第88話 乙女たちは過ごす(序盤)
神聖騎士団長のスーシー・フォーサイトと法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルは昼過ぎになってやっとリンムの家から出た。
ティナは名残惜しそうに最後の最後までくんかくんか、すーはーすーはーして、手持ちのポーションの瓶を開け、『おじさまの家の芳醇な空気』とラベルを貼って収集までしていたものだが……
その一方で、スーシーは「はあ」とため息をついて額に片手をやってから、
「ん?」
と、鋭い目つきで周囲を見回した。
誰かが監視していると感づいたのだ。『
「やれやれ。せっかくの帰郷なのに……ゆっくりする暇もないのね」
スーシーはそう呟いて、すぐに剣へと手を伸ばせるように構えながらティナと共に歩み始めた。
ちなみに監視していたのはDランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツで、いかにしてティナに封書を手渡すか、そのタイミングを見計らっていたのだが……
こちらも『斥候』系には長けていないとあって、しばらくの間、スーシーとスグデスは無駄な駆け引きを続けることになる。
ついでに言うと、ティナは聖女にもかかわらず基本的な『斥候』系スキルを無駄に一通り揃えていた。
だが、
スーシーにそのことを伝えるよりも、さっき採ったばかりの新鮮な瓶詰め空気を堪能したかったのである……
ともあれ、そんなティナに対してスーシーは街へと続く小道を進みながら話しかけた。
「ねえ、ティナ?」
「なあにくんか?」
「……これから私は孤児院の子供たちに色々と買うわけだけど、貴女自身は何か欲しいものとかある?」
スーシーからすれば、せっかくイナカーンまで来たのだから、くんかしている空気以外に何か土産の一つでも探すのかと聞きたかったわけだ。
一方で、ティナはこれでも元侯爵家の子女なので、片田舎の街で売っている物に興味なんかなかった……
ただし、
「とりあえず、お店に行ってから考えるくんか」
と、そっけなく答えた。
それに、子供たちへの
「分かったわ。じゃあ、私の用事を優先させてもらってもいい?」
「いいわよ。そもそも
「ところで……いつまでそれ吸ってるのよ?」
「永遠にですわ」
「…………」
こうして二人が街の中央通りに着くと、街中は昼過ぎなのによく賑わっていた。
イナカーン地方は農業従事者が多く、よほどの繁忙期でないと、太陽が
これが夕方を過ぎると、農作業を終えた者たちは家に帰って、逆に『初心者の森』などから戻ってきた冒険者たちが街を賑やかすことになる――
そんなわけで中央通りをスーシーと聖女ティナが歩いていると、さすがにイナカーン地方の立身出世の代名詞ことスーシーだけあって、
「あの女性……もしやスーシーじゃないか?」
「小さな頃の面影はないわねえ。すごくきれいになったわ」
「今のうちにサインでももらっとくべ。家宝として代々子孫に伝えるべ」
「まさかあんなにやんちゃだったスーシーが美人の騎士団長になるなんて……告白でもしておけばよかったぜ。こんちくしょう」
などと、街をちょっと進むだけで人だかりが出来ていった。
これには聖女として注目慣れしているティナもどうやらむくむくと嫉妬したらしく、
「あら。さすがは有名人。護衛どころか、かえって悪目立ちしているんじゃないかしら?」
と、皮肉を込めたつもりだったが……意外なことにスーシーは一瞬、目つきを険しくして、さらに剣を抜こうとした。
直後だ。
二人のもとに駆けよる足音があった――
「くらえっ!」
その言葉に反応して、スーシーは振り向きざま、駆けてきた者の腕を切り落とそうとした。
が。
わずかな間隙……
スーシーはついぽかんとして、乱入者の武器をその額にもろに受けた。
ぱちーん、と。
よく響いたわりには、ダメージは全くといっていいほどなかった。その武器が――棒切れだったからだ。
ただ、当てた者もまさか神聖騎士団長相手に一本取れるとは思っていなかったらしく、
「へ? へ? あれれ?」
そんなふうにスーシー同様にきょとんとしてしまった。
だが、スーシーがすぐ腰に両手をやって仁王立ちしたせいだろうか……
いや、孤児院時代を思い出して、男の子たちをまとめていたときみたいに、いかにも、ゴゴゴゴゴゴゴ、と。
あまりに禍々しい怒気を放ったせいか、
「にげろー!」
「まとまるな! 四方に散れー!」
「リンムおじさんより手強いぞー。つかまったら最後だぞー」
「うわあああああい!」
乱入者、もとい子供たちは四方八方に逃げていった。
「あらあら、スーシーが一本取られるなんて珍しいわね」
ティナがそう声を掛けるも、スーシーはどこかばつの悪い顔つきを作るしかなかった。
てっきり、さっきからずっと尾行している者――スグデスが仕掛けてきたのだと勘違いしてしまった。
おかげで危うく子供の腕を叩き斬るところだった。これにはさすがにスーシーも反省しきりだ。どうにも帰郷したばかりだからか、無駄に気を張ってしまったらしい。
もっとも、街の人々の反応はというと、
「あのスーシーが反撃しなかっただと……」
「子供の頃は、こてんぱんに叩きのめしていたのにね」
「大人になったということだな。いやはや、さすがは神聖騎士団長だよ。子供には手を出さないさ」
「怒った表情のスーシーも良かったな……ああ、そんなスーシーに俺も怒られたい……踏みにじられたい……何なら色んな罰を受けたい」
リンムもよく子供たちの攻撃をわざと受けているので、周囲はそれに倣ったとみなしたわけだ。
スーシーとしては、「あ、ははは」と、照れ隠しで頬をぽりぽりと掻くしかなかった。
すると、ティナが空気詰めの瓶から鼻を放して、急に本格的なくんかくんかをし始めた。
聖女にあるまじきみっともない嗅ぎ方ではあったが……何にせよ、ティナは犬みたいにふごふごと鼻を鳴らして、とある店の前で足を止めた。
そこは――なぜか鍛冶屋だった。
「ここからおじさまの匂いがしますわ!」
犬のマーキングか、とスーシーもツッコミたかったものの、
「ええと……ティナ? さっきも伝えたはずだけど、
「とりあえず、入ってみましょうよ、スーシー! 私、気になりますわ!」
そんなふうに押しきられる格好で仕方なく、スーシーはティナの後を追って鍛冶屋に入った。
スーシーはまた「はあ」と息をつくしかなかった。子供の頃と変わらなければ、鍛冶屋のオヤジさんはかなり偏屈で頑固者だ。
何の用もなく、リンムの匂いがしたから入店したなどと話したら、間違いなく尻を叩かれて追い出されるに違いない……
だから、恐る恐ると入店したら、
「いらっしゃい。何の御用で……」
スーシーの心配は杞憂に終わった。
というのも、肝心のオヤジさんはどこかに出掛けていて、その代わりに店番を任されていたのが――
「あれ? もしかして……
「そっちこそもしや……スーシーか! いやあ、立派になったもんだなあ」
そう。店番をしていたのは、孤児院時代の兄貴分、カージだったのだ。
―――――
初出のキャラになります。鍛冶屋だからカージ。はい、安易な名前付けですね。これから癖のあるキャラたちが次々とイナカーンにやって来るというのに、果たしてこの作者に新キャラを扱える余裕があるのでしょうか。
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