第86話 司祭(後半)
今回も司祭とありますが……実はルビが「おやじ」ではありません。なぜでしょうか。でも、話はそんなおやじの件から始まります。
―――――
「あの人については、この大陸に住んでいて知らない人はいないほどの重要人物なのは間違いないですよ。少なくとも、あてらはあの人のことを司祭とは一切認識していないっす」
ハーフリングの冒険者こと果てのマニャンがそう告げると、リンム・ゼロガードは突き上げてくる思いに駆られるままに尋ねた。
「で、では……あの
リンムにしては珍しく怒鳴った格好となった。
仕方のないことだろう。リンムにとっては育ての親で、小さな頃から「おやじ」と呼んで、何もかも教えてもらった尊敬出来る人物だ。
さすがに子供ながらにお伽話の英雄や帝王とまではみなしていなかったものの、リンムにとってはいつかは越える大きな目標でもあった。
一方でマニャンはそんなリンムを無視して、ダークエルフの錬成士チャルにちらりと視線をやった。
「チャルさんは何かしら知ってましたか?」
「あの司祭についてか? いや、何も知らん。司祭らしくない人物だと感じた程度だ」
まあ、これも仕方ないことだろう。チャルはそもそも人族にさして興味を持たない。
同じ亜人族ではあっても、ハーフリングよりもさらに倍以上の寿命を誇る種だ。どれだけ奇妙に感じたとしても、すぐに亡くなる人族のことを詳しく探ろうとは思わない。
逆に言えば、今回、リンムとこんなふうに縁を築いたのは、それだけリンムに魅力を感じたからともいえる……
何にせよ、マニャンは「ほむほむ」と、小さく肯くと、
「そうでしたっすか。チャルさんはお知り合いではなかったんすね」
「いちいちもって回った言い方をするな。いったいどれほどの重要人物だというのだ? まさか私が気づかなかっただけで……実は魔族の大物が化けていましたとかいうオチではないよな?」
「いえ、人族のはずですよ」
「じゃあ、ますますもって知らん。それに人族で大物など――」
チャルはそこで言葉を切って、「はっ」とした表情となった。
そして、「待てよ。セラーホ……だと?」と呟くと、幾度もその名前を口に出して繰り返した。
さらに、まるでアナグラムのような言葉遊びをした後に「ふふ」と口の端をわずかに緩めてから、
「ああ、なるほどな。そういうことか。これは……これは……見事に一本取られたよ――まさかそんな大層な御仁だったとはな」
そう結論付けて、チャルにしては珍しく大袈裟に肩をすくめてみせた。
当然、リンムが「どういうことだ?」と問いかけるも、チャルは頭を横に振った。
「残念ながら、
チャルがそう言うと、マニャンは「ほへー」と意外そうな顔つきになった。
「おやおや? 本当にお知り合いじゃなかったんですか?」
「うむ。私が子供の頃に
チャルがそう言うと、さすがにリンムは眉をひそめた。
ダークエルフのチャルが子供の頃というと、およそ三、四百年前の話のはずだ。人族がそんなに長く生きられるはずはない。
これはいったいどういうことだと、リンムが質問をしようとするも、
「まあ、その件についてはもういいだろう。それより、私は果てのマニャンに用事があったのだ」
リンムからすれば消化不良で全然よくなかったのだが、チャルとマニャンはどんどん話し込んでいった。
どうやらチャルが所有していた長方形の手鏡らしきもの――
何にしても、マニャンはそれを受け取って、
「じゃあ、直しておくっすよ。それまでの代替機は……今はちょいと手持ちがないですねえ。あとで
そう言ってから、リンムに改めて向き直った。
「リンムさんはこれからどうするんすか?」
「あ、ああ……俺は『初心者の森』に入って、今晩、孤児院でやるパーティーの為に野獣を狩ったり、山菜、果実や木の実などを採ってくる予定だよ」
「おんやあ。『初心者の森』は今、神聖騎士団によって封鎖されていたはずですよ」
「そうなのか?」
「あー。でもでも、リンムさんってたしかA※ランク冒険者になったんですよね?」
リンムは大きく目を開いた。さすがはハーフリング――昨日遅くの出来事だったのにすでに聞き及んでいるのだから何とも耳聡いことだ。
そんなマニャンはさらに話を続ける。
「A※ランク冒険者ならば問題なく入れるでしょうね。たしか王都の魔獣討伐基準はBランク以上だったはずっすよ」
「何でも知っているんだな」
「たまたまですよ。それより、あても付き合っていいですか? 何ならお手伝いするっすよ」
「いいのか?」
「はいな。リンムさんとはこれを機会に色々とお近づきになっておきたいんです。サービスサービスってやつですよ」
すると、チャルも「ふむん」と息をついてから、意外なことにその話に乗ってきた。
「私も『初心者の森』に拠点があるからな。魔獣がまだうろついているというなら、どんな状況なのか確認しておきたい」
こうして朝市を後にして、リンムたち一行は『初心者の森』へと向かったのだった。
リンム・ゼロガード、ダークエルフの錬成士チャルやハーフリングの冒険者マニャンが『初心者の森』で狩りをしていた頃、イナカーン地方の中心にある領都へと続く街道の木陰で――
「おい、領主の騎士どもが出兵したって話だぞ」
「何かヤバいことでも起こったのか? どうする? 動くか? あるいは罠か?」
「いや、見回りの騎士どもがいなくなった今こそ、オレらにとっちゃ大きな
「おうよ。
と、
つい最近までここら一帯はゲスデス・キンカスキーが頭を務める盗賊団の縄張りだった。ところが、そのゲスデスたちがどこかへと稼ぎに出てから全く音沙汰がない……
そんなこんなでこれまた商機と捉えたのか、大小様々な盗賊団が跋扈したことで、イナカーン地方の闇社会はちょっとした動乱の時期に入っていた。
それでも、領都は騎士や衛士たちがしっかりと守っていたのでそこまで混乱は生じなかったはず……
だったが――
「ヒャッハー! オレたちの時代が来たぜ! 金目の物を出せやあああ! 若い女を寄越せやあああ! お宝をくれやあああ!」
第四王子フーリン・ファースティルと
そして現在、
……
…………
……………………
よりにもよってその街道では……
供回り一人だけを連れた美しい淑女が馬に乗って進んでいた。
どうやら女司祭らしい。もっとも、信仰なぞろくに持たない盗賊たちからすれば格好の餌だ。まさに鴨がネギでも背負ってやって来たようなものだ。
「よっしゃあああ!」
「女は犯せえええ! 供回りの男は殺せえええ!」
「馬は金にでも変えるか。何にしても、馬鹿な女司祭様がいたもんだぜえええ! げへへへ!」
「うおおお……んお? ちょ、ちょっと待て……何だ、ありゃあ?」
盗賊たちはそんな一行の手前でぴたりと止まった。
というのも、まず馬ではなかったからだ。麗しき乙女が乗っていたのは――なぜか半裸の男性だった。
首輪をされて引っ張られ、口には猿轡をかまされて、さらには目隠しまでされている。
その身には執事服らしきものを纏っているものの……実のところ、それは全くもって服ではなかった。裸体に黒墨でそれらしく塗っているのだ。
しかも、男性は四つん這いだった。ぱか、ぱか、と見事に馬そのもの――長い金髪をなびかせて優雅に闊歩している。
そんな馬、もとい人の背中に司祭服を纏った女性が悠々と乗っているわけだ。
言うまでもなく……あまりに異様な光景だった。
というか、「日中堂々、どんなプレイだよ」と、盗賊たちにドン引きされたほどだ。
これから襲い掛かろうとしていた盗賊たちより襲われる方がよっぽど恐ろしいのだから、いやはや本当に大概である。
ただし、このとき盗賊たちにとって不幸だったのは――
その女性が司祭服を纏っていたこともあつて、すぐには法国の第三聖女、しかもバリバリの武闘派として知られる『稲光る乙女』ことサンスリイ・トリオミラクルムだと分からなかったこと。
また、第三聖女サンスリイが乗っているのが、法国最強の避雷針と謳われる守護騎士、ライトニング・エレクタル・スウィートデスであったこと。
それに加えて、本来はBランク以上の冒険者はたいてい闇社会にも顔が知られていて、付き人のアデ・ランス=アルシンドの存在に気づいてもよかったものなのだが……残念ながらアデは情報収集に特化した冒険者だったので、その顔をよく知る盗賊は一人もいなかったこと。
ともあれ、そんな不幸が幾つも重なりつつも――盗賊たちからすれば、かなり
「犯せええええええええ!」
と、一斉に襲い掛かった。
もっとも、盗賊たちの記憶はサンスリイが小首を傾げたところで途切れている。
なぜなら、ぴかっ、と。あたり一帯に稲光が落ちたとたん、アデのつるりんとした頭頂部によって周囲に撒き散らされて、盗賊たちは全員、「あばばばば」と見事に真っ黒焦げになったのだ。
こうして第三聖女サンスリイの一行は何事もなかったかのように歩を進めた。
ちなみに、この盗賊たち以外にも大小様々な盗賊たちが美しき淑女を求めて襲い掛かってきたおかげで、騎士や衛士たちが不在だったにもかかわらず、この領都は最も平和な一時を過ごしたのだった。
―――――
というわけで、
ちなみに、『トマト畑』を最新話まで読んでくださっている読者様には、「そういえば、最近、冒険に出る云々の話があったなあ」と、思い出していただけたらうれしいです。
盛大にネタバレを喰らいたい方は、第286話「王国の憂鬱」をお読みください。いわゆる始点のエピソードってやつですね。
セラーホとは、そんな冒険に出ていった人物のアナグラムとなります。
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