第113話 溺れる

 ごぼ、ごぼぼぼっ、と。


 魔族のリィリック・フィフライアーは溺れて・・・いた。


 例えでも何でもなく、文字通りにリィリックは川の流れにその身を委ねていたのだ……


 ……

 …………

 ……………………


 思い返せば、あまりに無茶苦茶な戦いだった。


 帝国から『妖精の森』まで一緒にやって来たエルフの女将軍ジウク・ナインエバーが「いざ、いきます!」と、何ら相談も、目配せすらなく、いきなり二振りの剣で薙いだ瞬間――


「ひいっ!」


 と、その斬撃の余波でリィリックの体は真っ二つになってしまったかと錯覚した。


 だが、もっと驚かされたのは大妖精ラナンシーによる攻撃だ。


 即座に自らの左手首を右手の爪で掻き切って、『血の多形術』によって舟のかいみたいな武器を形成すると、聖剣と魔剣による斬撃をいなしてから、紅い櫂の刃先がわずかに欠けて宙に血がこぼれた瞬間、


「散れ。血の刃ブラッディローズよ」


 その血が花びらのように舞って、次いでやじりに変じてジウクに襲い掛かったのだ。


 リィリックはそんな容赦ない範囲攻撃によって、体に無数の切り傷が出来たかと、これまた幻視したほどだった。


 しかも、ラナンシーは『妖精の森』に被害が出ないようにと、妖精たちに命じて結界のようなものを張っていた。


 つまり、もとの半分ほどの魔力しか持たない上に、森を守る為の余力まで残して、帝国最強の一角ジウク・ナインエバーと堂々渡り合っているわけだ……


「これは……次元が違う!」


 リィリックは情けなくも悲鳴を上げた。


 さらには二人がぶつかり合うたび、その余波でリィリックは幾度も「死んだ」と思わされる羽目になった。


 魔族として不死性を有していなければ、とうに二本足で立つことすら出来なかっただろう……


「ここからさっさと逃げなければ……こちらの魔核が潰される!」


 リィリックはそうこぼして周囲を見回した。


 とはいえ、妖精たちがしっかりと結界を作っているおかげで、どこにも逃げ出せそうにない……


 唯一、逃げ場があるとしたら――湖中。そこから繋がる川を通じて海に出るしかなさそうだ。


 ただし、リィリックは残念ながらかなづち・・・・だった。


 これが帝国出身の元人族だったなら、峡湾に港があるので多少は泳ぎも覚えたのかもしれない。


 だが、リィリックは訳あって魔族になったものの、もとはイナカーンの街の冒険者ギルドのギルマスことウーゴ・フィフライアーの双子の妹で、王都で育ったとあって泳ぎには無縁だった。


 おかげで何も考えずに逃げることだけ考えて、湖へとその身を「えいや」と投じたとき、


「あ……これは……マズい」


 と、瞬時に悟った。息継ぎのやり方もろくに知らないのだ。


 おかげさまで、ごぼごぼ、と――


 一応は不死性を有しているので窒息死には至らなかったものの……


 脳に空気がいかずに意識は朦朧となり……体も死後硬直みたいに動かせず……ただ、ただ、流される一方になった。


 運が良かったのは……むしろ海に出されなかったことか。


 この状態で海に流れていたら、下手な潮流に飲み込まれ、海原に沈められて物言わぬ海底の装飾品オブジェと化していた可能性が高い。


 だが、この湖は海から森内へと水が流れ込んでいて、リィリックの体は『妖精の森』の湖から『初心者の森』のそれへと、次いでまた川を伝って、ついにはムラヤダ地方にある高原の巨大湖に流れ着くことになった。


 結局のところ、リィリックがその湖畔に身を投げ出されて、やっと意識を取り戻したときには――『妖精の森』での戦いも、あるいはイナカーンの街での騒動にも、決着がついた後になっていた。






 そんな魔族リィリックの退場劇の最中――


「ふふん。やるようになったものだな!」

「かつての私ではありません。いざ、尋常にお覚悟を!」


 エルフの女将軍ジウクは大妖精ラナンシーと互角に渡り合っていた。


 もちろん、互角とはいってもラナンシーは諸々の事情で全てを出し切っていたわけでは当然ない。


 ただ、ラナンシーはとても気分が良かった。


「ふん♪ ふふん♪」


 と、激しい戦いの渦中だというのに、思わず鼻歌を口ずさんでいたほどだ。


 というのも、あまりにも強い魔力マナを持っているがゆえに、この大陸に渡ってから武技による純粋な力比べをしたことがなかった。


 実際に、ラナンシーがその禍々しい魔力を少しでも放ったとたん、魔族のリィリックのように戦意喪失してしまうのだ。


 真祖直系の吸血鬼の中でも、他の姉妹と比べて好戦的で、小さな頃からこつこつと武技を磨いてきたラナンシーにとって、ジウクは本土での戦いを思い出させるのに十分な相手だった。


 だから、ラナンシーは「よし」といったん足を止めて、紅いかいを下段に構えてから言った。


「よくぞここまでに至った。本来、エルフ種は森に潜み、狩人のスキルに長けると聞く」

「間違いありません。私はその上位職の狙撃手が本職です」

「ならばこそ、この一撃を耐えてみせよ」

「もし、耐えたならば――?」

「かつての約定を果たそう。弟子同士・・・・の殺し合いを認める」


 ラナンシーがそう宣言すると――


 これまで無表情を貫いてきたジウクが初めてわずかな笑みを浮かべた。


 そう。ジウクはリンム・ゼロガード同様にラナンシーの弟子だったのだ。


 より正確に言えば姉弟子で、数十年に一度、ジウクはラナンシーのもとを訪ねて、稽古をつけてもらっていた。


 ただし、とある理由で師匠のラナンシーは弟子のジウクとリンム同士が戦い合うことを禁じた。


 そもそも、リンムは剣に天稟があったし、ジウクは所詮、狙撃手の剣技でしかない。


 こればかりは本来の職業上、弓などの遠距離攻撃を得手とするジウクにはどうしようもないことだ。


 しかも、人族はその生が短いからこそ大いに成長する。天稟がある者ならば尚更だ。


 一方で、長寿のエルフ種たるジウクはその生の中で多くの経験値を得るものの……どうしても停滞しがちになる。


 姉となって、むしろ弟を導く立場になったジウクがリンムの急成長を忸怩たる思いで見てきたことは想像に難くない……


「だからこそ、あの男に相対する為にも――いざ、いきます!」

「おう! 全力を見せてみな!」


 ラナンシーがそう応じると、ジウクは二対の剣を眼前で交差させる構えを取った。


 が。その直後だ――


 聖剣・・が禍々しく、その姿を変じ始めたのだ。


 しかも、神聖騎士団の聖衣のようにジウクの身にまとわりついて、その何もかもを侵食していく。


「う、わっ……うが、あああああ!」

「これは――?」


 ラナンシーが眉をひそめるも、ジウクは最早、エルフ種というよりもいびつな魔族のように変じていた。


「もしや……呪いか! 聖剣に、呪いの上に、さらには人工人間ホムンクルスときたか! 懐かしいものを揃えたもんだなあ、こんちくしょう!」


 ラナンシーは「ちい」と舌打ちして、櫂を構え直した。


 呪いによって変じた人工人間ジウクの魔力は――今のラナンシーを優に上回っていた。



―――――



次こそ主人公リンムの出番……(´;ω;`)ウッ

ちなみに、魔族のリィリックは退場したわけではなく、良いところでまた出てきます。

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