第123話 お姫様抱っこする

 宙にて神聖騎士団長スーシー・フォーサイトに真顔で詰められたとあって、


「えいや!」


 と、妖精は第四王子フーリン・ファースティルに纏わりついていた呪詞などを空高く追いやったわけだが――


「このひと……こわいー」


 鬼気迫る表情のスーシーに付き合っていられないとばかり、妖精はまた、


「えいや!」


 と、スーシーと第四王子フーリンに掛かっていた風魔術の『浮遊フロート』を解いた。


 直後、当然のことながら二人は自由落下していった。


「あら?」


 もっとも、スーシーは涼しい顔つきだ。


 喫緊の危険は過ぎて、あとは着地するだけに過ぎない。


 もちろん、かなりの重量の聖盾二つを装備している上に、相当な高さではあったものの……スーシーにとって何てことはなかった。


 一方で、仰天しっぱなしなのが第四王子フーリンだ。


「ぎ、えええええ!」


 脳天真っ逆さまに落ちていたこともあって、一難去ってまた一難……


 第四王子フーリンは今度こそ死ぬのかと覚悟した。死期には走馬灯がよぎるなどと言われているが、このときフーリンにはあらゆるものがスローモーションに映った。


 実際に、地上に目を向けると――


 まず、本来ならば、すぐにでもフーリンを受け止めるべき近習の騎士たちは、いかにも間抜け面でフーリンを見つめ返してきた。


「フーリン様が落ちているぞ!」

「受け止めるべきか? しかし、間に合わん!」

「というか、我々も体が悲鳴を上げていて全く動けん。魔力マナ切れとはこんなだったか?」

「フーリン様を熱く抱き止めたい……」


 そもそも、先ほどの呪術のときだって、魔力マナ経路を暴発させて治したおかげでろくに動けなかったのだ。こればかりは仕方のないことだろう……


「ちい! 役立たずどもめ、もう首だ!」


 次に、フーリンは一縷の望みを持って法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルを探した。


 あの胸に包まれたならば……もしかしたらぼいんと、あるいはぼふんと、何とか無難に着地もとい着胸出来るかもしれないと考えたわけだ。本当にどうしようもない馬鹿である。


 もちろん、ティナからすればフーリンを救う気などこれっぽっちもなかった。


 むしろ、右拳に「はああ」と息を吹きかけて、何なら落ちてきた瞬間を狙って、今度こそアッパーをかます気満々だ……


「なんていう女だ!」


 自分のことは棚に上げて、フーリンはおののくしかなかった。


 とはいえ、そんなフーリンにも救いの手を差し伸べる者がいた――何とまあ、近衛の老騎士ローヤル・リミッツブレイキンが接近していたのだ。


 宙高くにいたフーリンにとって一本道のずっと先に見えた、米粒ほどのローヤルの姿はまさに天の助けに違いなかった。


「ローヤルの爺やあああ!」


 フーリンは叫んだ。


 ただ、どう見てもローヤルは遠すぎた。


 自分から遠ざけて、何も伝えずに王都に置いてきたのだから、まさに自業自得である。


 それに幾ら歴戦の老騎士とはいえど、これだけの物理的な距離は如何ともしがたかった……


 というか、ローヤルとてさすがに目は老衰していたので、このとき宙高く打ち上った米粒・・が、まさか王国の第四王子だとは夢にも思っていなかった。


「何だか……人がゴミのようじゃのう」


 と、馬でぱっかぱっかと駆けながら、そんな感慨を漏らしていた。そんなこんなで結局のところ――


「だ、誰か……誰でもいい……俺を助けろ!」


 フーリンは宙で喚いた。


 涼しい顔で落下しているスーシーとはいかにも対照的である。


 もっとも、そのスーシーとて宙では動けないとあって、さすがにフーリンを助けに行けなかった。


「くう! 誰ぞ、いないのか?」


 フーリンが再度、空高くから眺めてみれば、他にも女司祭や神聖騎士たちもいるにはいるのだが……


 残念ながら、誰も微動だにしなかった。


 これもまた当然のことだろう。たとえ王国の第四王子といえども、ついさっきまでその身に呪術を仕込まれていたのだ。


 他にもまだ何か仕掛けられているかもしれないと警戒するのが普通の感覚だ。


 むしろ、「よっしゃあああ!」と、真下で昇龍拳アッパーを叩き込もうとしているティナの方がよほど可笑しいのだ……


 というか、そもそもティナ以外に傍観していた者たちからすれば、別にフーリンなぞ死んでも構わなかった。


 もちろん、この諦観ていかんには――たとえば、フーリンの人間性に難があったり、色々と問題ばかり起こしていたりと、そういう意味で関わりたくないという思いがありありと含まれていたわけだが……


 その一方で、ティナがいれば、『蘇生リザレクション』で生き返れるだろうと結論付けたに過ぎない。


 結果、


「ぎ、えええええ!」


 と、フーリンは相変わらず絶叫していた。


 泣いていた……


 鼻水を垂らしていた……


 あまりに真っ逆さまで叫びすぎて、よだれがべちょんべちょんだった……


 何なら、じょびっと失禁さえしていた……


 このまま全てが終わるのだとみなしていた。とても短い人生だったな、と。


 何だかよく分からない呪詞に包まれたときもヤバいと思ったものだが……今回の自由落下の方がフーリンにも結末がはっきりと見えているだけに、こりゃあかんと観念出来た。


「人とは……こんなにも、あっけなく死ぬものなのだな」


 フーリンはそう呟いて、涙と涎を片手で拭った……


 ……

 …………

 ……………………


 こんな人生にいったい何の意味があったのか、と。


 フーリンは悔しさを滲ませた。逆に、死してもし別の人生を歩めるのならば――


 次はせめて、他者にやさしく出来るだけの強さを持ちたいと望んだ。


 フーリンだってこれまで望んで憎まれ口ばかり叩いてきたわけではないのだ。


 小さな頃から王子なのに「蝶よ花よ」と、その外見の美しさばかり称えられて、「美」以外に価値なぞないと歪んでしまった。


 本当は美しさよりも強さが欲しかった。


 そんな強さをもとに、誰かにやさしくしてあげたかった。弱さを履き違えた傲慢さなど、最も唾棄すべきものだった――


「ちい。今さらだな。こうして脳天真っ逆さまに……唯一誉めそやされた顔から潰れるというのは……それこそまさに自業自得か」


 フーリンはそう呟いて、ついに目を閉じた。


 ……

 …………

 ……………………


 ついぞ走馬灯はやってこなかった。


 相変わらず全てが間延びしているかのようで、何もかもが長く感じられた。


 そんなとき、ふいにフーリンの耳に声が届いた。「おや、もうすぐ地上か」と、フーリンが耳を澄ましたら――


「では、例のあれをいきますわよー」


 よりによってティナの声が聞こえてきた。


 殴られて凋落が始まり、また殴られて全てが終わるのかと、フーリンもさすがに苦笑した。


 ただ、その声はすぐに別のものに描き消された。


「ダメだ、ティナ。君の手は誰かを殴る為にあるものではない」

「でも、おじ様……」

「これからは誰かを救うために使いなさい。ほら、こんなふうにだ」


 次の瞬間、フーリンの身はぽとりと何者かの腕の中に落ちた。


 その感触が今のフーリンにはやけに――


 温かかった。


 しなやかで強くもあった。


 何より、包容力抜群で、何者をも受け入れるやさしさに満ちていた。


「俺は……いったい……?」


 フーリンがゆっくりと目を開くと、そこには先ほどまで散々、「小汚いおっさん」と蔑んだ者がいた。


 つまり、フーリンはリンム・ゼロガードによって、いわゆるお姫様抱っこされていたのだ。


 そんなリンムがゆっくりと口を開く。


「大丈夫かね?」


 直後。トクゥン、と。


 フーリンの心の鐘の音ベルが高鳴った。


 頬が紅くなった。胸が熱くなった。まるで母にいだかれた赤子のように盲目的に慕っていた。


 だから、フーリンは第一声に――


「お、じ、さ、ま?」


 と、いつぞやのティナと同様、そう呟いていたのだった。


 こうして大陸史上初のA※ランク冒険者兼、守護騎士兼、そして近衛騎士・・・・リンム・ゼロガードが誕生するのだが――それはもう少し後のことになる。


 何にしても、このときフーリンはリンムの胸の中で嗚咽したのだった。



―――――



ちょうど数字が良い並びの123話ですからね。新たなヒロインの誕生です!(違うと思いたい!)

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