第63話 のぼせる

「ところでリンムよ」

「どうしたね、オーラ?」

「今も大事そうに首からかけている、そのA※ランクのライセンスカードについてなんだが――」


 イナカーンの街の公衆浴場で肩まで浸かりながら、オーラ・コンナー水郷長がリンム・ゼロガードにちらりと視線をやると、リンムは黒い特殊金属アダマンタイトのカードに手をやった。


「ああ。これのことか。肌着の上に縫い付けていた以前Fランクのものとは違って、パイがこうやってペンダントにしてくれたからとても助かっているよ。さすがにもらってすぐに失くしてしまっては怒られるから、つい浴場にまで持ち込んでしまった」


 まるでプレゼントをもらったばかりの子供みたいに、リンムが無邪気に「へへ」と照れてみせるものだから、オーラは「ふう」と息をついて目を細めた。


 長らく辺境でFランク冒険者として地味に活動してきたリンムのことだから、富や名誉には全く興味を示さないものと思っていたが、それでも娘同然とも言える冒険者ギルドの受付嬢パイ・トレランスにお手製のものを手渡されたせいか、どうやらちょっとした父親気分で鼻の下を伸ばしているようだ……


「いや、なに……別に持ち込むのは構わんがな……実はその特殊金属アダマンタイトはお湯に溶けるぞ」

「マジか?」


 リンムはギョっとして、ガバっと立ち上がった。


 同時に、リンムの武器たる象さんが、ぱおん、ぱおんと、それなりに長い鼻をぶらぶらさせる。


「……冗談だよ」

「止めてくれよ、オーラ。怒るぞ」

「いや、なに……リンムにはもうちょいその黒いカードの意味について知ってもらわんと駄目だと思ってな。つい、からかっちまった」

「そういえば、さっきもたしか……Fランク冒険者の羊皮紙カードはまだ持っておいた方がいいと言っていたな」

「ああ、そうだよ。実際に――おい、ゲスデス」


 オーラ水郷長はそばにいた元盗賊の頭領ことゲスデス・キンカスキーに声をかけた。


 もっとも、ゲスデスはDランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツやフン・ゴールデンフィッシュと一緒になって、誰の武器・・が最も硬いかについて、互いにモノを握り合って確かめ合っている最中だった……


 ちなみに誰が一番長いか・・・というと、スグデスだったらしい。それでスグデスが図に乗ったものだから、「だったら硬さで勝負しようぜ」ということになったそうだ。


 リンムはそんなすごくどうでもいい情報を耳にして、やや遠い目になったものの、すぐにオーラの話を聞く姿勢を取った。


「なあ、ゲスデスよ。もし、お前がリンムのことをよく知らなかったとしてだ。今のリンムを見て、お前ならどうする?」

「ああん? 何だそりゃ? まあいいか。ええと、その黒いカードを大層ご丁寧に首からぶら下げている、いかにも無害そうなおっさんがいたとしたら……そりゃあ盗むか、殺すかしようとするわな」

「……え?」


 それを聞いて、リンムは唖然とした。


「ど、どういうことだね、ゲスデス?」

「当然だろう。黒いカードっていやあ、Aランクか、A※ランクに違いねえ。そこのオーラみたいにとんでもねえ実力者たちばかりだが、その分、つらも、実績も、どこらへんを縄張りにしているのかも、裏社会ではよく知られている。縄張りから少しでも動いたら、すぐにその情報だって出回ってくる」


 すると、その話にスグデスやフンも乗ってきた。


「それは冒険者界隈でも同じだぜ。黒カードってのは何せ頂点だからな。王国で一発、名を轟かせてやろうっていう田舎者どもが付け狙う。あるいはオレみたいに低ランクで燻っている連中の反感だって買っちまう」

「もちろん、実力のあるヤツらほど、そのカードの意味をよく知っているっスから、下手な喧嘩はふっかけてこないっスけど――まあ、どこにでも馬鹿はいるって話っスよ」

「つまり、名も、実績も、よく知られていない私は……格好のターゲットになるということかね?」


 リンムがやれやれと肩をすくめると、オーラ水郷長が話をまとめた。


「そういうことだ。しかも、たちの悪いことにお前さんはこれから第七聖女の守護騎士としても名が知られることになる。これまでの実績は抜きにして、名ばかりがな」

「そういえば、魔獣や魔族の話はまだタブーなんだっけか」

「その通りだ。それに本来、聖女の守護騎士ってのはボディガードであって、影から護衛する任務が主のはずだから、あまり目立つのは好ましくない」

「はあ。やれやれだ。パイやスーシーが喜んでくれたものだから、ついつい受けてしまったが……今からこの『A※』ランクとやらを取り下げることは出来んもんかね?」

「無理に決まっているだろ。今頃、王都は大騒ぎだろうさ。かつて近衛騎士として、スーシー・フォーサイト以上に『天才』の名をほしいままにしたウーゴ・フィフライアーが初めて・・・おおやけに認めた冒険者だ。しかも、Fランクからの立身出世ときちゃあ、話題にならないはずがない」

「…………」


 リンムは無言になってしまった。


 つい数日前までは薬草採取を中心に依頼をこなしてきた零細冒険者に過ぎなかった。


 魔獣がどれほどのものか知らずに狩ってはきたが……それはともかく、守護騎士も、A※ランク冒険者も、よく知らないままに流れで受けてしまった。


 こればかりは片田舎であまりに平穏に過ごしてきた弊害だったかもしれないなと、リンムも反省するしかなかった。


 今後はもう少ししたたかに、かつ身を引き締めないといけないかもしれない……


 ともあれ、オーラ水郷長はそんなリンムにちょっとした事実を告げた。


「要は、お前さんはあのギルマスにていよく嵌められたんだよ」

「ギルマスに? 嵌められただって?」

「そうだ。これからこの街にはお前さんの実力を見定めようと、王都のギルドから秘密裏に依頼を受けた冒険者連中がやって来るはずだ。あるいは、お前さんを倒せばAランクへのステップアップになると考える馬鹿どもだって来るだろう。当然、法国だって黙っちゃいない。お前さんを確実に取り込もうと、下手したら他の聖女や守護騎士が動き出すかもしれん。この事態が果たして、どういう意味を持つか――リンムよ、分かるか?」


 すると、ゲスデス、スグデスやフンが順に口を挟んできた。


「この閑静な片田舎も、五月蠅うるさくなるかもしれねえなあ」

「まあ、『初心者の森』目当ての若手連中にはちょうど良い機会だろ。強い奴らが集まって来るなら教えを乞えばいい。オレだってもう一旗、名を上げる良い機会になるぜ」

「こういうときはどういう訳か、旅商人たちも何かを嗅ぎつけてくるっスね。当然、悪党たちも入り込むはずっスよ」


 そんな話を耳にして、リンムは「ふむん」と考え込んだ。このイナカーンの街にそれだけの人々の耳目が集まるということは――


「そうか。かえって魔族や帝国が……簡単には手出ししづらくなるということか」


 リンムがそう呟くと、オーラ水郷長はぱちんと指を鳴らした。


「そういうことだ。この街は喧騒と引き換えに、一時的な平和がもたらされる。その間に本当の敵が何者なのか、見定めることも出来る」

「本当の敵か……」

「それに王国からしたら、公国との国境紛争で忙しいってのに、わざわざ王都にお前さんみたいな火種を持ち込まれたくないってのが本音だろうさ」

「何だかまるで私がトラブルメーカーみたいな言い草だな」

「事実、似たようなもんだ。だから、しばらくはこのイナカーンに第七聖女や神聖騎士団と共に釘付けにされるだろうな。つまり、あまり目立ちたくないってんなら――」

「この黒いカードはぶら下げない方がいいということか」


 リンムはそう言って、A※ランクのカードをギュっと握った。


 これまでリンムの人生はこの街と共にあった。より正確には、教会の孤児院と『初心者の森』を行き来して暮らしてきた。


 日陰とまでは言わないが、目立たない人生だった。それでいいと思っていた。子供たちや街の仲間たちの笑顔さえあれば十分だと……


 そんなささやかな人生が――ここにきて一気に拓かれていく感覚があった。


 だからこそ、リンムは新たな生き方から逃げ出したくはなかった。むしろ、立ち向かうべきだと考えた。


「アドバイスをありがとう、オーラ。良い勉強になったよ」

「そうか。だったら今後は注意する――」

「俺はこれを外さないよ」

「は? 何だと?」

「誰がA※ランクなのか分からない状況だと、むしろ街に迷惑がかかるだろ? 俺を探しに暴れるやからも出てくるかもしれない。だったら、俺のところに直接来いと言いたい。俺は逃げも、隠れもしない」


 ……

 …………

 ……………………


 少しの間、浴場には静寂が下りた。


 もっとも、その静けさはオーラ水郷長の深いため息で上書きされた。


「はあああ。まあ……リンムならそう言うと思っていたぜ。こんちくしょう」


 そう言って、オーラが呆れ返ったように肩をすくめてみせると、


「とんでもねえ馬鹿だな」

「前からこういう奴なんだよ。本当に気に喰わねえ野郎だぜ」

「何か……ちょっと格好良いと思っちゃった自分がいるっス」


 もちろん、ゲスデスも、スグデスも、悪しざまな言葉のわりには、リンムを称えるような微笑を浮かべていたわけだが……


 何にしても、オーラ水郷長も「はは」とひとしきり笑ってから、


「わーったよ。じゃあ、俺もしばらくはここに滞在してやるさ。リンムだけにすると、余計な事件を起こしかねんからな。そもそも、俺は引退した後も、この地方の重し・・になるようにギルドに言われているわけだし、まあ、ちいっとくらい本来の仕事をしてやろうじゃねえか」

「ありがとう。恩に着るよ、オーラ」


 リンムもそう言って、清々しい笑みを浮かべて立ち上がってみせたわけだが――


「ん? おい、どうした。リンム? 顔が真っ赤だぞ」


 直後、リンムはどぼんとお湯の中に倒れてしまった。珍しく格好をつけたせいか、のぼせたわけだ。


 そんなあまりに締まらない最後ではあったが、オーラ水郷長はすぐにリンムを助けて、涼しいところに寝かせつけると、ゲスデス、スグデスやフンへと視線をやってから、とある・・・じゃんけんをするポーズを取った。


「おい。いいか、貴様ら。これは下手をすると大陸の危機だ。ここでリンムを失うわけにはいかん」

「大袈裟な……」

「まあ、オレはそいつに借りがあるからな」

「仕方ないっス。全うに生きると決めたばかりっス」

「じゃあ、いくぜ?」

「「「せーの、そらっ!」」」


 と、互いの武器・・を出し合って、オーラ>スグデス>=ゲスデス>>>>>>>>フンという結果になると――


 フンは「嫌っスー!」と泣き喚きながら、リンムを助ける為に人工呼吸をする羽目になったのだった。



―――――



素人判断で恐縮ですが、一応記しておくと――

のぼせた場合の対応に人工呼吸は必要ないようです。より正確に言えば、心肺停止などの諸症状が見受けられなければする意味はなく――つまり、このシーンではフンはどうやらオーラに騙されたようです。


さて、本日も限定SS「お湯にどっぷりとつかる」の続きを公開しています。よろしくお願いいたします。

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