第75話 這いよる(中盤)

 遠目から第七聖女ティナ・セプタオラクルの蛮行・・を眺めるしかなかった神聖騎士団長のスーシー・フォーサイトは「あちゃー」と額に片手をやった。


 すぐそばにいた女騎士のメイ・ゴーガッツやミツキ・マーチも「あわわ」と青ざめている。


 唯一の救いが、被害者となったダークエルフの錬成士チャルが王国民かどうか曖昧なところだろうか……


 これがイナカーンの街に修行にやって来た本物の・・・女性冒険者だったなら、さすがにスーシーたちもティナを即座にとっ捕まえて、街の衛士たちに突き出さざるを得なかったはずだ。たとえそれで王国と法国との間に大きな軋轢が生じたとしても――


「とにかく、さらに可笑しなことを仕出かす前に……そろそろ首根っこでも押さえておきましょうか」


 スーシーがそう言って、「はあ」とため息をつくと、


「いやいや、面白そうじゃねえか」


 すぐ隣でオーラ・コンナー水郷長がそんなことを呟いた。


 スーシーはギョっとした。どうやらティナの狩り・・を見て、なぜかオーラの闘争本能に火がついたらしい……


「武闘派の聖女様って噂には聞いていたが……まさかあそこまでやれるとはな。狩人としても一流なんじゃねえか?」


 元Aランク冒険者のオーラ水郷長にこれだけ言わせるのだから大したものだと、スーシーはまた額に手をやるしかなかった。


 ちなみに、オーラは野獣使いテイマーなので、召喚する獣によって前・中・後衛と自らの立ち位置を変えることが出来る。


 実際に、『初心者の森』で帝国の猟兵団のリーダーことシイト・テンイーガーと相対したときには、巨狼フェンリルを後衛にして負荷デバフを振り撒かせ、オーラ自身は器用にナイフを手にして前衛を担っていた。


 もちろん、後衛役もこなせるので、その代表格たる狩人などの基本職のスキルも一通り習熟している。


 だからこそ、聖女のはずのティナが見せつけた技量に嫉妬したともいえる。


「なあ、スーシー団長よ。俺にあのお転婆聖女を捕まえさせてくれ」

「そうはいっても……街の治安を守るのも『王国の盾』たる神聖騎士団の務めです」

「ふん。お堅いな。まあ、ここは四の五の言わずに任せてみな。なあに、まだまだ小娘程度に遅れは取らんさ」


 オーラ水郷長はそう強がったが、スーシーはやはり躊躇った。


 元Aランク冒険者が早々に狩られるとは思っていなかったが……それでもどこか嫌な予感がしたせいだ。


 もちろん、スーシーはオーラの実力を不安視したわけではない。それどころか、個人で戦うならば、スーシーでも歴戦のキャリアを誇るオーラには敵わないと考えている。


 ただ、このときスーシーの双眸には――リンムの自宅の錬成室から出てきたけだものが得体の知れない魔獣のように映った。


 その不気味さについ、たじろいでしまったのだ。


「がるるるる!」


 さて、親友からドン引きされた淫獣こと聖女ティナはというと……


 一本のポーションを景気づけにくいっと呷った。それは錬成室の入口付近にいかにも余剰在庫としてたくさん置かれていたもので、『命の器』――いわゆるハート型の容器に入っていた。


 ティナはリンムに黙って、それをちょろまかしたわけだ。


「くふうー。沁みるぜい」


 しかも、煽り酒をした後のおっさんみたいな感想まで漏らした……


 もちろん、命の器に入っていたのはお酒ではないのだが……いかにも恋の狩人らしくティナの両頬は真っ赤になっていた。


 そんなティナに対して、ずさ、ずさと、近づく気配があった。


「何者ですか?」


 ティナは目敏く尋ねた――


 ここでティナがすぐさま隠れるとか、反撃に出るとかしなかったのは、別にティナに多少なりとも分別が残っていたからではない。


 そもそも、このときティナはわずかに苛立っていた。


 というのも、近づいてきた相手が完全には気配を殺しておらず、むしろティナにわざわざ気づいてもらいたがっている様子だったせいだ。いわば、ティナを挑発してきたように感じられたわけだ。


 そんな相手ことオーラ水郷長は宵闇に一応は隠れつつも、


「残念だが、ここで終いだ。そう簡単にはリンムを殺らせ・・・はしねえよ」

「おや? 貴方は……」


 ティナはそこで挑発してきた者の正体に気づいた。


 そして、こんな不遜な態度といい……はたまた「らせる」といった話といい……なるほど、オーラ水郷長もリンムとやりたい・・・・が為にわざわざ夜に出張ってきたのだと理解した。


 こうしてどうしようもない言葉のボタンの掛け違いが始まったわけである。


「まさか……貴方がそっち側とは思ってもいませんでした」

「そっち側?」

「ええ、私を邪魔しにくるとは……」

「当然だろう。リンムは親友だからな」

「なるほど。貴方にとっても、おじ様は大切な人というわけですね? おじ様の純を守りたいと?」

「純だあ? そんなに血気盛んだってんなら……親友たる俺を倒してからにしな!」

「ふふ。愛というやつですか。しかしながら、その程度の盛り具合では私の愛には決して敵いません」


 と、まあ、とことん噛み合わない会話だったが……


 何にせよ、勝負はほんの一瞬だった。


 遠くに隠れていたスーシーが瞬きした間に終わってしまったのだ。


「な、何だと……?」


 オーラ水郷長がこぼしたときには、その背後に回り込んだティナはオーラの首をへし折っていた。


 だらりと力なく地に崩れ落ちていくオーラの姿をまざまざと見せつけられて、スーシーは息が止まる思いだった。


 それはオーラを補佐する為に草葉に隠れていた巨狼フェンリルも同じだったらしく、


「がるるるる」


 と、ティナが一発だけ睨みつけると、


「くうーん」


 と、腹ばいになって即座に服従を示してみせた。本物の獣がよこしまけだものに屈服した瞬間だった。


 ちなみに、当然のことながら、普通に戦えばティナはオーラ水郷長にも、あるいは巨狼にも、逆立ちしたって敵いはしない。


 だが、このときティナは普通では・・・・なかった。そう。明らかに狂っていたのだ。


 もちろん、これは頭が可笑しいといった意味ではない……


 ……いや、まあ、可笑しいと言えば十分に頭のネジが数本ほど外れている聖女ではあるのだが……


 それはともかく、ティナの狂気の原因は、つい先ほど、ぐぐぐいっと一気に呷った『命の器』に入ったポーションにあった。


 というのも、あのポーションは媚薬だったのだ。しかも、よりにもよってこの地方を代表する薬師の調合した傑作である。


 そう。ただの媚薬でもなかった。いわば、一種の強壮剤に近いものだったわけだ。


 それも一滴・・飲めば優に幾晩かは激しい愛を交わすことの出来るほどに強いものだ。ティナはそれを全て呷った。


 普通ならば、そこでばたんきゅーと気を失ってしまってもおかしくなかったはずだが……


 そこはさすがに法国の誇る第七聖女――いや、こうなると最早紛う方なく女か。


 その精神・状態異常に対する高い耐性のおかげで、ティナの体内でかえって止揚アウフヘーベンしてしまったのだ。


 そう。この瞬間、ティナは恋する乙女から、恋する戦乙女へとクラスチェンジしてしまっていた。


 ……

 …………

 ……………………


 余談だが、なぜそんな媚薬がリンムの自宅の錬成室にたらふく置いてあったかというと、リンムも薬草採取のかたわら、趣味で調合も、錬成もするので、いつかは薬師の老婆を目指したいと、サンプルもしくは遺品として残しておいたに過ぎない。


 ここは王国でも田舎ということもあって、娯楽がなく、やることといったらやる・・ことしかなかった。


 それに加えて、『初心者の森』もある。命懸けで初めての探索から帰ってきた若い男たちが飲んで、夜にやることといったら――やらりこれまたやる・・ことしかないわけで、結果として薬師の老婆は媚薬を手掛けることになった。


 そんなこんなで、とにもかくにも、あれやこれやとはからずも――媚薬で身体強化と脳が狂化された性女もとい淫獣ことティナはオーラ水郷長を見捨てて、メインディッシュへと狙いを定めた。


「さあ、パーティーの始まりよ!」


 こうしてオーラ水郷長はティナの実力を測る暇も何もなく、第二の被害者となってしまったのだった。



―――――



『命の器』は言うまでもなく、ゼルダの伝説のあれです。

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