第78話 それより踊りませんか?

拙作の中であとがきも含めて、三番目に長いエピソードになりますので、ゆるりとお読みくださいませ。



―――――



「ん! んあっ! らめ!」


 そんなちょっとだけ色気のある嬌声を耳にして――


 神聖騎士団長スーシー・フォーサイトはふと目を覚ました。何だかやけにもふもふな場所で横になっていたものだなと思いきや、


「がるるる?」


 そこはオーラ・コンナー水郷長の召喚獣こと巨狼フェンリルの脇腹だった。


 どこぞのけだものの淫語とは違って、こちらの唸り声はさすがに意味まで伝わってこないが、ぺろ、ぺろと、頬を丁寧に舐めてくれていることから察するに、寝ていたスーシーのことを案じてくれていたのだと分かる。


「ふふ。もう。くすぐったいってば」

「がる?」

「ありがとう。私は大丈夫よ」


 すると、そんなスーシーの真横で仲良く並んで寝ていたらしき者はまた・・――


「あはん。うふん。あら、嫌だ……おじ様……ああん、そんなところ……触っちゃらめえええ!」


 とんでもない嬌声を発して、勝手にもじもじし始めた。


 これにはさすがにスーシーも寝覚めが悪いとばかり、「汚らわしい」と、その者こと第七聖女ティナ・セプタオラクルの額に幾度も手刀を入れる。


「痛っ……いた、いた……せっかく良いところだったのに……いったい何なのよ……マリア?」


 ここにはいない女司祭マリア・プリエステスにでも起こされたと勘違いしたのか、ティナも巨狼の脇腹からやっと上体を起こすと、


「あれ? ここは……ベッドの中ではなく……家の前? それに……マリアもどこにもいないし? いったいどういうこと、スーシー?」


 そんなことを呟きながら、寝ぼけまなこをごしごしと擦った。


 一方で、巨狼はというと、スーシーにしてあげたようにはティナの頬をやさしく舐めなかった。


 むしろ、「きゃうーん」と、なぜかひどく怯えた声を上げたので、スーシーは「よしよし」と、頭をゆっくり撫でてあげた。


 それよりもスーシーは開口一番、さっきまで淫獣モードになって、皆に散々迷惑をかけた上に、なぜかねんごろな夢を見ていたらしきティナを厳しく問い詰めようとした――


――ものの、ちょうどそのタイミングで二人の頭上から渋い声が下りてきた。


「おう。起きたか、二人とも」


 オーラ・コンナー水郷長だ。何だか長年の肩こりでも治ったかのように、両肩をごきごきと小気味よく鳴らしている。


「オーラ殿! ご無事だったのですか?」


 スーシーが驚いて、そう声をかけると、


「無事? いったい何の話だ?」

「い、いや、先ほど……この淫獣ティナにこっぴどくやられて――」

「淫獣? やられた? はは。どうしたんだ、お嬢ちゃん。何ぞ悪い夢でも見たのか?」

「…………」


 スーシーはぽかんと口を開けて、すぐにティナを見つめた。


 もっとも、ティナはというと、なぜかさっと目を逸らした。両頬が真っ赤になっている。いまだにどこか夢現ゆめうつつといったところか……


 すると、もう一つの声が届いた――


「では、僕はこれで失礼しますよ。何だか腹痛がひどくてね。せっかくリンムさんの料理にありつけると思ったんですけどねえ……」


 そんなことを言いながら、冒険者ギルドのギルマスことウーゴ・フィフライアーはお腹をさすさすしながら帰路につこうとした。


 スーシーはまた呆けたように口を大きく開けた。


 ウーゴだってつい先ほど、これまた淫獣ティナにワンパンでやられて、腹部をひどく抉られていた。単なる腹痛で済ませられるはずがない……


 だが、そのウーゴはというと、まるで胃腸の調子がちょっとばかし悪いとでも言いたげに、とぼとぼと歩き始めている。


「これはいったい……どういうこと? 本当に……悪い夢でも見ていたというの?」


 スーシーがそう呟くのと同時に――


「出来ましたよー。さあ、皆さん、入ってくださーい」


 リンムの家の中から聞き慣れた声音が届いた。受付嬢のパイ・トレランスだ。


 どうやらスーシーやティナが寝ている間に、リンムを手伝って、皆の分の夕食を作っていたらしい……


 しかも、手伝いはパイだけではなく、家の中にはいつの間にか、女騎士のメイ・ゴーガッツやミツキ・マーチまでいる始末だ……


 どうやら全員が入って食事出来るように、室内の整理を手助けしていたようだ。


「な、なぜ……二人が? すでに?」


 スーシーだけが戸惑う中で、ふいにそばから女性の声がかかった。


「やっと料理が出来たか。まあ、これだけの人数が集まれば遅れるのも仕方あるまい。空腹は最良のスパイスとも言うしな」


 そう言ったのは――ダークエルフの錬成士チャルだった。


 エルフ種の素の姿を現していて、人族の女性冒険者ふうの認識阻害を自身にかけていなかった。


 どうやらオーラ水郷長と一緒にすぐそばの焚火で時間を潰していたようで、今はその火をちょうど消しているところだ。


「…………」


 スーシーは呆然とするしかなかった。


 このチャルも淫獣ティナに首を絞められて窒息したばかりには見えなかった。


 ダークエルフなので肌が浅黒いから、喉もとを絞めつけられた跡が見つけづらいものの……


 そもそも、そんな跡は一切・・残っていなかった。


 これにはスーシーも戸惑うばかりだ。法術で回復したのだとしても、傷跡までは早々には癒えない……


「いったい……何が起きているというの?」


 スーシーはさすがに気味が悪くなって、すぐにティナに向いた。


 そのティナが聖女らしく全力でもって、『蘇生リザレクション』や『範囲完全回復エリアオールヒール』をかけたのではないかと考えたわけだ。


 ただ、完全回復はともかく、三人同時の蘇生となると、幾ら聖女のティナであっても土台無理な話だ。


 もしくは、最初にチャルを蘇生して、錬成士のスキルか何かで蘇生が可能なアイテムでも作成したのだろうか?


「それも……やはり、ないわよね」


 スーシーは頭を横に振った。


 そもそも、リンムの別宅はあくまで調合室であって、設備の整った錬成室ではない……


「もしかして……私は洗脳でも受けている? これは何かの精神攻撃かしら?」


 実のところ、スーシーはい線をいっていたわけだが……


 そんなふうに狐につままれたような表情を浮かべていたせいか、チャルが声をかけてきた。


「どうしたのだ? まだ寝呆けているのか?」

「い、いえ。というか、一つ、お聞きしたいことがあるのですが?」

「何だ?」

「私の身体状況ステータスはどうなっていますか? 『混乱』や『魅了』などにかけられていませんか?」

「これは奇異なこと聞くものだな。お前ほどの実力ならば、それぐらい自分で調べられるだろうに」

「…………」


 スーシーが無言でいまだにぼんやりしていたので、チャルは「はあ」と息をついた。


「別に、何にもかかっていないよ。正常そのものだ」

「そうですか。あと、もう一つだけよろしいですか?」

「今度は何だ?」

「チャルさんも……先ほど、この淫獣ティナに絞殺されていませんでしたか?」

「…………」


 今度はチャルが戸惑って、スーシーの顔を穴が開くほど見つめる番だった。


 もっとも、チャルはいかにも「やれやれ」と肩をすくめてみせた。豆腐の角ではないが――どこかにごつんと頭をぶつけてしまったのではないかといったふうに、多少は心配そうな顔つきになる。


「先ほどのオーラの話ではないが……きっと可笑しな夢でも見たのだろうな。まあ、あまり気にしない方がいいぞ。ほら、今は食事だ。さっさと食いに行くぞ」

「は、はあ……」


 スーシーは渋々と応じて立ち上がった。そして、ティナに再度、疑うような視線をやると、


「私だって……混乱しているのです」

「やっぱり! さっきまでの出来事は夢じゃなかったってこと?」

「少なくとも、私の身体状況ステータスを確認すると――なぜか『淫獣ビーストモード』なるものが解放されていました。職業も、聖女だけでなく、淫獣・・が追加されています」

「…………」

「ですから、単純に可笑しな夢を見ていただけというのは……どうにもしっくりきません」

「とりあえず、今は聖女モードなのよね?」


 スーシーがそう問いかけると、ティナは「はい」と小さな声で答えた。


 とりあえず、ティナがあやめたはずの人たちが無事で、淫獣に倒された事実などないといったふうに振舞っている以上、スーシーとしても事を荒立てて、ティナを衛兵に突き出す必要性はないのかもしれない……というか、そもそも証拠も、証言もない……


 はてさて、いったいどうしたものかしらと、スーシーが首を傾げていると、


「ええと……スーシー?」


 ティナが珍しくおどおどとした目でスーシーを見つめてきた。


「ごめんなさい」

「別にいいわよ」

「許してくれるの?」

「まあね。何だか……本当に悪い夢でも見ていたような気分だし……」

「うん」

「それに、貴女が可笑しなことを仕出かすのはこれが初めてじゃないしね」

「神学校時代のこと?」

「そうそう。本当に懐かしいわ。あのときもこんな田園風景での出来事だったわよね」


 スーシーはひとしきり草原を見渡すと、ティナへとゆっくり片手を伸ばした。


「さあ、義父とうさんの手料理を一緒に食べに行きましょう」

「はい!」


 こうして二人はまるで夢の中で踊らされたかのような感覚を共有しつつも……手を繋ぎながらリンムの家に仲良く入っていったのだった。






「夢を見させて、何か分かりましたか? 姉上・・?」


 スーシーたちがリンムの本邸に入ると同時に、別邸こと錬成室の屋上には二つの影が立ち上がった――


 大妖精ラナンシーと夢魔サキュバスのリリンだ。


 どうやらこれまでの不可解な出来事は、リリンの夢にまつわる特殊能力によるものだったらしい。そもそも、リリンはまだ本土・・に帰っていなかった。


 そのリリンが「ふう」と息をつくと、


「とりあえず、この面子の中に魔族に踊らされている者はいないようだな。信用出来るといっていい」

「ただ、あのスーシーとかいう女騎士の魔力マナ経路から不可解な揺らぎみたいなものがありました」

「どこかで魔虫か何かでも仕込まれたのだろう。何にせよ、それは私たちが対処すべき問題ではない」


 夢魔のリリンがそう冷たく言い放つと、大妖精ラナンシーは聞き直した。


「では、そのことをチャルにも伝えなくていいと?」

「うむ。問題ない。チャルならばいずれ気づく可能性が高いし、それに仕込んだ魔族が何か仕掛けてくる契機きっかけにもなるはずだから、むしろこのまま泳がせておけばいい」


 そこまで言って、夢魔のリリンはやれやれと肩をすくめた。


「どのみち魔虫に侵食されても、人格が破綻するか、もしくは法術でも治せないほどに全身が蝕まれるかといった程度だ」

「まあ、廃人になっても知ったこっちゃないですしね」


 大妖精ラナンシーもそっけなく応じて、ふと首を傾げてみせた。


「ところで、姉上はこれからどうなさるのですか?」

「モタを探しに行く。この大陸に潜む魔族どもよりも、モタ一人の方がよほど厄介だ。我らが王もそのことをよほど案じている」

「……大陸中に妖精たちを放ちますか?」

「止めておけ。モタは魔力反応に敏感だ。モタの付近を妖精たちがうろつき始めたら、それこそ全力で逃げ出すぞ。モタとは昔、共に逃げるばかりの珍道中をやったものだが……ハーフリングだけになかなかにすばしっこかったものだよ。いやはや、懐かしい話さ」

「そういえば、人造人間フランケンシュタインエメス様が『モタほいほい』を建造中・・・だとか?」

「その通りだ。それも含めて何だか嫌な予感しかしないから……『モタほいほい』が完成するまでにとっ捕まえるぞ。いいな」

「はい!」


 こうしてこちらの二人もまた闇の中に潜むのだった。



―――――



サブタイトルの「それより踊りませんか?」は『夢の中へ』の歌詞からの引用です。正確には、「それより僕と踊りませんか?」ですね。


また、魔女モタとの珍道中については8月30日に刊行予定の『トマト畑 二巻』(GCノベルズ)に詳しいエピソードがあります(WEB版では第二章冒頭からに当たります)。


さらに、聖女ティナの神学校のやらかしエピソードについては、近況ノートのサポーター様限定SS『恵みの雨』三編(6月25日より順次公開中)に載っています。そのSSですが、三編のうち序盤だけは限定公開ということで、どなたでも読めますのでよろしければどうぞ。


さらにさらに、4月28日に投稿した近況ノートのサポーター様限定SS『お湯にどっぷりとつかる』の前編も合わせて非限定になっております。こちらも読めますのでお得です!


というわけで、次話からはやっとスローライフらしくまったりとした内容になるはず・・です……ですよね? 


よろしくお願いいたします。

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