第71話 偲ぶ
ダークエルフの錬成士チャルの悪戯、もとい認識阻害による接近に気づいた女騎士のメイ・ゴーガッツとミツキ・マーチは武器に手を伸ばした。
メイも、ミツキも、先ほどの公衆浴場でチャルに出会っていたのだが……チャルはそのときとは別人に姿を変えていた上に、リンム・ゼロガードの家も街から離れていて、月明かりしか届かない暗がりなので、二人とも騎士らしく即座に警戒してみせたわけだが――
「待ってくれ。この女性は俺の客だ」
リンムが片手で二人を制しながらそう声をかけると、
「もしや……浴場で巨乳の人族に化けていたお姉様?」
女騎士ミツキは、くんか、くんかと、その独特な百合の嗅覚でもってチャルを認めた。
一方で、やや脳筋なところがあるメイはまだ顔をしかめていたが、相方のミツキが警戒を解いたことで、こちらもいったん武器を収めた。
そんなタイミングでリンムが「巨乳に化けていた?」と、不審そうに首を傾げつつも、チャルに向き合って尋ねた。
「まあ、巨乳はともかくとして……こんな時間にいったいどうしたんだ? 『放屁商会』は見つかったのかね?」
「いや、まだ会えていない。はてさて連中、どこをほっつき歩いているのやら」
「俺が出くわしたのは早朝だったよ。広場の朝市に出店していたぞ」
「ほう。では、明日の朝にでもまた探してみるとするか」
「それでいったい、ここにはどうして来たんだ? 俺に用があったのか? あるいは、この一本道から『初心者の森』にでも入るつもりだったのか?」
リンムはそう尋ねて、家のずっと先にある森へと視線をやった。
月明りしかないのでうっすらとしか見えないが、二、三人がやっと通れる程度の小道が続いている。
もっとも、こちらは森の正規の入口ではないので、冒険者たちによって踏み慣らされてはいない。
実際に、この小道はリンムが冒険者ギルドに寄らずに
すると、チャルはやれやれといったふうに頭を横に振ってみせた。
「どちらでもないよ。私はただ……昔馴染みに用があっただけだ」
「昔馴染み?」
「そうだ。その家の持ち主さ」
チャルの返事にリンムは、「はっ」とした。
チャルは長らく『初心者の森』で錬成士をやってきた。ということは、当然のことながら近隣の街の薬師とも知り合いだった可能性が高い。
「もしや……婆さんのことを知っていたのか?」
「知っていたも何も、あの
その返事にリンムはしばし呆然とした。
「そうだったのか……なるほど。合点がいった。道理でお前さんの洞窟の家で見かけた道具が婆さんの持っていた物によく似ていると思ったものだよ」
「それで、リンム。一つ聞きたいことがあるのだがいいか?」
「ああ」
「あの娘は――やはり亡くなったのか?」
チャルがそう聞くと、リンムはまた押し黙った。
それから「ふう」と、短く息をついて、ぼんやりと夜空を見やった。さながらその魂が今も天で煌めいているかのように――
実のところ、リンムにとっては、この家に住んでいた薬師の老婆は母代わりみたいなものだった。
事実、冒険者になろうと森に分け入った子供時分のリンムに、どの草や木の実がポーションの錬成に適しているのか丁寧に教えてくれたし、怪我をしたときに必要な薬の知識までもたらしてくれた。
もちろん、リンムが長じてからは薬師の求めに応じて
何にせよ、リンムにとっては武器の扱いを仕込んでくれた教会の司祭以外に、もう一人の育ての親に違いなかった。
「そういえば――」
と、リムはふいに思い出した。亜人族の中でもエルフ種は長寿で、人族の数倍の寿命を持つと言われる。
もしかしたらチャルにとっては、婆さんこそ、
だから、リンムはチャルにしっかりと視線を戻してその最期を伝えた。
「もう四年も前の話になるよ。大往生だった。笑顔で逝ってくれたさ。俺たちは散々泣いたがね」
すると、チャルは「ふむん」とため息混じりにこぼした――
「人族の生と死は不思議なものだな。生まれたばかりの赤子は泣いて、大人たちは笑顔になるというのに、死に際に老人は笑って、周囲は涙を流す。我々、長寿のエルフ種には理解しづらい感傷だよ」
リンムは何も応えられなかった。チャルが哀しんでいるのかどうかさえ分からなかった。だから、今は大切な事実だけを伝えた。
「婆さんのお墓は教会の裏の共同霊園にあるよ。薬草畑で採れた花々を供えているからすぐに分かるはずだ」
「そうか。教えてくれてありがとう。明日の朝市の後にでも寄ってみよう……そういえば、葬儀を執り行ったのは、貴方の父親代わりだった司祭か?」
「ああ、その通りだよ。もっとも、通夜の祈りの後にやけ酒をして、肝心の式のときには大変だったがね」
「ふふ。いかにもあの人らしいエピソードだな」
「……おや? チャルは
リンムがそう聞くと、チャルは「ふふ」と小さく笑った。
いかにも何か含んだかのような笑みだったが、当のチャルはというと、やれやれと小さく息をついてから、
「顔が広いというよりも……まあ、かなりの有名人だからな。少なくとも、この大陸であの人を知らない者はいないほどに、その名は広く知れ渡っている」
リンムは「はあ」とため息をこぼすしかなかった。
破天荒な司祭だったから、よほどのことをやらかしたに違いない。そうでなければこんな辺境の教会まで飛ばされはしないだろう……
何にせよ、リンムは家の扉を開けてからチャルに言った。
「どうだ? 夕飯でも食べていくか? これから義娘たちがやって来るんだ」
「ほう。洞窟で作ってくれた朝食は上手かったからな。期待してもいいのか?」
「もちろんだとも。あまり時間がないから腕によりをかけて――とはいかないが、まあ、ありものでそれらしい食事にはしてみせるさ」
「では、ご相伴にあずかろうか。その前に薬草畑と錬成室を見せてもらいたいんだがいいか?」
「構わないぞ。畑の方は暗いが……お前さんなら生活魔術で明るく出来るか。錬成室の方は鍵を開けておくよ。私は住まいの方にいるから声を掛けてくれ」
リンムはそこまで言って、まず薬草畑の方を指差した。
そして、チャルの背中を見送ってから、女騎士メイとミツキに向き合った。
二人はわざわざリンムたちの会話が終わるまで待ってくれたようだ。リンムが守護騎士だと分かってからこっち、ずいぶんと敬われるようになったものだ。
「さて、突然の来客で話が逸れてしまったが、それでは改めて……どうか法国の第七聖女ティナ・セプタオラクル様のことをよろしく――」
もっとも、リンムはそこで唐突に言葉を切ってみせると、
「――頼むよと言いたいところなのだが、どうか目線を動かさずに俺の話を聞いてほしい」
「急にどうしたんです?」
「もしかして、今話しかけていた冒険者について何かあるのでしょうか?」
「いや、違う。チャルの方じゃない。肝心のティナ様についてなのだが――実は彼女ならここから少し離れた木陰にいるぞ」
「「…………」」
「ついでに言うと、君たちの上司であるスーシーも彼女を尾行しているようだ」
「「…………」」
「さっきも言ったが、スーシーたちとは後で食事する予定になっているんだ。何なら、君たちも来るといいよ。この際、四人分も、六人分もさして変わらないからな」
「「あ、ありがとうございます」」
結局のところ、メイも、ミツキも、白目を剥きながらリンムに感謝するしかなかったのだった。
―――――
女騎士メイとミツキがダークエルフの錬成士チャルと公衆浴場で出くわした話は限定SSに載せています。無駄な贅肉族にまつわるお話なので、是非ともちゃりんちゃりん……じゃなかった、応援お願いいたします!
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