第64話 双鋏と詐欺師と稲光は動き出す(序盤)

 アデ・ランス=アルシンドは王都で最もA級に近いと謳われているベテラン冒険者だ。


 単独ソロで仕事をこなすことが多く、斥候スカウト系のスキルが必要とされる仕事で高く評価されてきた。その二つ名は、『路地裏の光源・・』――もちろん、この名はアデの身体的特徴である頭頂部・・・とは、一切、何ら、全くもって、微塵も関係ない……はずだ。


 それはともかく、アデは魔獣や魔族に対する偵察、王侯貴族たちへの調査、あるいは裏社会の要人たちの暗殺などにかかわってきたことから、これまで表舞台にはあまり出てこなかった。「最もA級に近い」と評されつつも、いまだにB級に留まっている所以ゆえんだ。


 そのアデが今、闇色のマントを纏って、フードも深く被って頭頂部をきっちりと隠しながら、足音さえ一つも立てずに王都の冒険者ギルドの最奥の部屋にノックもせずに入った。


 もっとも、部屋の主はさすがに感づいたのか、


「よく来てくれたな。急に呼び立ててすまなかった」


 誰もいない入口のあたりに視線をちらりとやってから、部屋の中央にあるソファに左掌を差し出した――王都のギルマスことビスマルク・バレット・ファイアーアムズだ。


 実は、このビスマルクは王国の冒険者出身ではない。もとは公国のA級冒険者で、魔族の侵攻から国が戦禍に巻き込まれると、最初は冒険者ライセンスを返上してまで騎士たちと共に前線に立つつもりでいたが、


「冒険者として草の根的に立ち回って、王国の協力を取りつけてきてほしい」


 と、公国の上層部に託されて、そのときに王都へとやって来た。


 そこから王都のギルマスになって、さらに王国の四大騎士団の一つである暗黒騎士団を公国へと派遣させたわけだから、ビスマルクがいかに優秀かよく分かるものだが――


「ギルマスよ。公国はもうダメだな」


 ソファに黒い陰が落ちたとたんに、アデによる渋い声音が放たれた。


「どんな状況だった?」

「渦状の魔物が国境線上の丘を占拠していた。あの様子では公国も破壊され尽くされている可能性が高い。少なくとも国境に近い村々はすでに廃村だった」

「……暗黒騎士団長のイワン・ストレートブレイドは?」

「その魔物どもと戦っていたが、多勢に無勢といった有り様だった。王国に侵入を許すのも時間の問題だな」

「そうか……そこまで戦線は悪化しているのか」


 ギルマスのビスマルクは苛立ちを隠さずに、トン、トンと、指先で机上を叩いた。


 今回の国境紛争に王都の冒険者は駆り出されていない。余計なところから噂が広がるのを王国の上層部が恐れたからだ。王侯貴族たちはいまだに魔物や魔族の存在を秘匿して、これまで通りに虎の子の騎士団のみで対処するつもりでいるのだろう。


 だが、これで騎士団が敗れて国境が侵されるとなると、そう言ってもいられなくなる……


 もちろん、アデの偵察の後に魔女のモタが加勢して、渦状の魔物たちを一掃したわけだが、騎士団が壊滅したせいでその情報はまだ王都に届いていない。


 それはともかく、ギルマスのビスマルクは「はあ」とため息をつくと、アデに向けて封書を投げて寄越した。アデはその封蝋をナイフで切って、中身の書類を眺めると、


「ふむん。リンム・ゼロガードかね」


 そこに記されていた名前だけ、低い声で告げた。


 その書類にはリンムの個人情報と、これまでの冒険者としての実績が記してあった。とはいえ、そのほとんどがFランク冒険者としてこなしてきた薬草採取などの依頼クエストばかりだ。


 すると、ギルマスのビスマルクが机上にあった箱から葉巻を一本だけ取り出して、


「そろそろ、この王都でもリンム・ゼロガードがA※ランクになった件について騒がれていたんじゃないか?」


 そう尋ねてから、葉巻の先をカットして火を点けた。


「さてな。王都はよく知らんが、この建物内ではその話で持ちきりだったな」

「どんなふうに評判になっていた?」

まともな・・・・冒険者はさもありなんといったふうだった。逆に、まともじゃない連中は早速狩り・・に行こうと息巻いていた」

「すまないが……君のまともに関する基準がよく分からない」

「簡単な話だ。ここ王都の冒険者は『初心者の森』を経た者が多い。順を追ってきちんと強くなってきた連中だな。その者たちはほとんど、駆け出しの頃にリンムとやらの手ほどきを受けている。つまり、ここの冒険者にとってリンムという人物はまさに知る人ぞ知るといったところなのさ」

「なるほどな。公国出身の私にはさすがに知り得ない話だな。ちなみに、君はリンムに会ったことは?」


 ギルマスのビスマルクが「ふう」と煙を吐きつけると、アデは頭を横に振った。


「残念ながら、俺はまともな方じゃなくてね」


 ビルマルクは目を細めた。たしかにアデはまともではなかった――


 もとはとある伯爵家に飼われていた暗殺者で、当時A級冒険者だったオーラ・コンナーに家ごと潰されて、その際に冒険者へとスカウトされた経歴を持っている。


「ところで、ギルマス。この書類にある魔獣退治の項は本当なのかね?」


 アデはそう問いかけると、リンムの実績の最後に申し訳程度に添えてあった羊皮紙をひらひらとさせた。


 そこには今回の魔族アスモデウスの討伐だけでなく、イナカーンの街のギルマスことウーゴ・フィフライアーがせっせと報告してきたものも載っていた。当然のことながら、魔獣や魔族の強さをよく知っているアデはいかにも訝しげな表情をしている。


 もちろん、それはギルマスのビスマルクとて同じ思いだった。魔族に対して何も出来ずに公国を蹂躙された身だ。当初はウーゴから上がってくる、リンムによる魔獣などの討伐報告など完全に無視していた……


 が。


「今回ばかりは否定出来ない。その理由もある」

「ほう? それは是非とも聞かせてもらいたいものだね」

「現在、イナカーンの街にはオーラ・コンナーが滞在している」

「ふむん。だが、『天高く吠える狂犬』はたしか引退して……帰郷していたはずでは?」

「その通りだ。ムラヤダ水郷で長を務めているのだが……今回の魔族討伐ではリンム・ゼロガードと共に戦ったらしい」

「つまり、あの狂犬がリンムの身元保証人といったところなのかね?」

「それだけではない。君のことだから、法国の第七聖女がお忍びで当国を訪問していることはすでに聞きかじっているだろう?」

「まあな。たしか……『初心者の森』に赴いていたはずだ」

「さすがに耳ざといな。実は、その聖女には当国の神聖騎士団の護衛も付いていた。もちろん、団長のスーシー・フォーサイトも一緒だ」

「この書類によると、『初心者の森』に出現した魔族は第七聖女を害しようとしたとか?」

「そうだ。いわば、聖女を守る為に戦ったスーシー・フォーサイトもリンムの実力を認めているというわけさ」

「…………」


 そこまで聞いて、アデは眉をひそめた。一つの疑問が浮かび上がってきたからだ。


「となると、俺をここに呼んだということは――」

「話が早くて助かるよ。君には早速、偵察してきてもらいたいのだ。今回の魔族討伐がオーラやスーシーによるものなのか。それとも、本当にFランク冒険者だったリンムによるものなのか。その実力をしっかりと見定めてきてほしい」


 すると、その瞬間だった。


 冒険者ギルドの広間から、「うぎゃ!」とか、「あべし!」とか、「ひえええ!」とかといった絶叫が上がったのだ。


 それらを最奥の部屋で耳にした二人は同時に顔をしかめたが、しだいに大きくなってくる足音を耳にして、さらにギルマスの執務室の入口に現れた若者を目にして、二人ともこれみよがしに「はあ」とため息をついた。


 唐突にやって来た若者は背中に巨大なはさみを背負っていた。


 まるで盾のように見える鋏だが、二つに割れば双剣になるし、刃先を百八十度広げれば大剣にもなる――二つ名は『全てを断ち切る双鋏そうき』。


 王国の冒険者で最強にして最高。


 現在のAランク冒険者ことアルトゥ・ダブルシーカーだ。


 紺色の長い癖毛を紐で一つにまとめて、その片頬にはの字の深い傷が付いている。それでも凛とした双眸、すっきりとした鼻立ちに、肉感的な唇とあって、誰もが一目で惹かれる女性に違いない。


 そんなAランク冒険者のアルトゥがいかにもつまらなそうに報告した。


「冒険者ギルドでオヤジ狩り・・・・・を企てていた、まともじゃない連中がいたから成敗してやったよ。問題ないよな、ギルマス?」


 ギルマスのビスマルクは額に片手をやって、さらに濃いため息をついてみせた。


 当然のことながら、ギルド内での私闘は規約違反だ。たとえまともじゃない同業者とはいえ、これをいったいどう揉み消そうかとビスマルクが項垂れていると、当のアルトゥはアデが手にしていた羊皮紙を目ざとく見つけて、


「アデのおやっさん、今度はどこに遊びにいくんだい?」

「イナカーンまでちょっとな」

「へえ。何しに行くんだ? まさか、森林浴でバカンスかい?」


 アルトゥがそんな冗談を言ってきたので、アデはギルマスのビスマルクにちらりと視線をやってから、


「今回、A※ランクに抜擢されたリンム・ゼロガードという冒険者の調査だ」


 そう言って、羊皮紙をアルトゥにぽんっと手渡した。


 もっとも、アルトゥはその書類を一心不乱に読み込んでから、バンっとギルマスの机上を勢いよく叩くと、


「あたいが行くよ! 止められても、絶対に行く!」


 そんなことを言ってきたので、ギルマスのビスマルクはさらに当惑した表情を浮かべたわけだが、アルトゥがイナカーンの出身だったことを思い出して、ふと尋ねることにした。


「もしかして……リンム・ゼロガードを知っているのか?」

「知っているも何も、あたいが唯一、敵わなかった男だよ。そして何より――あたいの剣の師匠で、この世界で一番大切な義父ちちおやさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る