第116話 嘲笑う
「ううっ……」
という呻きと共に――
神聖騎士団長スーシー・フォーサイトは自らの喉もとを抑えて苦しみ始めた。
「スーシー!」
リンム・ゼロガードが声を掛けるも、スーシーは「
しかも、突然、なぜかそれで自らの喉もとを貫こうとする……
が。
ぱちんっ、と。
またもや指の音が鳴ると、スーシーはどこかぼんやりとした目つきになって、ぶらりと両手を下げた。
「やれやれ……さすがは王国の神聖騎士団長といったところですかね。操られるくらいならば自死を選ぼうとするとは……見かけによらず苛烈な性格だ」
虫系魔族のティトノスはそう言って、ぱちぱちと手を叩いた。
そして、つい先ほどまで第四王子フーリンが乗っていた馬に「よいしょ」とまたがると、馬上から皆を見下した。
「それでは、
ぱちんっ、と。
また高らかに指が鳴って、スーシーの目は真っ赤に充血した。
さらに服の左袖をまくって銀色の籠手を出してから、「神聖衣、装着」と、淡々と告げる。
直後、スーシーの身を聖なる光が包み込んでいく。銀衣の上に、フルプレートの白鎧が自動で装着されていき、スーシーは神聖騎士本来の姿になった。しかも、スーシーは祝詞を謡って、白鎧を眩いばかりに煌かせる――
「天族形態に移行。女神クリーンの
スーシーが抑揚のない声音で言うと、その身はさらなる光に包まれて、背に天使の羽のようなものが生えた。
以前、魔族のサラもとい、魔王アスモデウスと対峙したときには見せなかった、王国最強の盾と謳われる神聖騎士団長本来の姿を
これにはリンムもつい、
「…………」
と呆然となって、言葉を失ってしまった。
よく知った愛娘ながらも、今のスーシーはあまりに神々しかった。
これぞまさに天使や女神かと、教会付きの孤児院で育ったリンムはつい両膝を地に突いて祈りを捧げかけたほどだ。
もっとも、スーシーは宙に浮いたまま、聖盾を両手に一つずつ構えて、リンムのもとにゆっくりと進み出す。
同時に、魔族のティトノスは踵を返そうとしたので、さすがに呆けているわけにはいかないと気づいたリンムが「行かせるか!」と剣戟を飛ばそうとするも――
操られたスーシーはそんなリンムに盾によって突撃した。
「くっ!」
リンムはすぐに真横に跳んだ。
そんなリンムに対して、スーシーは二つの盾を振るって息つく暇もなく攻撃を加え続ける。
一方で、本来ならば、リンムに代わって魔族ティトノスを追いかけるべき神聖騎士たちはというと――
イナカーンの街の住民たちの避難を優先させていた上に、誰も騎乗していなかったので何ら対応が出来なかった。
また、女司祭マリア・プリエステスも子供たちを抱き寄せていたので、すぐにはリンムに加勢が出来ずにいた。
このとき、街への一本道を封鎖可能だったのは領主の騎士団だったものの……先ほどから領主に殺到する者たちの対応に苦戦していたので、こちらも足止めされていた。
結局、魔族ティトノスは難なく馬で逃げ出すことが出来た……
「あーっは、ははは!」
そんな嘲りだけが広場には残された。
リンムは遠くなる一方のティトノスを視線で追いつつ、スーシーの盾撃を何とか
「ティナ! スーシーたちを治す方法は何かないのかね?」
リンムが声を張り上げるも、法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルはギュッと下唇を噛みしめた。
「先ほどから範囲法術で皆の治療を試みているのですが……なぜか全く効かないんです。つまり、先ほどの魔人特有の種族スキルか、あむいは
「……では、どうすればいい?」
リンムが問い返すも、ティナは何も言えずに女司祭マリアに視線で答えを求めた。
「殺すしかありません」
そのマリアはというと、極めて冷静に二人に告げた。
これにはリンムも、ティナも、ギョッとするしかなかった。ただ、マリアはそんな二人に頭を横に振ってみせる。
「語弊なく言えば、取りついた虫を殺すのです。先ほどからスーシーさんの
「ということは、そこに虫が寄生しているわけなのね?」
すぐ隣にいたティナが女司祭マリアに尋ねるのと同時、スーシーの二つの盾を一本の剣で受け止めたリンムがじりじりと後退させられながらも声を張り上げる。
「全身が
「ありえません」
「どうして断言出来る?」
「もし全身に虫が寄生していたら、激痛で体が動かないはずです。少なくとも、何らかの拒否反応に似た症状が先に出て、いずれかのタイミングで気づけたはずです」
「なるほど。潜伏するには一匹だけの方がよかったということか」
リンムはそう呟いて、スーシーの喉もとに改めて視線をやった。
いつの間にか、喉仏みたいなこぶが出来て、血管みたいに幾つもの筋まで浮かび上がっている。
とはいえ、そんなところに剣を突き刺せば、スーシーは間違いなく死ぬ――なるほど。女司祭マリアが「殺すしかない」と言ったわけか。
「いや……だが、そういうことか……」
リンムはそう呟いて、やっと強引にスーシーを押し返した……
そして、思い出した。先ほど、スーシーは自ら喉に剣先を向けた。明らかに自決するつもりだった。
とはいえ、よくよく考えてみれば――ここには聖女ティナがいる。さすがにずいぶんと魔力を使い果たしているものの、最高位法術の『
つまり、操られる直前のスーシーはそんなティナに賭けたわけだ。
逆に言えば、魔族ティトノスはそれに気づいたからこそ、スーシーの操作を強めてごまかし、さらにはこの場から逃げ去った。
「ちい! 今回は本当に後手に回ってばかりだな」
リンムは舌打ちするしかなかった。
何にせよ、やるしかない――スーシーの喉もとに剣を突き刺すしかないのだ。
あるいは、どうにかスーシーの意識を失わせて、切開するという手もあるにはあるが……そもそも、リンムは薬師の真似事は出来るものの医師ではない。
下手に医療行為を試みるより、慣れ親しんだ剣技の方がよほど信頼出来る。
「だが……果たして、俺に出来るのか」
今度はリンムが下唇をギュッと強く噛みしめる番だった。
大人になったスーシーは見違えるほどに美しくなった。子供の頃のように痩せぎすで、棒切れをふりまわしていたわんぱく
とはいっても、リンムにとっては娘同然に一時を過ごした、かけがえのない子供だ。
どれだけ成長して……たとえ自らのもとから飛び立っていったとしても……子供は子供なのだ。
宿屋の元女将さんがリンムのことを「坊や」と呼ぶように、リンムにとってはいつまで経っても、スーシーだって手のかかる大きな愛娘だ――その喉もとに剣を突き刺すような真似なぞ、親であるリンムにとっては……
「出来るわけがないだろ……」
リンムはよろめいて、つい膝を屈しそうになった。
その隙を突いて、スーシーは容赦なくリンムに盾で薙ぐも、そこに子供たちを逃がしたばかりの女司祭マリアが割って入った。
「何をしているのですか! リンムさん!」
「す、すまない」
「やるしかないのです」
「し、しかし……」
「何なら、私が行いますが?」
マリアにそう突き放されて、リンムは血が滲むほどに唇を噛みしめた。
そして、ついに中段に剣をすっと構えてみせる。マリアが応戦している間に、「すう、はあ、すう、はあ」と幾度も呼吸を整えて――リンムは何とかスーシーの喉もとに剣を突き刺すイメージを作った。
もっとも、リンムにとっては修羅の道を歩むようなものだった。
いっそスーシーに殺される方がまだマシだ。それほどにリンムにとって孤児院で育った子供たちは大切だった。かけがえのない家族だった。
だが、家族というならば――
今、ここでスーシーを止めなければ、街に避難したばかりの子供たちだって危うくなる。
「…………」
リンムは無言で立ち上がった。
「すまない、スーシー……ふがいない
こうして涙に滲む視界の中で、リンムがやっと修羅の形相となって、自ら剣を振るおうとした――
そのときだ。
宙から、ぶうんっ、と。
いきなり何かが唸りを上げて、落ちてくる音がしたのだ。
それがものの見事にスーシーの直上にやって来るも――当のスーシーはというと、羽をはためかせて軽やかにかわしてみせた。どうやら回避盾としても優秀なようだ。
何にせよ、ゴ、ゴゴウウウウ、と。
かなりの土埃が舞い上がって、その中からぶらりと出てきたのは――
「へえ。故郷に錦の旗を飾りに来てみたら……何だかやたらと面白いことになっているじゃねえか」
混迷する一方の街の門前に現れて、操られたスーシーに向けて「あ、ははは」と嘲笑を浮かべてみせたのは、『全てを断ち切る
―――――
というわけで、タイトルの「嘲り」は魔族ティトノスだけでなく、Aランク冒険者のアルトゥも含んだものでした。
第41話「女騎士の矜持」みたいに変身バンクをやりたかったんですが……無駄に長くなるので止めました。
次話からついに姉妹喧嘩が始まります。
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