第114話 決断する

「ねえってば! リンム、どうするのさー」


 妖精たちに急かされて、リンム・ゼロガードはいったん目をつぶった。


 今は一秒でも早く、イナカーンの街に駆けつけたかった……


 リンムからすれば第四王子フーリン・ファースティルがどのような人物なのか、知りようがなかった上に……オーラ・コンナーの寄越した封書には「街が攻め込まれる可能性もある」と付記されていた。


 しかも、頼りにしていた神聖騎士団長スーシー・フォーサイトはなぜか第七聖女ティナ・セプタオラクルに縛りつけられて、さらにはそのティナと第四王子フーリンは一触即発といった状況だ。


 そもそも、師匠である大妖精ラナンシーでも手こずる状況に、果たしてリンム一人で行って役に立つのかどうか……


「だが、師匠には……強くしてもらった大恩がある」


 リンムはそう呟くと、ついに目を見開いた。


「妖精たちよ」

「なーに?」

「力を貸してくれないか?」

「どゆことー?」

「今は……すまんが、イナカーンの街に少しでも早く戻りたい」


 リンムがそう言うと、妖精たちからブーイングが上がった。


「リンムのあほ!」

「人でなし!」

「樹の根っこに指でもぶつけちゃえ!」

「よーし。みんなー。リンムに全身つるっつるになる魔術かけるぞー」


 妖精たちが「おー!」と言って、リンムの毛という毛をむしる呪詞を唱え始めたので、リンムは慌てて説明を加えた。


「も、もちろん、用事を終わらせたら、すぐに『妖精の森』に駆けつけるさ。というか、門前の出来事など迅速に解決する」

「ええー」

「頼む! 後生だ。イナカーンの街に転移してほしい」


 リンムがそう言って、深々と頭を下げると、


「どするー?」

「じゃ、ぼくがリンムに付いてく」

「わたしはラナンシーのもとに戻るー」

「そだねー。森にいるみんながいったん帰れば、何とかもつ・・かなあ? ならないかなあ? とりあえず、ならなかったら――」


 そこでリンムの周りにいた妖精たちがリンムに一斉に視線を向けた。


「「「リンムを焼き討ちじゃー」」」

「わ、分かった……そのときは師匠の仇を必ず討つ。約束するよ」


 何とも、二兎を追う者みたいな事態になりかねない、煮え切らない決断ではあったものの、今のリンムにとってはそれが妥協点だった。


 そもそも、つい最近までFランクの冒険者として細々とした仕事をこなしてきたリンムに多くを求められても困るのだ。


 リンムに出来るのは、せいぜい目の前の物事への対処だ。さすがに世界の危機は荷が重い。


 今はこつこつと身近な問題から解決していくしかない。だからこそ、まずはイナカーンの街の事件だ。


「じゃ。いくよー、リンム!」

「ああ、頼む」

「転移ーっ!」


 もっとも、このときリンムは気づくはずもなかった……


 さりげなく転移の術式に混じって、毛が毟られるものが加えてられていた上に、肝心の転移先がとんでもない場所になることなど。






 そのとき、イナカーンの街の門前では――


 実のところ、さほど一触即発といった状況でもなかった。


 というのも、孤児院の子供たちが今回の演劇・・の主役は自分たちだと言わんばかりに、


「おれがしゅごきしなー」

「ずるーい。わたしも聖女さまをまもりたい!」

「じゃあ、ぼくはこっちのえらそうな人たちのなかまー。ええと……だれ?」

「ふん。あっちは所詮、数がたよりの雑兵ばかりよ。鋒矢ほうしの陣でまずは聖女さまのほーじゅつを突破するわよ!」


 こんなふうに空気も読まずに両陣営にわらわらと分かれて、戦争ごっこを始めたのだ。


 これにはさすがに第七聖女ティナ・セプタオラクルも、「うーん」と天を仰いだし、第四王子フーリン・フォーサイトとて、つい気勢が削がれたのか、片頬をひくひくと引きつらせつつも思考停止に追い込まれた。


 傲岸不遜で知られるフーリンだが、さすがに子供たちに手を出さないくらいの分別はあるようだ。


 もっとも、女の子がフーリンの騎乗している馬をなでなでしながら、


「ほら! 突撃って声をかけて!」


 と、そそのかしたこともあって、第四王子フーリンも「お、おうとも」と流れに身を任せることにした。


 というか、側近の近衛騎士イヤデス・ドクマワールがいなくなってからこっち、はてさてどうすべきかと悩んでいるふしがあった。洗脳がやや解けかけているのだ。


 こうなったら、新たな側近として何だか偉そうな女の子軍師の言うことでも聞いてみるかとまで考え抜いたところで――


 そんな王国の第四王子フーリンの情けなさを目の当たりにして、法国の異端審問官もこれでは埒が明かないと感じたのか、


「フーリン様! 子供たちと戯れている暇なぞないのですよ!」


 と、声を張り上げた。


 今回の遠征ではずっと影のように控えて、第四王子一行に帯同していた異端審問官だったが――フードを目深に被り、全身もマントで隠して、いかにも怪しげな外見だ。


 ただ、聖女ティナの背後にいた女司祭マリア・プリエステスが「くっ」と呻ったように、どうやら審問官とはそういうちらしい……


 事実、その審問官は馬から下りて、ゆっくりと前に進み出てくると、懐から法王勅書を取り出して掲げてみせた。


「第七聖女ティナ・セプタオラクルに告げる! 害悪法術マレフィキウム使用のとがにより法国の異端審問裁判への出廷を命じる!」


 そして、いかにも後は任せたとばかりに第四王子フーリンにちらりと視線をやった。


「そ、そ、そういうことだ! ティナよ! 貴様は、が、害悪……法術とやらを使った! ここで大人しく縄につけ!」


 第四王子フーリンも続けて声を荒げるも、聖女ティナは「ふん」と鼻を鳴らしてから反論した。


「害悪法術って何よ?」

「そ、そ、それは……」


 第四王子フーリンが言葉に詰まると、審問官がこそこそと耳打ちした。


「ふむ。害悪法術については異端審問裁判にて明確にするべきものだ。ここには多くの王国民の耳目がある。その者たちの前で詳しく説明出来るはずがなかろう。貴様も聖女ならばよくよく分かっているはずだ」


 全くもって棒読みではあったが……


 要は、魔族や魔物などの情報を秘匿している以上、奈落の封印に関する法術はおおやけに話せないというわけだ。


 それについてはもちろんティナもすぐに理解した。


 ただ、ティナにとって意外だったのは、第四王子フーリンが力攻めでも、住民たちを人質に取るでもなく――法国の審問官を連れてきたことにあった。


 こんなふうに外堀をいちいち埋める性格ではなかったはずだ。このまま王族の威光と、法王勅書の正統性を主張されるのはティナにとって分が悪い。


 何と言っても、ティナは神聖騎士団長スーシーを縛って門前に転がした上に、そこによいしょとふんぞり反っているのだ。


 どう贔屓目に見ても、ティナの方が悪役に見えるはずだ。


 しかも、今ここにはティナを護ってくれる守護騎士たるリンム・ゼロガードも、はたまた元Aランク冒険者のオーラ・コンナーなどもいない……


 すると、第四王子フーリンがにやりと笑みを浮かべた。


「さあて、俺からは以上だ。情状酌量を鑑みて自ら出頭するか。それとも、街の住民を巻き込んで徹底抗戦するのか――好きな方を選ぶがいい」

「一つだけ、確認したいんだけど?」

「何だ?」

「イナカーンの街の人々に危害は加えない? そこの子供たちも含めて?」

「当然だ。俺を誰だと思っている?」


 第四王子フーリンの答えに、聖女ティナは「はあ」と息をついて、まず『聖防御陣』を解いた。


 次いで、きつく縛っていたスーシーの縄を解いて、「ごめんね」と囁くと、女司祭マリアに向いてから、


「後事は託します」


 とだけ告げて、ゆっくりと歩み始めた……


 ……

 …………

 ……………………


 街の住民たちはざわめき始めた。


 害悪法術と言われても意味が分からなかったし、そもそもティナは宿屋の元女将さんを救ってくれた聖人だ。


 また、街の人々だけでなく、その場にいた神聖騎士たちとて皆、どこか腑に落ちない顔つきだった。


 短い付き合いではあったものの、ティナの人となりについてはそれなりに分かったし、何より最前線で魔族や魔物と戦ってきた彼らだからこそ、奈落の封印が害悪だとする考えにはくみしたくなかった。


 さらに、一番納得出来ていない者が声を張り上げた――神聖騎士団長のスーシーだ。


「ティナ! 行っちゃダメ! これは罠よ!」


 聖女ティナが魔族や魔物と通じていないことなど、親友のスーシーが一番よく知っていた。


 もっとも、その悲痛な叫びは明らかに王族に対する大逆に他ならなかった。


 だからこそ、ティナはそこでいったん歩を止めてからわずかに振り向き、小さく笑みを浮かべてみせると、


「口を慎みなさい。わたくしはたしかに知らずのうち、禁忌の法術を使用していたのかもしれません。その件については、法国の異端裁判にて明らかになるでしょう」


 まるで自らに非があるかのように言って、ティナはスーシーをかばってみせたのだ。


 そんな殊勝な態度に、第四王子フーリンはいかにも勝ち誇った顔つきで、


「あ、ふ、ふひ、はははははははは!」


 そんなふうに嘲笑った。


 直後、スーシーは地面を叩いた。


 思い返せば、今回の騒動中、ティナは常にスーシーを守って・・・きた――


 これまで身動きが取れないように亀甲縛りしたのも、スーシーがティナに肩入れして、神聖騎士団長として部下に責められないようにと、案じてくれたからだ。


 決して、スーシーを玩具にして遊びたいと思いついたからではないはずだ……


「……たぶん」


 スーシーはそう呟きつつも、忸怩たる思いで下唇をギュッと噛みしめた。


 このままティナを行かせれば絶対に後悔する。そもそも、第四王子フーリンとて本当にティナを異端審問裁判にかけるかどうかは知れたものじゃない。


 王都への途上で賊や魔物に襲われたなどと、適当な理由をつけて殺すことだって出来るはずだ。


 そうさせない為にも、神聖騎士団も一緒に付いていきたいところだったが……


 第四王子フーリンのそばには近衛騎士だけでなく、領主の騎士団もいるわけで、むしろ『初心者の森』の魔獣をきちんと討伐しろと命じられるだけだろう。


「くっ……いったい、どうすれば……」


 スーシーはティナの背中を見つめた。


 不思議なことに、これが今生での別れになるのではないかと、嫌な予感しかしなかった。


「こんなことで……何が護衛だ」


 スーシーは幾度も地を叩いた。


 今では副団長のイケオディ・マクスキャリバーがそばに来ていて、


「スーシー団長、どうかお控えください!」


 と、スーシーを制している。


 ここで王族や審問官に楯突いたとがで連坐されたくないのだろう。


 もっとも、スーシーとて団長だ。団員たちにまで責任を負わせるわけにいかないことも十分に自覚していた。


「ティナ……お願い。行かないで」


 スーシーは涙をこぼした。


 今となってはティナの背中すら涙にまみれてよく見えなかった。


 自分の無力さに打ちひしがれるしかなかった。天才と謳われて団長になったのにこのざまだ。


 大切な者を守れずして、何が『王国の盾』なのかと、


「ティナあああ!」


 スーシーは最後に声を荒げた。


 その瞬間だ――


 どこからともなく、


「ほーい、とうちゃくだよー」


 と、孤児院の子供たちに似た、何だか呑気な声音に続いて――


「う、わああああああああああ!」


 という悲鳴が雷号のように轟いた。


 妖精たちの『転移』によって、宙高くからリンム・ゼロガードが落ちてきたのだ。


 しかも、高笑いしている第四王子フーリンのそばにいた異端審問官の直上に脳天真っ逆さまに落ちてきて、ものの見事に――


 ごっつんこ、と。


 豪快な音を立ててぶつかった……


 ……

 …………

 ……………………


 ちなみに、リンムのふっさとは言えない髪の毛だったが……転移のどさくさに紛れて毟られたのか、今やスキンヘッドになっていたのだった。



―――――



前章では、『初心者の森』の湖に真っ逆さまに落ちたのに続いて、今回もまた落ちていくリンムなのでした。


なお、皆さんも気になる(はずの)リンムの毛髪量については90年代中頃のブルース・ウィルスをイメージしています――


「男ってのは髪の量で決まるんじゃない。ハートで決まるんだ」


けだし名言ですね。


そうそう、予定通りならば明日退院で娑婆しゃばに戻ってきます。


『トマト畑』の最新話「トリック オア トリート」同様に、『おっさん』でも近況ノートにてSSを上げるつもりです。よろしくお願いいたします。

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