておりません」

「んー、ぐぐぐぐっ、ぶるああああ!」


 ここにきてティナはついに猿轡を噛みちぎった。とんでもない馬鹿力である。同時に、ほとばしるかのように叫んだ。


「でも! すぐに来るんでしょ?」

「はい。領都はとうに出られたとのことで、あと半日ほどではないかと予想出来ます」

「あの人にとっての半日なんてものの数分よ! いざとなったら『超電磁砲レールガン』を飛ばして、びーんとやってばーんと来られるんだから!」

「もちろん、存じております。ただし、今回は何かしらご公務とのことで、王国の王都を経由して案内人も雇って、正式にご訪問なさるとのことです」

「だからと言って、今! この瞬間に! この扉の先に立っていないとは限らないわ! だって、サンスリイお姉様ですもの!」


 ティナはついに「えーんえーん」と子供みたいに泣き始めた。


 どれだけ法国の神学校の姉妹スール時代に上下関係を叩き込まれたのか。この一幕でも分かるというものである。


 もちろん、女司祭マリアは庇ってきた立場だったので、当時と同様にまずはティナに『平静カーム』の法術をかけてあげた。


「よろしいですか、ティナ様。ご公務で来られるということは、おそらく守護騎士の件に違いありません」

「私が正式な手続きを経ずにおじ様を迎えたということ?」

「はい。そもそも、法国への報告も羊皮紙一枚で済ませたのでしょう?」

「まさか……私からおじ様をはく奪しようとしているの?」

「むしろ、そうするかどうかを決める為にサンスリイ様はいらっしゃるのではないか、と」

「ダメだわ……いくらおじ様が強く、逞しく、立派であろうとも、サンスリイお姉様の虐めやしごきに耐えられるとは思えない……」


 それ以前に、リンムが果たして正式に守護騎士を引き受けるかどうかという問題はあったものの……


 何にせよ、ティナは絶望的な顔つきになった。


 せっかく『平静』をかけてもすぐにまた『絶望』になるのだから、女司祭マリアは「やれやれ」と額に片手をやってため息をつくしかなかった。


「仕方ありません。気付けというわけではありませんが――『凶化バーサーク』」


 今度は困難に立ち向かわせる為に、法術で何とか奮い立たせようとした。


 が。


 それがマズかった……


 ちょうどそんなタイミングで、がたついていた聖堂の扉が外側から開いたのだ――強引にゴリラ並みの力で開けたのはスーシーだった。


「こちらに法国の第七聖女ティナ・セプタオラクル様はいらっしゃいますか?」


 そのスーシーはというと、領主のチャカ・オリバー・カーンを連れていたので、礼儀正しく問い合わせをした。


 実は、スーシーが一時的に詰め所に戻ったのも、領主チャカからティナへの仲立ちをお願いされたからだ。


 ただ、今回ばかりはあまりにもタイミングが悪かった。


 実際に、扉が開かれた瞬間――


 ティナは「がるるる」と、淫獣モードになって、まずスーシーに飛びかかってその腰に帯びていた剣を奪った。


 しかも、剣を口に咥えて、見るも鮮やかに手枷と足枷を斬った。


 さらにはスーシーの隣にいたティナの倍ぐらいの体格の領主チャカをとっつかまえ、その首に剣の刃先を当ててみせる。


「私を追って来れば、この男を殺します」


 さすがにスーシーもこれには体裁を取り繕うことが出来ず、親友の名前を叫んだ。


「は? 何を言っているの、ティナ?」


 一方で、領主チャカは魔獣にでも襲われたのかのように「たた助けてえええ」と怯えるだけだ。


 女司祭マリアは再度、「はあ」とため息をつくしかなかった。


「ティナ様。いったいどうするおつもりですか? どのみち逃げ切れませんよ。それは貴女が一番よく分かっていることでしょう」

「それでも……おじ様と一緒ならば……何とかなるかもしれないわ!」


 当然のことながら、スーシーと領主チャカはいったい何のことだと互いに顔を見合わせた。


「繰り返します。私を追ってきたらこの男を躊躇なく殺します。『初心者の森』の入口広場におりますので、至急、おじ様に来るように伝えてください」


 ティナはそれだけ言って、まさに獣の如く、領主チャカの首根っこを掴まえてどこかに飛び去って行ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る