第74話 這いよる(序盤)

お待たせしました。そんなわけで『這い』、つまり夜這いエピソードの開幕です。

まあ、ぶっちゃけるとすげーどうでもいい話ではあるんですが……三編ほど予定していて、なぜかそれぞれに被害者・・・が出てきます。

何卒、よろしくお願いいたします。



―――――



 法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルはリンム・ゼロガードの自宅前の木陰に隠れながら、「ぐへへ」と、だらしない笑みを浮かべていた。


 一般的に聖女とは大陸中の祭祀祭礼を執り行う、麗しき乙女というイメージがあるはずなのだが――


「今日、このぐー・・で全ての決着をつけてあげるわ」


 野獣が如き眼光で睨みつけ、じゅるりと涎を垂れ流し、さらには拳を固く握って咆哮を上げるその姿は、乙女というよりも女戦士アマゾネスそのものだった。


 むしろ、リンムよりもよほどおっさんなのではないかと、そろそろ疑いたくもなってくるものだが……まあ、それはさておき、ティナはまずリンムの自宅のうち手前にある茅葺屋根の倉庫らしき建物に視線をやった。


 先ほどリンムはその家屋に女性の若手冒険者を招き入れたばかりだ……


「こんな夜分に密会するだなんて……もしかしてねんごろな女性なのかしら」


 と、神聖騎士団長スーシー・フォーサイトや受付嬢パイ・トレランスみたいに多少の衝撃を受けたものの、


「まあ、あれだけ素敵なおじ様ですもの……相手をする女性の一人や二人……いえ、いっそ十人や百人いてもおかしくはありませんわ」


 ティナはかえって自らの恋路に大きな障害があることに燃えた。


 ここらへんの柔軟性というか許容性については、スーシーたちとは違って、ティナが根っからの貴族出身ということからくるものだ。


 そもそも、身分の高い者は子供を残す為にめかけをとるものだし、ティナの婚約者だった王国の第四王子フーリン・ファースティルとてティナとは別にしっかりと愛人を囲っていた。


 だから、愛人たちを出し抜いて、主人の為に尽くすこと――それによってむしろその愛を独占することこそが女の戦いなのだと、ティナはセプタオラクル侯爵家にて教え込まれた。


 ただし、他の貴族子女と違って、ティナは何より戦うこと自体が好きだった。


 ある意味で、いにしえの魔族たちよりもよほど戦闘種族としての遺伝子を色濃く有しているともいえるわけだが……いわば、ティナにとっては、恋愛も、戦闘も、そこにさして違いなどなかった。


 そう。ぐー・・によって従わせること。


 主人だろうが、愛人だろうが、王子だろうが、守護騎士だろうが、一発殴ってしまえばいいのである。


「さあ、本当の戦いの始まりよ!」


 さながら会戦でも始めようかといった勝鬨かちどきでもって、ティナはリンムの自宅の敷地内に入った。


 もちろん、狩人・・のスキル『潜伏ハイディング』を完璧に使いこなしている。


 これには距離を取って、こっそりとティナを尾行していたスーシーも、またオーラ・コンナー水郷長も感嘆するしかなかった……


 さて、そんな聖女もとい恋の狩人ティナはというと、敷地内に入るや否や、くんか、くんか、すーはー、すーはー、と深呼吸を繰り返した。


「ああ……おじ様の素敵な匂いがこの地には充満していますわ」


 もちろん、ただの加齢臭と古い家屋独特の黴臭さである。


 より正確には、前家主の老婆時代から続く薬草園や錬成室に染みついた香りでもあるのだが……何にしても鼻の穴を大きくして、よこしまなテイスティングをしているティナには、やはり聖女の面影なぞ一つもなかった。


 そんなティナは足音を消して、まず茅葺屋根の建物に近づいた。


 少しだけ開いていた扉からこっそりと屋内をのぞいて、ティナはすぐにそこが錬成室なのだと気づく。


「どことなく……あのダークエルフの錬成士チャルさんの家によく似ていますね」


 ティナは「ふむふむ」と、目を細めた。


 一応、ティナにとってチャルは様々なことを夜通し教えてくれた恩人だ。


「果たしてチャルさんは……この街で何たら・・・商会のハーフリングに会えたのかしら」


 と、思いやって……すぐにぶんぶんと頭を横に振ってから、眼前の得物こと女性冒険者へと視線を戻した。


 最早、その獣眼・・には、弱肉強食を生き抜く野生の獣特有の殺意しかこもっていなかった――


 そう。リンムというメインディッシュを狩る前に、ちょっとした前菜オードブルをいただく。


「百獣の王の前にむざむざと出てきてしまったことを後悔して逝きなさい」


 ティナはそう呟いて、一歩を踏み込んだ。


 もちろん、言うまでもないことだが、屋内にいる獲物がまさかチャル本人だとは、ティナは露ほども気づいていない……


 ちなみに、ここで少しだけ話が逸れてしまうが――薬師と錬成士は似て非なる職業だ。


 薬師は手作業で薬草の調合を行ってポーションなどを作成する。一方で、錬成士は魔術・・によってそれを行う。


 薬師の方がより確実に成果物を作れるものの、錬成士は失敗こそすれ、多くの効果を付与することが出来るし、薬物だけでなく武器などの錬成も行える。


 そんなわけでチャルの家に似た錬成室とはいっても、そこには魔術を込める錬成釜はなく、魔法陣など術式も随所に織り込まれてもおらず、薬草棚と机ばかりで、どこか調理室みたいな雰囲気があった。


「…………」


 チャルは無言で室内を一巡すると、どこか感慨深そうに「はあ」と息をついてから目もとを拭った。


 直後だ。


「がるるるる!」


 ティナはついに牙を剥いた。


 錬成室特有の刺激物などのせいで、獲物チャルは目にきたのかも……


 と、まさに「ここがチャンス!」とばかりにティナは躍り出ていったわけだ。


 さて、いかにも急転直下といったところなのだが、ここでいったん第一被害者・・・・・ことダークエルフの錬成士チャルに話を戻そう。


 亜人族のダークエルフは不死性を持つ魔族ほどではないが、それでも人族よりはずっと永きを生きる。


 特に、エルフ種の中でも最も魔力マナを内包すると謳われるドルイドにもなると、千年は優に超える寿命を持つほどだ。


 その為にエルフ種は基本的に生命の短い者たちと積極的な関わりを持とうとしない。


 森の中に引きこもって、他種族との交流もろくにせず、極めて個人主義的な生活を送る傾向にある。


 そんなエルフ種たるチャルがわざわざ弟子を持ったのには理由があった――師匠の魔女モタの影響だ。


 人族の術士ジージ、そして亜人族ハーフリングの魔女モタと綿々と継いできた技術を錬成士チャルもまた弟子に繋ぐことにしたわけだ。


 むしろ、そういった継承こそが永く生きる者の義務だとすら、チャルは考えるようになっていた。


 もちろん、チャルの弟子は薬師の老婆だけではない。もといた大陸でも弟子は取ってきたし、その中には同じ長寿のエルフ種、あるいは不死性を持つ魔族だっていた。


 が。


「やはり……ひどく堪えるものだな。弟子が師匠よりも早く逝くという事実は……」


 チャルはそう呟いて、ここの家主だった薬師に教えてきたことを一つ、一つ、思い出した。


「病で伏せる母を救いたいと願った小娘が……私の知らぬ間にこの地方を代表するほどの薬師になっていた。本当に人族の成長の速さには驚かされるものだよ」


 そこでチャルはまた「はあ」と、ため息をついた。


 もっとも、このときチャルはろくに知らなかった。人族の速さ――いや、ティナの狩人としての素早さについてなぞ……


ね!」

「――く、うっ!」


 刹那。


 チャルは首をへし折られていた。


 言うまでもないが、チャルは弱くない。普通ならばこんなに容易に接敵など許さない。


 しかしながら、今はさすがに状況があまりにも悪かった。何もかもがティナに味方していた……


 そんなわけで薄暗い錬成室でだらりと倒れ込んでいく女性冒険者ことチャルを見捨てて、ティナはそそくさと建物から出ようとした。


「ふう。つまらぬ者を殺ってしまったわ」


 こうして過去を偲ぶ暇も何もなく、第一の被害者が誕生してしまったのだった。



―――――



首をへし折るとか、殺ったとかと書いていますが、チャルは死んでいません。あしからずです(まあ、最悪、ティナの法術で治せますが……)。

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