第77話 勘違い

 冒険者ギルドのギルマスことウーゴ・フィフライアーが第七聖女ティナ・セプタオラクル――もといたけき淫獣、その名はティナによって、ワンパンであっけなく沈められる様をまざまざと見せつけられて……


 神聖騎士団長スーシー・フォーサイトはついにその一歩を踏み出した。


「メイ、それにミツキ!」

「はっ!」「はい!」

「パイ姉さんのことを頼むわ。私があのけだものを引き付けている間に、義父とうさんのもとに必ず無事に届けてあげて!」

「「畏まりました!」」


 もっとも、スーシーが歩み始めると、受付嬢のパイ・トレランスは「スーシーちゃん!」と声を荒げた。


「負けちゃダメよ! 絶対に! 貴女はこの街の誇りなんだから!」

「負けるつもりなんかさらさらないわ。さあ、姉さんも早く行って」


 スーシーはそう応じて、背後に小さく笑みを向けた。


 同時に、女騎士メイ・ゴーガッツとミツキ・マーチが「ご武運を!」と、パイを引きずるようにして草原の中に引きずり込んでいく。


 これからスーシーとティナが主戦場とする予定のリンム家の玄関先を避けて、裏口に回るつもりなのだろう。


 つまり、それまでにあの淫獣の苛烈な攻撃を耐え抜けばいいのだと、スーシーは結論付けてシャツの左袖をまくった。


 そこに装備していた銀色の籠手に向けて魔力マナを送り込む――


神聖衣ホワイトクロス、装着!」


 直後、スーシーの全身を聖なる光が包み込んだ。


 冒険者風の服は粒子に変じて、一瞬だけ、スーシーはその引き締まった裸体を晒すと、すぐに銀色の布着コンプレッションアンダーがぴたりと張り付き、次いでフルプレートの白鎧が自動で装着されていく――


 最後に巨大な聖盾をドンっ、と。


 しっかりと構えてみせると、暗がりの路上ということもあって、神聖騎士本来の姿は月明りを受けてよく煌めいた。


「ティナあああ!」


 スーシーはほとばしるかのように叫んだ。


 そんな鬨の声に対して、淫獣ティナは底冷えするような低い唸り声で対抗した。


「が、るるるるる!」

「ごめん……ちょっと何言っているのか分からない」

「……がる?」

「……うん」

「ええと……ごほん。やはり、スーシーも来ていたのですね、がる」

「そうよ。今晩、これからちょうど義父さんの家で、皆で食事をするつもりなの。どう? 貴女も一緒に食べない?」


 今さらの誘いではあったが、これでティナが少しは落ち着くのならばと、スーシーはまず歩み寄ってみせた。


 だが、媚薬を一気飲みして淫獣と化していたティナにとっては、これまたまた、脳内にてこんなふうに変換されてしまった――「皆でおじ様・・・を食べるのよ」と。


 そんな妄想にティナは勝手にたじろいで、わずかに後ずさりまでした。


「ど、道理で……この街の孤児院の子供たちは……やたらと仲が良いと思いましたわ、がる」


 とんでもない勘違いである。


 ともあれ、今の淫獣の頭には子供たちに蝕まれるリンムの裸体がまざまざと浮かんでいたので、


「はあ、はあ、がる、がる」


 と、さらなる妄想の上書きでもって鼻息がやたらと荒くなってしまった……発情期の猪よりもひどい有り様だ。


 もっとも、そんな淫獣ティナに向けて、スーシーは言葉を丁寧に重ねた。パイがリンムを呼び出してくれる時間を少しでも稼ぎたかったのだ。


「ええ、その通りよ。他の街はよく知らないけど……このイナカーンの子供たちは皆、仲が良いわ。全ては義父さんのおかげよ。皆、良くしてもらっているからね」

「よくして・・もらっている?」


 いったいどんないかがわしいことをしてもらっているのと、ティナはつい叫びたくなった。


 もちろん、言うまでもないが、スーシーが言っているのは、リンムが冒険者での稼ぎを孤児院に寄付しているという話に過ぎない……


 とはいえ、スーシーはティナより遥かにまともな感覚の持ち主だったので、結局のところ、ティナの淫獣的な機微には全く気づけずに、


「明日だって孤児院で、皆で仲良く一緒に食べる予定なのよ。義父さんのことだから、腕を振るってくれると思うわ」

「孤児院で、皆で一緒に仲良く――た・べ・る?」


 ティナはそう呟いて、数歩も後退さった。


 孤児院は教会付きの施設だ。だからだろうか、このときティナには……リンムが裸で十字架に磔にされて、むしゃむしゃと蝕まれている不浄なさまがありありと思い浮かばれた……


 いやはや、どうしようもない勘違いである。


 そんなこんなで、そろそろティナの想いはかえって怒髪天を衝くまでに至っていた。


 さっきのよく分からない女性冒険者といい……オーラ・コンナー水郷長といい……ギルマスのウーゴ・フィフライアーといい……いやはや、リンムはとんでもないすけこましである。


 だが、まあ……別にそれは構わない。ティナは侯爵家子女だ。高貴な身分の者が愛人を持つように、リンムほどの実力者ならば、たとえ酒池肉林に溺れていようと構わない。


 だからこそ、たかが酒や肉に過ぎない者たちがリンムをむさぼる側に回っていることが許せなかった。


 繰り返すが、本当にはちゃめちゃな勘違いである。


 直後、ティナは人族の言葉を捨てて淫獣ビーストモードに入った――


「がるるるるる!」


 姿勢を低くして、今にもスーシーに飛び掛かっていきそうな勢いだ。


 そんな淫獣に対して、スーシーは聖盾を構えながら、自身に幾つか法術による能力向上バフを重ね掛けした。


「貴女とこんなふうに対峙するのは――法国の神学校以来ね。さあ、来なさい。ティナ! 決着をつけてあげるわ!」

「がおおおおお!」


 淫獣ティナのあまりに素早い突撃に対して、スーシーはギュっと下唇を噛みしめた。


 どうやらパイたちは間に合わなかったらしい……リンムの家の裏側にやっと回ったぐらいで、草原のでこぼこ道に苦労しているようだ。


 だから、スーシーは今こそ女神クリーンに祈った。この淫獣を打ち倒すだけの力をお与えください、と。


 そんなスーシーの願いが――獣となったティナよりもよほど淫らな・・・女神に届いたのか、否か。


 勝負はほんの一瞬だった。


 というのも、


「出来たよー。さあ、入りなさい」


 二人の背後から、のほほんとした声が上がったのだ――リンムだ。


 どうやら料理が出来上がって、外が何やら騒がしいから大勢集まってきたものとみなして、外に出て呼び掛けたらしい。


 直後だ。


「きゃうん!」

「あたっ!」


 ティナとスーシーの頭がごっつんこした。


 こうして二人してうずくまって、さらにはそれが見事な会心の一撃となって互いの意識が朦朧としていって……このどうしようもない一編は終わりに向かっていくことになる。


 もっとも、このとき誰も気づいていなかった。このドタバタの裏に――それをしっかりと操っていた者がいたことなど。



―――――



最後は不穏にまとめましたが、今のうちに言うと、これまでの数話はいわゆる夢ヲチです。はてさて、夢とはどういうことなのか――次話で明らかになります。

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