第70話 待ち伏せされる

 イナカーンの街の冒険者ギルドの受付嬢パイ・トレランスは、はらはらしながら、神聖騎士の団長スーシー・フォーサイトと一緒に、リンム・ゼロガードを追う法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルの後をつけていた。


 もっとも、リンムは久しぶりの長旅で相当に疲れていたのか、尾行しているティナにはまだ気づいていないし、またそのティナにしても、まさか自分がスーシーやパイに感づかれているとは露ほどにも考えていないようだ。


 何より現状、この三組は微妙な等間隔でもって、イナカーンの街の外れへと進んでいった。


 ちなみに、リンムは街の中心部からずいぶんと離れた場所に住んでいる。


 というのも、薬草採取の依頼クエストなどで関わってきた薬師の老婆が亡くなった際に、その老婆は子供のように可愛がってもいたリンムに感謝して、住んでいた家を遺したのだ。


 とはいえ、ダークエルフの錬成士チャルが『初心者の森』の洞窟内に引きこもってきたように、基本的にポーションなどの錬成時には様々な臭いが出る。


 だから、この薬師の老婆――もとい今ではリンムの家は当然のように街の外縁部からさらに遠い場所にあった。


 位置的にはイナカーンの街の最奥で、人や馬車などの踏みならした道がしだいに凸凹となっていって、さらには『初心者の森』にほど近く、街の防壁も途切れがちに、柵が無造作にぽつん、ぽつんと並ぶ具合になってきてからやっと――


 茅葺屋根で、さながら古い高床式倉庫のような一軒家がみえてくる。


 おそらくもとは森で伐採した資材などを収める為の家屋だったのだろう。それを薬師の老婆が長い時間をかけて改築して、今度はリンムが住みやすいようにと、錬成室と住居を分けて増築した。


 もちろん、このあたりまで来ると、もう他の家や施設などは周囲に一切ないし、せいぜいあるとしたら昔から薬師によって育てられてきた薬草畑と、あとは街の兵士たちが見回りする際に出来上がった馬の踏み跡くらいだろうか。


 そんないかにもリンムらしい朴訥な古家に通じる一本道の途上には――意外なことに、二人の人物が突っ立っていた。


「サス・ガ・デス=ワ☆オジ様……少々よろしいでしょうか?」


 神聖騎士団の女騎士メイ・ゴーガッツとミツキ・マーチが馬で先回りして、リンムを待ち構えていたのだ。


 まあ、この二人からすれば、当然の行動といえるだろう。二人は団長のスーシーから聖女ティナの護衛を任されたものの、そのティナが公衆浴場を出てから忽然と姿を消してしまった……


 ただ、二人ともいい加減なもので、ティナの安否についてはさほど心配していなかった。


 貴族の子女だったこともあって、ティナが神学校に入る以前の武闘派なエピソードをよく聞きかじっていた上に、そもそも下手したらティナはこの二人よりもよほど強い。


 そんな可笑しな第七聖女だからこそ、攫われたとか、どこかでからまられたとかといったことではなく――二人には想像も出来ない、ろくでもないことを仕出かしているに違いないと、守護騎士たるリンムを頼ったわけだ。


 おそらく家の場所については公衆浴場で働いていた冒険者にでも聞いて、馬で草原から回って駆けつけたのだろう。


 直後、リンムを追っていたティナは「ちぇ」と舌打ちしてすぐさま木陰に身を隠し、またそのティナをつけていたスーシーやパイはというと、


「義姉さん、これをかじって」

「これって……もしかして静か草?」

「ええ、そうよ。認識阻害の『静音』や『不可視化』などが一時的にかかるわ」

「ええと……あっちにいる騎士様たちに合流しなくてもいいの?」

「二人の仕事の邪魔はしたくないし、それに――」


 というところで、スーシーは言葉を切って、「ふふ」となぜか含み笑いを浮かべた。


 だから、パイも「ふうん」と曖昧に肯きを返して、手渡された静か草をかじった。さすがに冒険者とは違って、こうしたアイテムを使用したことがなかったので、その苦さについ涙目になる……


 さて、二人の女騎士から問いかけられた肝心のリンムはというと、


「いったい……こんな時間にどうしたのだね?」

「はい。実は、お恥ずかしいことに第七聖女ティナ様を見失ってしまいまして……そこで守護騎士であるサス・ガ・デス☆ワ、オジ様に心当たりなどお聞きしたくて、こうしてお待ちしておりました」

「…………」


 リンムは押し黙ってしまった。


 まず、そもそもからしてリンムの名前はサス・ガ・デス=ワ☆オジではない。


 先ほど冒険者ギルド内にてティナがこの二人のことをやたらと締めて・・・からこっち、どうにもリンムを見る目が変わったというか、ずいぶんとおかしくなった気がしたわけだが……何にしても名前くらいはちゃんと呼んでほしいものだ。


 とはいっても、リンムはすぐには訂正しなかった。「はあ」と小さく息をついて、いかにも「あちゃー」といったふうに額に片手をやってみせる。


 というのも、今さらになってリンムは自分が第七聖女の守護騎士だったと気づかされたからだ。


 長らくFランク冒険者をやってきて、その習慣が身に沁み込んでいたこともあって、騎士としての職業意識に欠けてしまった――そうなのだ。リンムこそが積極的にティナのそばに控えて、その身を守らなくてはいけない立場だった。


 しかも、ちょっとした冒険の後での家路の途上ということも手伝って、ティナの存在すら完全に失念していた。これでは守護騎士失格だ。


 ともあれ、さすがは神聖騎士団長にまで成長した義娘スーシーだ。こうして二人を護衛として遣わせてくれた。これにはリンムも感謝するしかなかった。


「残念ながら、ティナ――いや、第七聖女様が向かわれる先には心当たりがないな」

「そうでしたか……」

「わざわざお時間を取らせていただいて、本当に申し訳ございません」

「俺も探すのを手伝おうか?」


 リンムが提案すると、メイも、ミツキも、「いえいえ」と両手を振ってからメイが応じた。


「サス・ガ・デス☆ワ、オジ様のお手を煩わせるわけにはいきません」

「しかしながら、俺は一応……守護騎士だ」


 すると、ミツキとメイが順々に説明した。


「だからこそですわ。今はどうぞ、ゆっくりとお休みくださいませ」

「魔獣や魔族など、対処が難しい場合には、その力をお借りすることもあるかと存じます」

「護衛については、私ども神聖騎士団にも任されておりますわ。昼は何も出来なかった分、夜は引き継がせてもらったものと認識しております」

「ですから、今はゆっくりなさってください」


 冒険者ギルドで相対したときとは態度が違ってやけに殊勝になったものだから、さすがにリンムも戸惑ったものの、たしかに公衆浴場で旅の垢を落としてからこっち、リンムの体は悲鳴を上げていたので、


「分かった。では、二人のお言葉に甘えよう。第七聖女様のことをよろしくお願いしたい」

「はっ!」

「畏まりましたわ!」


 もっとも、その直後だ――


 リンムは「ん?」と、背後に視線をやった。


 強い風が草木をなびかせている。しばらくの間、リンムは目を細めて、そんな風鳴りに耳を傾けた。そして、ちら、ちらと、少しだけ離れたところにある木と、一本道に視線をやってから、


「誰だ?」


 と、鋭く問いかけた。


 当然、メイも、ミツキも、目をぱちくりとした。


 ただ、リンムはすぐに「いや、違うな」と呟いてから、今度は家のある方に振り向き直した。次の瞬間、ざっ、ざっ、と。リンムたちに近づく歩みの音が風に乗って届く――


「さすがだな、リンムよ。少しばかり驚かせてやろうかと思っていたのだが……やれやれ失敗だ」


 リンムは「ふう」と、小さく息を吐いた。というのも、家の扉の前では、ダークエルフの錬成士チャルが認識阻害をかけて待ち伏せしていたのだ。

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