第90話 乙女たちは過ごす(終盤)

「誰か、助けて!」


 という大声が聞こえたので、神聖騎士団長のスーシー・フォーサイトはすぐに鍛冶屋から出た。


 街の中央通りにはすでに人だかりが出来ていて、どうやら誰かを囲っているようだ。


「いったい、何事ですか?」


 スーシーが鋭い声をかけた瞬間、人々はさながらモーゼの海割りのように道を作った。


 イナカーン地方の立身出世の代名詞であるスーシーのことについては皆がよく知っている上に、事態を収拾出来る騎士ということもあって、スーシーを優先して現場に通したわけだ。


 そんなスーシーが人だかりの中央まで来ると、野次馬は口々に言った。


「あの娘は……やはりスーシーか」

「神聖騎士団長様が来たならもう安心だな」

「だが、倒れた婆さんはいったいどうしたんだ? 腰でもまたやったのか?」

「分からん……急に倒れたように見えたけどな」


 野次馬の指摘通り、スーシーは横たわっている老婆を見つけた。リンム・ゼロガードに背負われてよく薬屋に通っている、宿屋の元女将さんだ。


 スーシーは即座に元女将さんを抱えてから、「誰か、助けて」と叫んだ女性に声をかける。


「これは……いったい何事なのです?」

「分かりません。いきなり目の前で倒れ込んで、意識を失ったものですから……」

「そうですか。誰かに襲われたとか、盗まれたとか、そういった事件・・ではないのですね?」

「はい。私には胸のあたりを押さえて、自然に倒れたようにしか見えませんでした」

「ありがとうございます」


 スーシーは手短に礼を言った。


 そして、すぐ後ろに付いてきていた法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルが何か祝詞を謡おうとしていたので、片手でそれを制する。


「ダメよ。ティナ」

「なぜ?」

「今、法術で回復か治癒をしようとしたでしょ?」

「そうよ。それの何がいけないのかしら」

「二つの意味でマズいわ」


 その言葉にティナは首を傾げた。善かれと思った人助けを止められるいわれはないはずだ……


 しかも、この老婆はリンムの知り合いだ。昨晩、リンムとティナが結ばれたと冒険者ギルドで話題になったとき、真っ先に街の皆に知らせたのがこの老婆だった。


 そんなリンムの関係者を死なせるわけにはいかない……と、ティナはスーシーに対する目つきを険しくした。


 だが、スーシーもティナを逆に睨み返した。


「まず、ここはイナカーン領よ。貴女は仮にもセプタオラクル侯爵家の娘――たとえ善かれと思ってやることでも、貴女の領民でない者に勝手に恵みを与えたら、貴族間で面倒事になるわ」

「…………」


 ティナは押し黙った。


 たしかにスーシーの指摘は正しかった。他家の領民に何かを恵むということは、ひるがえって考えれば、その領を治める貴族がろくに与えていないとみなしたも同然だ。


「それに、貴女は今では法国の聖女よ。王国の領民に法術を使ったとなると、下手をすれば内政干渉で糾弾される可能性だってある」


 これもまた正論だった。だから、ティナはギュッと悔しそうに下唇を噛みしめた。


 本来、ティナはこのイナカーンの街に森林浴を目的として、お忍びの療養の為に訪れたという話になっている。


 それなのに白昼堂々と法術を使っては、お忍びでも何でもなくなるし、そもそも療養の為に訪問したという大義名分まで失ってしまう……


 さらに、スーシーが指摘した通り、この街にいる衛士も、あるいは薬師や神官なども差し置いて聖女が法術を使ってみせれば、王国は何も出来ないと法国がみなしたと、あらぬ誤解を受ける可能性だって出てくる。


「ティナ……いいから、ここは私に任せて」


 スーシーはそう言って、アイテムボックスからポーションを取り出して、老婆の口に含もうとした。


 だが、老婆が全く動かないと見るや、今度は法術の祝詞を謡った。ティナほどではないが、スーシーも神学校の出身で、基本的な法術なら一通り使える。


 だから、体力の回復や毒などの状態異常を複合的に治す『キュアヒール』を試したのだが……老婆は全く目を覚まさなかった。


「もしかして……」


 スーシーは最悪の事態を考えた――


 それは老衰による死だ。法術では一時的にかけられた毒や精神の異常を治せるし、また病気による痛みを和らげることも可能だ。


 ただし、病原そのものを取り除くことは出来ないし、当然、寿命による衰弱をどうこうするのも土台無理だ。


 法術をかけても、ぴくりとも動いてくれないということは、結局のところ、老婆はここで死ぬ運命だったということだ。


「起きて……お願い、お婆ちゃん」


 スーシーはそう呟きながら、老婆に心臓マッサージを繰り返した。


 たしかにスーシーがまだこの街にいた頃から老婆は腰を曲げて歩いて、いかにも衰えをみせていたが……それでも昨晩のように、リンムの結婚話が出たときに、


「リンム坊や・・に嫁さんが出来たぞおおおおおおおお!」


 と、マンドレイクみたいな雄叫びを上げるくらいには矍鑠かくしゃくとしていたはずだ。


 そんな様子にスーシーも「老いてもまだ壮健なのね」と思ったものだが、まさかこんな急に容体が悪化するとは……


「ねえ……起きてよ、お婆ちゃん!」


 スーシーは涙目になっていた。


 神聖騎士だから死には慣れていた。それこそ魔獣や魔族との戦いで、『王国の盾』の役割を果たす騎士たちは死と隣り合わせだ。


 ただ、それはあくまで戦場や前線の話であって、故郷であるイナカーンの街で――よりにもよって子供の頃からよく知っている老婆が目の前で死ぬだなんて、スーシーには到底、想像することすら出来なかった。


 すると、そんなスーシーの肩にぽんっと手を乗せる者がいた。


 今の宿屋の主人と女将さん。いわば、老婆の息子夫婦だ。その息子がスーシーに対して、


「ありがとう、スーシー。死に際には会えなかったけど……母さんは逝ってしまったんだね」


 そう告げると、スーシーは無念そうに顔を歪めた。


 神聖騎士団長とか、王国の盾とか、あるいはイナカーン地方の立身出世の代名詞だとか、そんなふうに称えられても、結局のところ、故郷の老婆すら守れなかった。


 だから、スーシーは忸怩たる思いに駆られながらも、両拳をギュッと固く握った。


 そのときだ――


「あ、痛っ」


 すぐそばでティナが転んだのだ。


 そして、いかにも膝でも擦り剥いたといったふうに片方の膝小僧をさすると、


「これはいけないわ。早く治さないと、化膿して、足が壊死して、そのままわたくし、ぽっかりと逝ってしまうわ」


 そんなわざとらしい棒声を出した。


 さすがにスーシーも怒ろうかというところで、ティナは急に謡い始めた。


 法術の祝詞だ。しかも、それは二重術式ダブルスペル――『範囲完全回復』と『蘇生リザレクション』だった。


 これにはスーシーも目を見張った。この親友は化け物なのかと思った。神学校時代にもティナは似たようなことして、王国の天候を変化させたことがあったが……


 当代の聖女でもこんな芸当を出来る者は『世界の光源』と謳われる第一聖女くらいしかいないだろう。


 が。


「そ、そんな……」


 スーシーは呻くしかなかった。


 ティナの規格外の法術をもってしても、老婆は目を覚まさなかったのだ。


 ただ、ティナは何かに気づいたらしく、宿屋の息子夫婦に老婆の両腕を持って立たせるように指示を出すと、


「私の法術でも起きないとは……このお婆さん、なかなかやりますね。それではいきますよ!」


 そう言って、ティナは助走をつけて、「ふんぬ!」と老婆の腹部にワンパンを入れたのだ……


 ……

 …………

 ……………………


 今度こそ、スーシーはその後頭部をどつこうかと思ったが――


 直後だ。


「げろんぱ!」


 老婆は何かを吐き出した。


 それは飴だった。どうやら老婆は飴を舐めて、それが気管に痰と一緒に詰まって呼吸が出来なくなっていたらしい……


 ティナは法術を謡っている最中に老婆の魔力マナ経路のわずかな変調を見て取って、根本的な原因に気づいたようだ。


「あいや。げほっ……げほっ。三途の川が見えたわい……うう、ごほ。死んだ爺さんが手を振っていたよ。やれやれさ」


 老婆はそう言って、すくっと立ち上がった。何だか健康そのものだ。


 しかも、「何だか腰の痛みがなくなっているじゃないかい」とまで言い出す始末だ。


 すると、野次馬から歓声が上がった――


「婆さんが生き返ったぞ!」

「すげええええ! さすがは聖女様だあああ!」

「何だか……俺の右肘や右肩の痛みも和らいでるぜ」

「わしなんか死んだと思っていた毛根が生き返っておるぞ。ふっさふさじゃあああ!」


 そんなこんなで「わっしょい! わっしょい!」と、老婆とティナを担げ上げた。


 こうなると最早、お祭り騒ぎである。そもそも、この日、市民たちはたしかに奇跡を目の当たりにしたのだ。騒ぎにならない方が嘘である。


 もちろん、ティナとしてもちゃっかりと宣伝することを忘れなかった。


「私は王国のセプタオラクル侯爵家子女として、あるいは法国の第七聖女として、法術を使ったわけではありません。あくまでも、この街に住むリンム・ゼロガードのとして――そう、このイナカーンの街の住民・・として、ちょっと頑張っただけなのです」


 ティナはそう言って、「てへ」とぺろりと舌を出してみせた。


 当然、野次馬は「リンム! ティナ! リンム! ティーナあああ!」と二人の名前を口々に告げては騒ぎ立てていった。


 そんな様子を見て、スーシーは目もとをいったん拭ってから、ティナに向けて「馬鹿」と小さく声をかけてから、


「でも、ありがとう」


 と、親友を強く抱きしめたのだった。


 ちなみに、このとき『初心者の森』にまだいたリンムはというと、ひどい悪寒に襲われて、くしゃみを繰り返したのは言うまでもない……

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