第102話 悪寒がする

 リンム・ゼロガードがイナカーンの街に戻り始める、その数時間前――


 イナカーンの街の中央通りは、「ティーナ! ティーナ!」と、法国の第七聖女を称える声で埋め尽くされていた。


 とまれ、これはばかりは……まあ、仕方ないことだろう……


 何せ、ろくな刺激のないド田舎の街で、よりにもよって聖女が最高法術の『蘇生リザレクション』を繰り出したのだ。


 街の人々にとってはまさに神の奇跡を目の当たりにしたようなものだ。


 もっとも、その実態はというと……ティナのぐーパンによって宿屋の元女将さんの気管支のつまりを治しただけであって……


 そんな真実など露ほども知らない人々は、まさに神代から伝わる聖人の偉業もかくやと言わんばかりに――


「おいおい、人が蘇るなんて初めて見たぜ!」

「さすが法国の第七聖女様だ。しかも可憐で奥ゆかしいときたもんだ!」

「はあ……リンムの嫁さんには惜しい嬢ちゃんだが……まあ、こればっかりは色恋沙汰――仕方がないと諦めるしかないだろうぜ。せいぜい末代までこの偉業を語ってやるか!」

「そうだな。これほどの偉人ならば……俺のリンム・・・・・嫁に・・出すのもやぶさかじゃない!」


 といったふうに、すでに街ではティナは現人神だと持てはやされていた。


 もしかしたら、神代の奇跡とやらも似たようなものだったのかもしれないが……何にせよ、当のティナはというと、イナカーンの街の住民たちにがっつりと囲まれながらも――


「聖女様あああ!」

「はいはい、どーも。第七聖女でーす」

「ありがたやああああ!」

「はいはい、どもども。貴方にも奇跡を差し上げますよ。ほーら、法術をぴかりーん☆」

「おお! こんなに親しげな聖職者の方は初めてだあああああ!」

「はいはい、庶民の味方ティナ・セプタオラクルでございます。これからもリンムおじ様の妻として、清き一票を。皆様の一票を。よろしくお願いしますねー!」


 などと、こちらは最早、完全に図に乗っていた。リンムがこの場にいたら悪寒で倒れこんだに違いない……


 本来ならば、そんなティナを諫めるべき神聖騎士団長のスーシー・フォーサイトはというと、古馴染みの宿屋の元女将を治してくれたとあって、今だけは「仕方ないわね」と、ティナを甘やかしていた。


 どのみち、この街には名目上、森林浴や観光でやって来ていたのだ……


 もちろん、奈落の封印が本当の目的だったものの、こうやって街の人々に持ち上げられて、ティナの息抜きになるならばそれはそれで悪くないかなと、スーシーも溜飲を下げるしかなかった。


 とはいえ、そんなティナの増長も長くはもたなかった。


「いったい貴女は……何を仕出かしたのですか?」

「あ、痛っ!」


 女司祭のマリア・プリエステスが群衆の中を掻き分けて、ティナの額に見事な手刀を入れたのだ。


「ひどい! マリア! 私は宿屋の元女将さんを助けたんですよ」

「ほう。人助けですか。それはよろしゅうございました」


 というわりには、女司祭マリアは全くもってよろしい顔つきではなかった。


 むしろ、いかにも剣呑といったふうで、険しい目つきでティナをじっと睨みつけてくる。


 これにはさすがのティナもしゅんとなって、急に両指をつんつんし始めた……


「よろしいことをしたんですから……少しくらい褒めてくれてもいいのに……」

「貴女には立場があるのです。本来、そんな冒険者風の格好で街に出てきてよい身分でもありません」

「だってえ……」


 直後、ぎろりと女司祭マリアに睨まれて、スーシーは縮こまるしかなかった。


 マリアの指摘の通りだ。格好のこともあるが、何よりイナカーンの領主を差し置いて、法国の聖女が領民を助けるなど、立派な内政干渉だ。


 あるいは、ティナはセプタオラクル侯爵家の子女でもあるので、この場合は余計にたちが悪いとも言える。


 だから、ティナを止められなかった護衛のスーシーはお叱りの流れ弾が飛んでこないうちに、さりげなく二人から距離を取り始めた……


 そんなスーシーを横目でちらりと見ながら、マリアは「ごほん」と咳払いをしてから囁き声でティナにのみ伝えた――


「ティナ様。緊急事態です」

「え? いったい……急に何事ですか?」

「王国の第四王子フーリン様がこのイナカーンの街を急襲するとの報が入っています」

「……………………は?」


 これにはさすがにティナも呆けた声を上げて、目が点になった。


「ええと……ちょっと待って、マリア。なぜあの馬鹿がここに……ていうか、急襲するってどういうことかしら? どういう理由で王国の王子が自国の街を攻めるの?」

「理由については憶測でしか語れませんが、少なくとも表向きは――法国の聖女たる貴女が魔獣や魔族の手引きをしたのだと謳っているようです。つまり、奈落の封印は法国によるただのマッチポンプだと」

「そんな馬鹿な!」


 ティナは思わず大声を上げてしまった。


 おかげで周囲にいた人々は皆、口をつぐんで、ティナたちの様子をじっと見つめてくる。もちろん、スーシーも「ん?」と耳をそば立てた。


 これには女司祭マリアも額に片手を当てて、「はあ」と息をつくしかなかった。


 ただ、どのみち第四王子の軍隊が到着してしまっては隠しおおせることも出来ないと腹を括ったのか、


「皆様、お聞きください! 慌てずに、ゆっくりと、避難を開始してください! この街に――第四王子フーリン様の軍勢が攻めてきています! 私どもの教会でも受け入れは可能ですが……」


 そこでマリアは言葉を飲み込むと、第四王子フーリンが法国との敵対も辞さないだろう可能性を考慮してから、


「いえ、教会も危険かもしれません……『初心者の森』内の入口広場や、移動手段がある方はムラヤダ水郷へとお逃げください!」


 と、凛とした声音で伝えた。


 当然、イナカーンの街の中央通りでは新たなざわめきが起こった。


「冗談だろ?」

「さすがに司祭様が嘘は言わんだろ?」

「これって……かなりヤバいんじゃね。てか、なぜ俺たちが攻められるんだよ?」

「領主は何をやってんだ……はあ? 領主までグルになって攻め込んで来んのか? どういうこったよ、それは!」


 同時に混乱が生じて、人々は頭を抱えてうずくまったり、口喧嘩を始めたり、何なら我先にと逃げ出そうとしたりと、収拾のつかない事態に陥り始めた――


 が。


 そのときだった。


「イナカーンの街の皆さん、落ち着いてください!」


 ティナの法術『平静カーム』が込められた声音がよく響いた。


「あの馬鹿……もとい第四王子のフーリン様の目的はあくまで聖女たる私の拘束です。街を攻め滅ぼすまではしないはずです。そもそも、どのみち私は今、この瞬間――」


 ティナはそこでいったん言葉を切ると、街の人々をゆっくりと見回してから言い切った。


「イナカーンの街から出ていきます! そして、街道で第四王子フーリン様を迎え撃ちます!」


 ……

 …………

 ……………………


 これには街の人々もぽかんとなった。


 女司祭マリアは「あちゃー」と、こいつやりやがったといったふうに、額に片手を当てたほどだ。


 たしかにティナが街から出ていけば、第四王子フーリンはティナを庇ったなどと理由をこじつけて、街に手を出すことが出来なくなる……


 だが、それは逆に言えば、ティナがこそこそと隠れず、また逃げもせずに、第四王子フーリンの軍勢の前にその身を晒すことを意味する。


 さすがに聖女たった一人に対して、近衛と領主の騎士たち総員が相手となると、結果は火を見るよりも明らかだ。


 そのせいだろうか。さっきまでの喧騒は嘘のように静かになって、皆がティナに祈るような視線を向けた。


 この女性は――


 紛う方なく聖人だ。


 立場など物ともせずに人助けをする偉人だ。


 そして自らを犠牲にしてまで、街の人々を傷つけまいとする賢人だ。


 何より、嫁の貰い手が全くなかった、人の好いだけのおっさんリンムに嫁いで、世のおっさんどもに希望を持たせてくれる本物の聖女だ。


 そんな人々の祈りの中で、一人の老婆が進み出てきた――


「やれやれ。どうせ救ってもらった身だよ。こうなったら、あたしがひと肌脱ごうじゃないかね」


 回復したばかりの宿屋の元女将さんだ。


 どうやら農具の鋤を肩にかけて、ティナの横に並び立ってから皆に告げた。


「なあ、あんたら。このはリンム坊やの嫁さんだ。てことはもう――あたしらの家族みたいなもんじゃないのかね?」


 その瞬間、イナカーンの街の中央通りでは幾つもの雄叫びが上がった。


「うおおお!」

「聖女様を殺らせて堪るかあああ!」

「リンムには世話になりっぱなしだしな。たまには返さねえとなあああ!」

「俺のリンムを曇らせるようなことをするなぞ……第四王子といえど許せねえええ!」


 そもそも、ほとんどの住民が農民とはいえ、こんな辺境まで来て生活を送っている人々だ。


 自ら野獣と戦って農地を広げてきた開拓精神に火が点いたということもあったし、何より『初心者の森』の冒険者たちをわざわざ世話してあげるほどに皆がリンム並みにお人好しなのだ。


 そんなこんなで、今日は森に入れずに燻っていた冒険者たちまでもがなぜか勢いに飲み込まれて、全員が武器を手に持って、ついでに片手に酒も持って、もう酔ってないとやってられないとばかりにそれぞれの武器を天に掲げた――


「よっしゃあああ! こうなったら王国に造反じゃあああ! 聖女様と共に、イナカーン王国でも造ったるぜえええ! まずは街道にバリケードじゃあああああ!」


 何はともあれ、こうして第七聖女ティナの軍勢・・は出来上がった……


 もっとも、そんなティナを諌めるべきスーシーはというと、どこか歯切れが悪かった。


「ええと、ティナ……その……申し訳ないんだけど」


 すると、ティナはスーシーのそばに立って、なぜか荒縄を取り出した。


「分かっているわよ。貴女は王命で私を護衛しているってことでしょ?」

「ええ。だから……神聖騎士団の団長として王家に背くことは出来ないの……もちろん、こんな暴挙は許されないわ。何なら、これから魔導通信を使って王都に抗議――」

「無駄よ。それで事態が鎮静化するなら、ギルマスのウーゴさんがとっくにやっているわ」

「ごめんなさい……貴女のことは友人として大切に思っている」

「ありがとう、スーシー。それじゃあ、ちょっとだけ縛られてもらえるかしら?」

「……え?」


 ティナは意外とてきぱきとスーシーを亀甲縛りした上で、猿轡さるぐつわを嵌めて、さらに手足の先も縛って動けなくした……


「んぐぐ……んぐ……んぐーぐ!」


 最早、何を言っているのか分からない状態だ。


 そんなスーシーを指差して、ティナは女司祭マリアにお願いした。


「さて、マリア。これ・・を街道まで運んでくれるかしら?」

「い、いったい……貴女は今度は何を仕出かすつもりなのですか?」


 女司祭マリアが呆れ顔で尋ねると、ティナはおよそ聖女とは思えないほどのゲス顔でこう言ったのだ――


「法国の第七聖女が王国の神聖騎士団長を討ち取って、人質に取ったと喧伝するのよ。これで神聖騎士団は動揺するし、手出しも出来づらくなるはずだわ。ついでにあの馬鹿王子に対して、スーシーという人質でもって色々と交渉してやる!」



―――――



これでも一応、聖女でヒロインです。

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