第132話 魔族と聖女と暗黒騎士は踊る(後半)

 はあ、はあ、はあ、と。


 その者・・・は稲畑を掻き分けながら無様に進んでいた。


 先ほどまでは刈り取られた畑ばかりだったが、ここらへんは黄金色に輝く稲たちがまだ背高く伸びている。隠れるにはちょうど良い場所だ。


「まさか……あんなことになるとはな」


 その者は無念そうに呟いて、つい先ほどの出来事を思い出していた――


 イナカーンの街と領都との間の一本道にある、収穫物を仮置きする納屋が並んだ広場でのことだ。その者は、さくっ、と。納屋内に閉じ込められていた同僚たちの縄を短剣で切った。


 見張り番の冒険者の大男は「ぐーすかぴー」と鼾をかいていた。


 もちろん、その大男――Dランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツとて、簡単に寝入るようなタマではない。


 実際に、幾つかの状態異常耐性のアクセサリーを常時装備しているし、もとは王都で名を馳せたBランク冒険者とあって、幾日か寝ずの番だって余裕で出来る。それが今や、どさりと地に崩れ落ちた。


 強烈な眠りの香でやられたのだ。


 そもそも、ドクマワール家は暗殺一家だ。魔族が作った蟲毒に頼らずとも、こうした工作は十八番おはこだ。


 それに、暗殺を生業にするだけあって、基本的に実行役と見届け役は分かれている。


 つまり、近衛騎士イヤデス・ドクマワールやその家人たち以外に、こっそりと隠れて様子をうかがっていた者がいたわけだ。


 本来、そんな監視役の家人はたとえ同僚たちが捕まっても、我関せずで情報だけ持ち帰るものだが……


「さすがに次期当主イヤデス様を助けないと……マズいよな」


 と、「やれやれ」と肩をすくめつつも、番の冒険者スグデスを眠らせて、納屋に閉じ込められた同僚たちを助け、さらにイヤデスに伺いまで立てた。


「この冒険者はいかがしますか?」

「殺すな。ちょうどいい。イナカーンの街について知っていることを洗いざらい吐いてもらう」

「はっ」

「貴様はもういい。これまで通りに隠れていろ」


 イヤデスにそう言われたので、その者はまた身を隠した。


 とはいっても、周囲は収穫後の畑だ。その者は認識阻害が使えないので、術式が編み込んである黒いマントを羽織った。


 そんなタイミングだった――


 ぱか、ぱか、と。どこからか馬蹄の音が鳴った。


 いや、それは正確ではない。馬蹄の音が鳴ったのではなく、馬自身・・・が「ぱか、ぱか」と声を上げてやって来たのだ。


 これはいったい何事か、と。イヤデスも、家人たちも、またその者も、広場から領都に繋がる一本道に視線をやった。


 すると、そこには馬に乗った、もとい馬の役割をした人の背に乗った貴婦人と、その付き人が歩んできた……


「な、何だ……ありゃあ?」


 さすがにイヤデスも眉をひそめた。


 どこぞの貴族子女が変態行為を白昼堂々しているとみなすしかない状況だったが……


 とにもかくにも、イヤデスはそんな可笑しな貴族子女よりも付き従っている者に注目した――よりにもよって王国のBランク冒険者ことアデ・ランス=アルシンドだ。


 隠密を主な仕事にしているので目立たないベテラン冒険者だが、その腕は確かで、Aランクに近いと謳われて、闇稼業のドクマワール家も幾度か辛酸を舐めたことがあった。


「ちい。厄介だな……いっそ、ここで殺るか」


 幸い、Bランク冒険者のアデは付き人を務めている。


 ここで近衛騎士イヤデスがアデを護衛ではなく、付き人とみなしたのは、なぜかアデは貴族子女のすぐそばではなく、十分に距離を取って、おずおずと後方を歩いていたからだ。


 おそらく平民嫌いの貴族子女の世話でもする依頼クエストを受けたのだろう。アデほどの実力者が動員されるぐらいだから、あの貴族子女は相当な名家の令嬢に違いないはずだが……イヤデスはどうにも思い出せなかった。


 何にせよ――好機だ。


 あの貴族子女を盾にアデを脅してもいいし、何なら数を頼りにさっさと全員殺ってしまってもいい。


 もしくは、貴族子女をさらってその実家を脅迫するのだって悪くない。まさにり見取りだ。元Aランク冒険者のオーラ・コンナーだけでなく、現役のアルトゥ・ダブルシーカーにまで出くわしたときには己の不運を呪ったものだが……


 どうやらやっとイヤデスにも上昇気流の風が吹いてきたようだ。


「付き人の男を殺せ」


 イヤデスは小声で言った。


 家人たちは無言で肯いた。同時に、一斉にアデを殺す為に貴族子女を通り過ぎようとした。


 当のアデはというと……なぜか家人たちが襲い掛かってこようとしているのに微動だにしなかった。武器を出すでもなく、貴族子女を守ろうとするでもなく、はたまた逃げるでもなく――文字通りにぴくりとも動かなかった。


 ただ、アデは「はあ」と息をついた。


 直後だ。


 天が大きく揺らいのだ。


 そして、貴族子女を過ぎようとした者全員に――轟々、と。


 幾筋もの雷が落ちた。より正確に言えば、視界を覆うほどの光の瀑布ばくふが地を叩いた。


 まさに鏖殺おうさつだった。その場には骨の一片すら残らず、家人たち全員が塵芥ちりあくたに変わり果てた。しかも、その渦中にいた貴族令嬢はというと、日傘を片手に「ほっ」と一息をついて、いかにも涼しげな顔つきだ。


「ば、馬鹿な……」


 イヤデスの額からはつうと汗が流れた。


 ここにきてやっと思い出したのだ。『稲光る乙女』と謳われる法国最強・・の聖女――その人物こそ、守護騎士を侍らして変態行為を行っている、最凶・・の乙女だということに。


「ま、ままま、待ってくれええええい! お、おおお、俺は王国の近衛騎士だ! このなりを見れば分かるだろおおお!」


 イヤデスは両手を振りながら懸命に叫んだ。


 ただ、貴族子女に扮していた第三聖女サンスリイ・トリオミラクルムはというと、いかにも「はて?」といったふうに首を傾げた。


「あ、あ、あんたを――いや、貴女様をお待ちしていたんだ! 第四王子フーリン・ファースティル様のご命令だ! イナカーンの街までしかとお連れしろとな!」


 もちろん、そんな命令などなかった。


 アデはまた「はあ」と息をつくと、サンスリイに小声で伝えた――


「この者は近衛騎士のなりこそしていますが、王国の裏社会でも有名な小悪党です。先ほども手下どもに襲い掛かるように命じていました。それに離れた納屋の前になぜか倒れている者もいます。むしろ、そちらがイナカーンの冒険者ギルドが派遣した迎えの者かと。いずれにせよ、ご判断はお任せいたします」


 聖女サンスリイはこくりと肯くと、右腕を真っ直ぐにイヤデスへと伸ばした。


 人差し指と親指を垂直になるように伸ばして、まさに銃を象ったときだ――ぱんっ、と。小気味のいい音が鳴った。


 狙われたイヤデスはまるでテイザー銃にでも撃たれたかのようにその場にどさりと崩れた。次いで、サンスリイはちらりとアデに目をやった。その視線だけでアデはサンスリイの意図を汲み取った。


 同時に、アデは理解した。なるほど、最強の聖女と謳われるだけあるな、と。


「畏まりました。畑に潜んでいた者を追いかけます。その者はっても構いませんか?」


 聖女サンスリイがこくりと肯いたときにはアデはいなくなっていた。


 同時に、先ほどの落雷の轟音でDランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツがやっと目を覚ましたわけだが……


「な、何だか……すげえ音がしたなあ」


 その凶悪な顔つきに驚いた聖女サンスリイがまた幾つもの雷をスグデスのそばに落としたのは言うまでもないだろう。なお、さすがは元Bランクの体力馬鹿だけあって、スグデスは直撃しても何とか耐えたらしい……


 もっとも、アデに追われた者はというと――


「まさか……あんなことになるとはな」


 そう呟いたとたん、その視界は暗転していったのだった。






「いやあ、意外にきれいなものだねー」


 魔女モタは大陸の西の果ての高台にある公国の評議会の議事堂までやって来ていた。


 もちろん、つい先ほどまでこのあたりは奈落を通じて地下世界から湧き出てきた魔物モンスターたちに占拠されていたとあって、公都にも、中央通りにも、あるいはこの講堂にも人気は全くない……


 すると、モタのすぐそばにいた青年――王国の暗黒騎士団長イワン・ストレートブレイドがいまだに周囲を警戒しながら講堂の中心に歩を進めた。


「なあ、モタよ。これだけきれいなまま残してあるということは……魔獣はともかく、魔族どもはそのまま公国を乗っ取るつもりでいたのだろうか?」

「さあねー。さっき何かわめいていた魔族をとっ捕まえた方がよかった?」

「別に構わんさ。まずは公国から魔物たちを一掃するのが先決だ」

「らじゃ! じゃあ、今後も見つけ次第、やっちゃうねー」

「うむ。建物なども……なるべく壊さずにお願いしたい」

「にしし。これまでだって大丈夫だったでしょー? わたし、何も壊していないはずだよ?」


 魔女モタが「えへん」と胸を張って叩いてみせたので、暗黒騎士イワンは「ふむん」と息をついた。


 たしかにブラックホールみたいな世界を飲み込みかねない超弩級闇魔術を放たれたときには肝を冷やしたものだが……その後は何だかんだでモタも魔核だけを狙って、魔物たちをきれいに一掃していった。


 しかも、詠唱破棄に多重術式とあって、その手際の良さにはイワンも呆気に取られたものだ。戦場に出ずっぱりのイワンだからこそよく理解出来た――この魔女は恐ろしいほどに戦い慣れている、と。


「まあ、わたしも反省したかんねー」

「反省とは?」

「昔、とある魔王城を半壊させちってさあ……後からどえらい苦情をもらったんだよねえ」


 魔女モタはしゅんとして、つんつんと指先を突いた。


 これほどの強者に反省を促すほどなのだから、相当な苦情だったに違いない。実際には、モタの朋友に幾日もちくちくと小言をいわれただけなのだが……何にせよ、暗黒騎士イワンはやっと目的である評議会の奈落の前に立った。


「これが奈落か……見るのは初めてだな」

「…………」

「どうした、モタ? 急に黙り込んで?」

「これ……奈落は奈落でも、ただの魔導具だよ」

「それがどうかしたのか?」

「たしか、この奈落を開ける為に――聖女が血を流したってイワンは言ってたでしょ?」

「ふむ。その通りだ。三年前に法国の第六聖女、『清廉な殉教者』ことユーク・ムツセイン様がここで討たれた」


 暗黒騎士イワンがそう応じるも、魔女モタは「んー」と、片頬に手をやって首を傾げた。


「奈落ってさあ。研究によると、自然発生する物なんだよ」

「詳しく教えてくれないか?」

「いいよ。魔力マナって世界中にあるでしょ? そんな魔力でも雨水のように溜まりやすいところや、薄いところがあるのさ。そんでもって、魔力が溜まり過ぎると、世界に穴を空けてしまうんだ」

「その穴がまさか?」

「その通りなのです。地上世界と地下世界の間に通路が出来ちゃうって寸法なわけ。いわゆる――奈落ね」


 魔女モタの説明を受けて、今度は暗黒騎士イワンが顎に片手をやった。


「つまり、ここにある奈落は、魔力の吹き溜まりといった自然なものでなく、魔導具によって作られた人工的なものだと?」

「そゆこっと」

「分からん。どう違うのだ? それと聖女様の血がどう関係ある?」

「この大陸上で自然発生して出来ていたものについては、ずうううっーと以前に、クリーンが封じたはずなんだよ」

「クリーンとは……まさか法国の聖典に出てくる女神様のことか?」

「そそ。女神ね……実態は牝奴隷だけどね……まあ、それは置いといて、法国とやらの聖女は、クリーンと魔力経路が似通った人が選ばれているはずだから、奈落を封じた魔力を解く為にそんな聖女の血が必要だっていうのはまあ分かるのさ。これまたずうううっーと昔に、うちらのとこ本土でも勇者絡みで似たような研究があったからね」

「待て待て。待ってくれ。情報が濃すぎて、理解が追いつかん。つまり、この奈落が人工的に出来たものだとしたら……封を解く為の聖女の血は必要としない? ということは、まさか――っ!」


 魔女モタに言われて、暗黒騎士イワンは驚きのあまり、眼前の奈落をじっと見つめた。


 この奈落が女神クリーンによって封じられたものではなく、三年前に何者かによって設置された魔導具だとしたら――なぜ、第六聖女ユークはここで殉じる必要があったのか?


「ねえねえ、イワン?」

「な、何だ?」

「その第六聖女って……本当にここで死んだの? むしろさあ、あえて死んだってことに……」


 魔女モタはそこで言葉を濁した。


 そこから先はさすがに『清廉な殉教者』と謳われた聖職者に向けていい言葉ではなかった――


 そう。むしろ、この奈落を設置したのが、第六聖女ユーク本人だったのではないか、と? 何なら、彼女はどこかに潜んで、新たな奈落を置こうとしている、とも。


「まっ、わたしの知ったこっちゃないかんねー」


 魔女モタはそれだけ言って踵を返した。


「どこに行くのだ?」

「そりゃ、もちろん、初志貫徹――大魔王から逃げるのさ」

「そうだったな。ならば、ここから大陸の北へと向かわないか? あそこには浮遊都市がある。大魔王とやらも、早々にはたどり着けまい」

「いいね!」


 こうして魔女モタと暗黒騎士イワンはついに法国に向かったのだ。



―――――



次話は第67話以来の「キャラクター表など」になります。


何か知りたいこと、書いてほしいことなどありましたら、応援コメントを掲示板代わりにしていただけたら、Q&A形式にして転載いたしますのでよろしくお願いいたします。

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