第108話 駆けつける(前半)

本日はスポーツの日ということで、近況ノートにも一本SSを上げています。よろしければご覧ください。



―――――



「べーくしょいいい!」


 元Aランク冒険者のオーラ・コンナーは戦闘中にもかかわらず、豪快なくしゃみをした。


 何だか途方もなく嫌な予感がひしひしとした……


 おかげで相対している近衛騎士イヤデス・ドクマワールとは、それほどの強者なのかと、オーラも鼻下を拭いながら訝しんだものだが……


 何にせよ、オーラはいまだ立ち上る土煙から距離を取って、両手に短剣を構えた。


 頼りになる召喚獣の巨狼フェンリルはいない。子犬たちもまたいない。


 犬の野獣使いビーストテイマーとしては半端にも程があったものの、それでもオーラは冷静に相手の出方を待った。


 そんな慎重に過ぎるオーラに対して疑問を持ったのか、イヤデスはにやりと笑みを浮かべると、


「おやあ? オーラよ。使役している動物どもはどうした?」

「さて、いったい……何のことかな」

「とぼけるな。『天高く吠える狂犬』の二つ名をもつ貴様が野獣使いだということは知っている。伊達に我がドクマワールは暗殺一家を名乗っているわけじゃない」


 オーラは「ちい」と舌打ちした。


 王国の元Aランク冒険者としてオーラの存在はよく知られているが、そのいかつい風貌から近接戦闘系とみなされてきた。


 そもそも、オーラには召喚獣の犬たちがいるので、他の冒険者などとパーティーを組んだことがほとんどない。


 そういう意味では、高位の冒険者や四大騎士団でも、オーラの戦闘職を勘違いしている者は多かったし、オーラ自身も偽の情報を積極的に流してきた。


 実際に、盗賊の頭領ゲスデス・キンカスキーも、あるいは帝国の猟兵団も、それでまんまと騙された口だ。


 とはいえ、さすがに暗殺一家で知られるドクマワールは諜報も得意なようで、近衛騎士イヤデスはオーラの本職をよく知っていたらしい。


「ふふん、なるほどな。やはり先ほどフーリン様の後をこっそりとつけていたのは貴様の犬だったか」

「…………」

「他の犬どもはどうした? さっさと出せよ。俺様は――全力の貴様と戦いたいのだ!」


 近衛騎士イヤデスはそう言って、オーラを挑発した。


 いかにも騎士道精神ここに極まれりといった物言いだったものの、オーラは「ふん」と鼻で笑った。


 眼前にいる人物がそんな殊勝な性格をしているとは思えなかったし、そもそもからしてイヤデスは騎士というより暗殺者に近いと見抜いていた。


 土埃の中にオーラをおびき寄せようとしているのも、自分の得意な環境フィールドで戦おうと画策しているからに違いない……


「はてさて……犬たちか。呼んでやってもいいが……どうしたものかね」


 オーラははったりをかました。


 実のところ、犬たちにはそれぞれ役割を与えているので、今はまだ呼び戻すことが出来なかった。


 そんな煮え切らないオーラに対して、イヤデスはさらに煽ってきた。


「強がりはよせ。俺様は近衛騎士だ。しかも、王子付きの儀仗兵ではない。席次も第四位だぞ。さあ、全力でかかってこい!」


 オーラは仕方なく、「ひゅう」と口笛を吹いた。近衛騎士団の現四位ならば、たしかに相当な実力者だろう。


 イナカーンの街のギルマスことウーゴ・フィフライアーが次席だったわけだから、それに匹敵すると言ってもいい。


 ともあれ、わざわざそんな発言をするのだから、オーラを舐めているのか、はたまた傲岸不遜なのか――いずれにしてもオーラは額から滴る汗を片手で拭った。


「なるほどな。じゃあ……ますます初手から手の内は見せられないよな」


 オーラはそう呟いて、じりじりと後退して近衛騎士イヤデスから距離を取った。


 この時点でオーラは柔軟に牛歩戦術へと切り替えていた――


 もとはといえば、第四王子フーリンを足止めする為にこの広場へとやって来たのだ。


 それが出来なかった以上、フーリン付きの騎士で最も強いイヤデスをここに留めておくのが最善と考えるべきだろう。


 そうすれば、第七聖女ティナ・セプタオラクルの守護騎士リンム・ゼロガードにしても、近衛騎士と神聖騎士の実力者と同時に相対するという最悪の事態を免れるに違いない……


 ……

 …………

 ……………………


 が。


 さっきからオーラの額から零れる汗が止まらなかった。


 今となっては視界が揺れているようにも感じられた。不思議なことに体に痺れまで生じている。


 相変わらず悪寒・・に悩まされたし、これはいっそ誰かに呪われているのでは? ――と、オーラも顔をしかめるしかなかった。


 もちろん、このときムラヤダ水郷の門前でダークエルフの錬成士チャルが実に嫌らしい笑みを浮かべていたとは、さすがのオーラでも気づいていない。


 それはさておき、オーラはここにきてやっと感づいた。


 これはそんな誰かチャルによる呪いなどではない。むしろ――神経毒だ。ドクマワール家による十八番おはこの攻撃に違いない。


「てことは、まさか!」

「ふん。やっと気づいたか。犬どもがこの場にいたらもっと早く気づけたろうにな」

「この……土埃に紛れ混ませたか?」

「その通りだ。砂塵にちょっとした花粉を混ぜさせてもらったよ。微量なのでさすがに死には至らないが、そろそろよく効いてきたはずだ。違うか?」

「…………」


 事実、オーラは視野までぶれていた。


 今や脂汗が大量に噴き出て、立っているのかどうかすら怪しい……全身の感覚が抜け落ちてしまっている。


 オーラは「糞がっ!」と自身を罵った。


 近衛騎士イヤデスを舐めていた。所詮は集団で戦うことを得意とする騎士であって、単独ソロで戦ってきたオーラとは経験値に差があるとみなしていた。


 だから、最低でもここで時間稼ぎをすれば十分だと簡単に考えていた――


 ところが、そんなイヤデスはというと、オーラの思惑を見抜いた上で、逆に神経毒が回りきる時間を稼いでいたわけだ。


 さっきまでの無駄な会話も……かえってイヤデスの術中に嵌められていたと言ってもよかった。


 それだけこのイヤデスは老獪な相手だということだ――


「安心しろ、オーラよ。貴様を簡単には殺しはせんよ。むしろ、ちょっとした虫の・・実験に付き合ってもらおうか」

「虫……だと?」

「まあ、貴様が詳しく知る必要はないさ」


 直後、近衛騎士イヤデスの姿が消えた。


 それほど敏捷性アジリティに差があったのかとオーラも一瞬驚いたが……何せ視界がよく定まらない。


 とはいえ、オーラはいっそ目をつぶって、気配だけでイヤデスの魔剣を幾度もさばいた。


 その剣身は明らかに毒付与されていて、肌を掠るたびにオーラは硬直スタンさせられた。


 それでも、オーラは何とか勘と経験だけでイヤデスの剣戟をしのぎきった――


「はは! やるな、オーラよ!」

「ちい!」

「ほらほら、どうした? 元Aランク冒険者の実力とはこんなものかあ?」


 暗殺稼業のくせによく喋るものだと、オーラは眉をひそめた。


 もっとも、今となっては視覚だけでなく、聴覚までおかしくなってきていた。


 そして、すぐに気づかされた。近衛騎士イヤデスは剣技だけでなく、その声音によってもオーラを誘導していたことに――


 そう。今や、オーラは土埃の中に追い込まれていたのだ。


「しまった!」


 オーラがすぐにそこから出ようとするも、眼前に・・・イヤデスの魔剣が迫った。


 ただ、さすがにオーラもここが勝負の勘所と見抜いていた。一気に横っ飛びして、さらに躊躇なく駆け出すと、アイテム袋から毒消しのポーションを取り出そうとした。


 だが、意外なことに――


「う、おおお!」


 オーラの左足は前から・・・剣で突かれていた。


 直後、オーラはその場で片膝を崩してうずくまった。


 こうなると、近衛騎士イヤデスの素早さに驚くしかなかった。まるで四方を囲まれたかのような早業はやわざだ。


 これほどの実力者が近衛騎士のまだ第四位だとは……


「やれやれ……俺も焼きが回ったもんだぜ」


 冒険者を引退してからこっち、郷里でずっと事務仕事をこなしていたことも仇になったのかもしれない。


 何にしても、オーラの五感は完全に狂わされたようで、このとき複数の息遣い、それに足音を耳にしていた。


 最早、土煙の中にあって、どこにイヤデスがいるのかすら分からない。


 すると、イヤデスは強者の余裕なのか、オーラの前にわざわざ進み出てきた。


 しかも、懐から幾匹もの虫が入った瓶をこれみよがしに取り出す。土煙で分かりづらかったが、それは見るもおぞましい魔虫による蠱毒だった。


 明らかに禁忌だ。たとえ暗殺を生業にする侯爵家だとしても、本来は魔物を討伐すべき騎士が持っていていいものではない。


「そんな汚らわしいものを……どこで手に入れた?」

「さてね。まあ、安心していい。さっきも言ったようにすぐに死ぬような蟲毒ではない。ゆっくりと蝕まれるがいいさ」

「こんちくしょうめが!」


 そんなオーラの罵倒に対して、イヤデスは腹を抱えるようにして、


「あ、ははははは!」


 と、嘲笑をこぼした。


 というのも、オーラが見当違いの方向へと罵っていたからだ。


 最早、眼前のイヤデスをろくに向いてすらいなかった。それほどに五感を狂わされていたのか……


 おかげでイヤデスも笑いが止まらないといったふうに、


「ひーっひひひひ。ざまあないな、オーラよ。この程度が元Aランク冒険者とは……さあ、俺様の実験に付き合ってもらうぞ!」


 と、オーラに向けて一歩、進み出た。


 その直後だ。


 オーラが罵倒した方向から、ぶんっ、と。


 まるで巨大な扇でも振り回したかのように突風が吹き荒ぶと――


 広場に滞留していた土埃は一気に散っていった。


「…………へ?」


 近衛騎士イヤデスは憮然として、何かを・・・振るった者を見た。


 その者は巨斧を手にしていた。


 格好からするに明らかに冒険者だ。しかも弱くはない。おおよそBランク・・・・相当だろうか――


 そう。そこにはイヤデスの見立て通り、元Bランクで、現在はDランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツが突っ立っていたのだ。


「やれやれ、旦那よ。そんなにオレに向かって怒るこたあねえだろ。助けに来てやったんだぜ?」

「うっせえ! おせーんだよ! 巨狼フェンリルがすれ違った時点でさっさとここに来いと伝えたはずだろうが! どこをほっつき歩いてやがった!」

「いやいや、オレは戦士だぜ。旦那やゲスデスの兄貴みたいには走れねえっての」


 スグデスはそう言って、ねてみせた。


 ちなみにスグデスは、女司祭マリア・プリエステスの依頼クエストを受けて、第三聖女サンスリイ・トリオミラクルムを迎えに行ったものの……


 その途中で第四王子フーリン一行とすれ違い、さらには尾行していた巨狼に出くわして、その巨狼の口を通じてオーラの言伝を聞かされていた。


 つまり、オーラは近衛騎士イヤデスと相対しながらも、遠くの召喚獣まで操っていたわけだ。


 もっとも、スグデスからすれば、オーラの頼みは正式な依頼クエストでもなければ、元Aランク冒険者なのだからタイマン勝負なら問題なかろうと高を括って、ゆっくりとやって来たわけだが――


「ひい、ふう、みいと……おやおや、一人を相手に十人以上もいるじゃねえか。近衛騎士ってのは、騎士の風上にもおけねえ連中なんだな」


 スグデスがそうぼやいた通り、土埃が払われた今、広場には近衛騎士イヤデスも含めて、近衛に扮したドクマワール家の手下たち十人ほどでオーラを取り囲んでいた。


 イヤデスははなからこっそりと徒党を組んで、オーラと戦っていたのだ。


「とりあえず、旦那よ。さっさと回復しろよ。そのぐらいの時間は稼いでやるさ」


 Dランク冒険者のスグデスはそう言ってのけると、いかにも盾役タンクを果たすべく、果敢に巨斧を構えてみせた。


 広場での戦いはついに佳境に差しかかったのだ。



―――――



まさかのスグデス登場で、イヤデスとスグデスの揃い踏みとなります。残念ながらゲスデスはムラヤダ水郷なので、スリーペアとはなりませんが……


次話はこの戦いの続きからです。

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