第126話 赦し

カクヨムの仕様上、タイトルにルビを触れませんので、こちらのまえがきに記すと――「ゆるし」になります。



―――――



 ぱから、ぱから、と――


 穀倉地帯の一本道から蹄鉄の音が二つ近づいてきた。


 近衛の老騎士ローヤル・リミッツブレイキンと、王国のBランク冒険者こと詐術士シイティ・オンズコンマンがイナカーンの街の門前広場についに到着したのだ。


「フーリン様!」

「お義父とう様!」


 二人の声が重なって、まずはシイティが馬上からリンム・ゼロガードの胸もとへと飛び降りる。


「おおっと! 大きくなったなあ、シイティ!」


 リンムはそう言って、義理の愛娘をすかさず受け止めるも――


 飛んできた勢いのまま、ぐるぐるとその場で回って、まるで恋人同士の熱い抱擁のように見えたせいか……姉のスーシー・フォーサイトが「よいしょ」と、宙にいたシイティの足を掴まえて、強引に地べたへと叩きつけた。


 そんなスーシーの意外に嫉妬深い一面を目の当たりにしたとあって、リンムはやや引いたものの、法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルや王国のAランク冒険者のアルトゥ・ダブルシーカーはというと、「うんうん」と、さも当然といった顔つきだ。


 ともあれ、シイティは魔術学校の制服に付いた土埃を払ってから立ち上がった。


「あ、いたたた……あら? よく見たらスーシーお姉様ではありませんか。ごきげんよう」

「ええ、ごきげんよう。それより、義父さんにいつまでもべたべたくっ付かないでくれるかしら?」

「いいじゃないですか。久しぶりに会ったのですよ。ねえ、お義父様?」

「う、うん。まあ、さすがに馬から飛び降りてきたときには驚かされたが……」


 何にせよ、シイティはしれっとリンムに身を寄せた。この場所なら姉たち・・も無体なことをしてこないという計算づくな行動だ。


 さらに、目敏く一人の冒険者風の格好をした女性を見つけて、これが噂に聞いた第七聖女に違いないとみなして、「ふふん」と笑ってみせた。まさにリンムは渡さないといった挑発だ。


 当然、かちーん、と。


 ティナは宣戦布告がなされたのだと感づいた。


 リンムの愛娘たるスーシーやアルトゥのときにはさして気にならなかったが……もしや冒険者ギルドの受付嬢パイ・トレランスと同様に、このシイティと名乗った小娘も相当な危険人物かもしれないと、ティナは「がるる」と警戒の度合いを強める。


 そんな一触即発な幕が上がりそうなリンムの周辺とは対照的に、第四王子フーリン・ファースティルのもとには老騎士ローヤルが馬から軽快に下りて、すぐさまひざまずいた。


 老いたとはいえ、さすがに年季が違って絵になる騎士である。


「フーリン様。どうやら、ご無事なようで何よりです」

「うむ。ローヤルの爺やか――」


 第四王子フーリンはそこでいったん言葉を切って、「すう」と息を吸い込んだ。


「爺や。いや、我が騎士・・・・ローヤルよ」

「はっ」


 老騎士ローヤルは短く応じるも、やや眉をひそめた。


 これまで一度もフーリンから「我が騎士」などと敬されたことがなかったからだ。そんなふうにローヤルを誇らしげに呼んだのは、前王がその忠勤を労ったときだけだ。


 だから、これはいったい何事だろうかとローヤルが顔を伏せつつ疑問に思っていたら――


 フーリンはわざわざ片膝を地に突けて、ローヤルの肩にぽんと片手を乗せた。


「爺やには、これまで迷惑ばかりかけてきたな。本当にすまなかった」

「…………」


 老騎士ローヤルは無言のまま、微動だにしなかった。どう応じるべきか惑ったせいだ。


 実のところ、ローヤルはこの地で果てるつもりでやって来た。


 同僚の近衛騎士イヤデス・ドクマワールから聞いた話では、魔虫による蟲毒はともかく、第四王子フーリンに掛かっている呪術は解けないものとみなした。


 だから、ローヤルが最期の奉公としてフーリンの呪術を肩代わりして救って、それを機にフーリンに何かしらでも気づいて更生してほしいと願った。


 今にして思えば――フーリンにはこれまできつく当たることしか出来なかった。


 良い警官グッドコップ悪い警官バッドコップではないが、同僚のイヤデスがいつもにこにことフーリンの身に寄り添って甘言を、一方でローヤルは眉間に皺を寄せて諫言をいい続けてきた。


 その結果、ローヤルを遠ざけるイヤデスの策謀にむざむざとめられてしまった。


「…………」


 老騎士ローヤルは無言を貫いた。


 今まで第四王子フーリンには厳しい言葉ばかり投げかけてきたから、こういうときに何と返せばいいのかまだ悩んでいた。


 いやはや、本当に情けない話じゃの……


 と、ローヤルはこうべを垂れつつ、下唇をギュッと噛みしめた。


 結局のところ、ローヤルも同僚のイヤデスと同じ穴のむじなだったわけだ。


 孫のように年の離れたフーリンにきちんと向き合ってこなかった……いつからか小言を左から右に聞き流しているフーリンに気づきながらも放っておいた……


 近衛として王族の身だけを守ればいいと捉えた。どうせすぐに引退するのだ。護衛する王族の心まではおもんぱからずにきた。


 それが何よりいけなかった――


 ローヤルはそんな老人のことを「我が騎士」と敬してくれた若者に答えた。


「すまないということならば……それはわしの方です。どうかお許しください。王子の騎士じゃと仰ってくださったのに、肝心な時にその御身を守ることが出来ませんでした」


 それは絞るような声音だった。


 はてさて、いつから自分の声はこんなに枯れてしまったのか。ローヤルは自身の体から熱量がとうに失われてしまったような感覚に襲われた。


 何にせよ、今の答えでもって処分が下されるに違いない。近衛を除籍か、もしくは身分の剥奪か――


 何なら、これまでの功績も関係なく、投獄される可能性だってある。それほどに王子のそばにいられなかったというのは近衛にとって重罪だ。


 もちろん、かつての第四王子フーリンだったならば、今度こそ喜んで、口うるさい爺やをここで容赦なく切り捨てたはずだ。


 ただ、フーリンは自ら変わりたいと願っていた。


 今こそ、その若さみなぎる熱量でもって、しっかりと応えたいと考えていた。決して遅くはないはずだ。


 何せ、奇跡は起こったのだから――


「爺やよ、よく聞いてくれ。そもそも最も信頼して、相談すべきだった近習に対して、何も伝えずに出てきた俺が悪いのだ。許す、許すまいと言うならば――俺は自分自身を最も許せない」

「……フーリン様?」


 老騎士ローヤルはそこで初めて顔を上げた。


 気がつけば、いつの間にか、フーリンの歪んでいた顔が治っていた。その面立ちは、歴戦の叩き上げたるローヤルですら見惚みとれてしまうほどに美しかった。


 このとき、ローヤルは現王の言葉をふいに思い出した――


「近衛騎士ローヤル・リミッツブレイキンよ。其方そなたに我が子、フーリンを託そう。この子は他の者たちのように武術、魔術、学術、あるいは処世術に特段秀でているわけではない。しかし、見目美しい子だ。その心持ちも美しくなるに違いない。よくよく頼んだぞ」


 そうはいっても、当時から第四王子フーリンは他者を受け付けない子供だった。


 その美しさがかえって他人と壁を作った。近習となったローヤルにも、イヤデスにも、なかなか打ち解けてはくれなかった。


 ゆえにローヤルも結局、最初の一歩を踏み出せなかった。


 今、そんなフーリンがぎこちなく笑みを浮かべて、わざわざ自らローヤルへと寄り添って、「どうか立ち上がってくれ」と手を差し伸べてきた。


 ローヤルは今度こそ素直にその手を握って、共に進む為に立ち上がる。


「王子。一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ああ」

「いったい、御身に何があったのです?」


 その純粋な疑問に対して、第四王子フーリンは「あ、はは」と笑みを浮かべた。


 先ほどのぎこちなさとは一転して、それは心の底から発したもののように老騎士ローヤルの双眸そうぼうには映った。


 もっとも、その笑顔の先にはなぜか――どうにも小汚い、いかにも冴えないおっさんがいた。


 格好からして低ランクの冒険者だろう。それなのに、若い女性四人にたかられて・・・・・、いかにも困っているといったふうだ。


 すると、フーリンはその人物を熱心に見つめながら言った。


「目指したい人物に会った。それだけのことだよ」


 そんな目に。その熱さに。その渇望に近い眼差しに――


 触れたことで、老騎士ローヤルの心に久しぶりに火がついた。


 どのみち老い先短い人生だ。当初は棄てようと思ってやって来たほどだ。それならば、最期に賭けてもいいのかもしれない。


 このとき、王国の誇る老騎士の思いが、その熱さが、その篤き忠誠が――火の鳥のように蘇った。


 直後、ローヤルは再度、フーリンの前で片膝を地に突ける。


「御身が目指すべき頂きにたどり着くまで、この老体が許す限り、ご一緒させていただいても構いませんか?」


 老騎士ローヤルが粛々と尋ねると、フーリンは真摯な眼差しを向けた。


 そして、自らに言い聞かせるように告げたのだ――


「ああ、ゆるす」


 と。

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