第60話 会心の一撃を入れられる

「さあ。今こそ、私の初めてを受け取めてください……きゃっ」

「はい。解散! かいさーん!」


 そう言い出したのは、オーラ・コンナー水郷長だった。


 さすがに水郷からこっち、幾度もこんなものを見せつけられてきたものだから、いい加減に呆れ返ってしまったわけだ。


 夫婦喧嘩は犬も食わないというが、逆もまた然りで、他人のいちゃいちゃをすぐそばで目の当たりにするのはそろそろ勘弁してほしかった……


「俺は行くぜ。じゃあな、リンム。また、水郷に寄ってくれよな」

「ま、待ってくれ。オーラ!」

「そうそう、子供ができたら教えてくれよ」

「オ、オーラあああああ!」


 リンム・ゼロガードの悲痛な叫びも届かず、オーラ水郷長は手をひらひらとさせながら冒険者ギルドを出ていった。


 そんなオーラに神聖騎士団長スーシー・フォーサイトも感化されたのか、部下にきちんと示しをつけるべく、


「さあ、私たちも街外に設営してある幕舎へと戻るわよ。イケオディ副団長、幕舎に着いたら今日までの報告を上げてちょうだい」

「はっ! スーシー団長!」

「エイプ補佐、それからメイにミツキ――貴方たちは『初心者の森』の巡回班をすぐ組織しなさい。討ち漏らした魔獣が徘徊している可能性があるわ」

「畏まりました!」

「「サスガデスワ、オジサマ」」


 女騎士メイ・ゴーガッツとミツキ・マーチが胡乱な目で、いまだに淡々と「さすおじ」していたのが気にはなったものの、


「……そ、それでは、神聖騎士団はこれより王命あるまで幕舎にて待機任務に入ります!」

「「「はい!」」」


 と、スーシー団長は声を上げて、部下を連れて颯爽と出ていった。


 また、ギルマスのウーゴ・フィフライアーや受付嬢のパイ・トレランスも「ふう」と小さく息をつくと、


「ところでギルマス。リンムさんの古い冒険者カードは私の方で処分しておきますね」

「ええ。お願いします。あとついでに王都の冒険者ギルドへ報告も入れておいてくれますか?」

「承知しました。魔獣や魔族の件もそのまま報告してよろしいのですか?」

「構いません。そろそろ、王都にも本腰を入れていただかなくてはいけませんからね。法国の第七聖女に加えて、神聖騎士団の精鋭がこの街に滞在していることも含めて伝えておいてください。そうそう、魔導通信を使用していいですからね」

「……か、畏まりました」


 受付嬢のパイは驚いた。


 基本的に魔導通信はよほどのことでないと使わない。魔獣や魔族による被害、あるいは他国からの侵略といった規模であって――たとえ札付きの賊どもが街に入り込んだ程度では用いないのが通例だ。


 そもそも、魔導通信機は魔導具なので使用するのに魔力マナ補充チャージが必要となる。


 Cランク以上の冒険者で魔術に長けた者に数日ほどお願いして、やっと使用出来るようになるので、極めて限定的な用途にしか利用されない。


 だから、パイも首を傾げながら――


 きっとリンムさんの昇進を伝えるのが目的ではないわけね。まだ魔獣や魔族が残っているのかしら? それとも、帝国が攻めてでもくるのかしら?


 と、考えに耽ったわけだか、何にしてもパイ自身は一度も魔導通信を使ったことがなかったので、説明書の羊皮紙を片手に「うーん」と悪戦苦闘を始めた。


 と、まあ、こんなふうにして、法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルののろけを完全に無視する格好で、それぞれは自らの役割に戻っていったわけだ。


 残されたのはせいぜい、腰を悪くしていた婆さんと、孤児院の子供たちぐらいだったが、リンムがちらりと助けを求めるかのように視線をやると、


「そろそろ腰が痛くなってきたわい。帰るとするかの」

「ねえねえ、初めてってなにー?」

「初めては初めてだろ。そんなのも分かんねーの?」

「ほら、みんな。いくわよ。リンムのおじさんの邪魔をしちゃダメでしょ。特にこれから、らぶらぶなんだから」


 そんなふうに年長組の子供たちに引っ張られるようにして、老婆も含めて全員が出て行ってしまった。


 結果、だだっ広いギルドの広間にはリンムと聖女ティナだけが取り残された。


 もっとも、聖女ティナは邪魔者がいなくなった今こそまさに千載一遇の機会チャンスと捉えたのだろう。


 その頬を赤らめながら、「何だか……火照ってきちゃった」と呟いて、纏っていた聖衣のボタンを緩めて、意外と着痩せする胸もとを見せつけると、


「ねえ。おじさま。私……おじさまの家に行きたいな」


 上目づかいで、「うふん」と、リンムに会心の一撃を入れてきた。


 リンムはつい仰け反った。精神異常攻撃の『硬直スタン』を喰らったかのような感覚だ――


 というか、本当にこれが聖女なのかと、さすがにリンムも疑いたくなった。イナカーンの街にいる娼婦たちよりもよほど刺激的ではないか……


 もちろん、言うまでもないが、聖女ティナには全くもってこうした経験がなかった。実のところ、見よう見まねのぶっつけ本番に過ぎない。


 ただ、セプタオラクル侯爵家で育っただけあって、貴族子女の嗜みとして嫁ぎ先の殿方を喜ばす方法は仕込まれてきた。いわば、ティナからすれば、「今こそ、あのときの教育を活かすときよ!」と、無駄に燃えていたのだ。


 そんなこんなで、ティナはリンムの胸板に指を当てつつ、まるで人が歩いているかのように、ツン、ツンと、その指先を進めていく。それがリンムの喉仏から顎にまで上がって、ついに下唇に触れそうになったときだ――


「別に……ここでも……いいのですよ?」


 聖女ティナは吐息を漏らして、背伸びをしようとした。


 刹那、二人の唇が重なりかける。


 リンムは咄嗟に冒険者ギルドのカウンターに目をやった。


 受付嬢のパイはまだいてくれたが、背中を見せて、魔導通信機を調整している最中だった。リンムの唇の危機にはさっぱり気づいていない……


 ともあれ、こうなったらリンムも覚悟を決めるしかなかった。そもそも、二回りも下の女の子がここまで迫ってきたのだ。


 リンムも年貢の納め時――ではなくて、大人として相応に接してあげるべきだと考え直した。


「やれやれ……では、いくぞ」

「はい……おじ様」


 が。


 そのときだ。


 バタン、と。冒険者ギルドの両開きの扉が大きな音を立てて開かれた。


 さすがにリンムも、ティナも、「ん?」と、振り向いた。そこに突っ立っていたのは――女司祭のマリア・プリエステスだ。


 直後、


「げっ」


 と、そんな蛙みたいな声を上げたのは――意外なことに聖女ティナだった。


 女司祭マリアはというと、つか、つかと、真っ直ぐにリンムたちのもとに進んできて、がつん、と。ティナの頭に見事な手刀を入れた。


「あ、痛っ!」


 リンムは唖然とするしかなかった。


 女司祭マリアとは教会に付属している孤児院の都合で親しくさせてもらっているが、リンムの育ての親に代わって三年前に赴任してきたこともあって、あくまでも一定の距離を保った大人の付き合いでしかなかった。


 何にしても、そのマリアが子供たちに対するように――いや、もっとこっぴどく、聖女ティナに次々と手刀を入れていく。


「貴女は! いったい! この期に及んで! 何をやっているのですか?」

「痛い。痛い。やめて。マリア!」

「まるで娼婦ではないですか。はしたない。『全ての男根の蹂躙者』が聞いて呆れますよ」

「その二つ名。私、認めてないから! あと痛い! 本当にやめて!」

「聖職者が恋愛をするなとは言いませんが、さすがに分別ぐらいは持ってください」

「わ、分かったわよ……ていうか、なぜ貴女がこんなところにいるの?」

「この街の教会で司祭をやっているからです」

「ええ? イナカーンって貴女の担当区域だったの?」

「そうです。あと、リンムさん。お帰りなさい。ティナのことは私が何とかいたしますので、今はいったんギルドから出て行ってもらえますか?」


 当然、リンムにとっては渡りに船だったので、「うんうん」と幾度も肯いたわけだが――


 それでも、二人の関係について気になったので、そそくさと冒険者ギルドの扉のところまで来てから尋ねることにした。


「ところで、二人はいったいどういう関係なんだ? まあ、法国の神学校繋がりなのだろうとは推測出来るが……?」


 リンムがそう言って首を傾げると、聖女ティナが痛みで涙目になりつつも答えた。


「このマリアは――守護騎士です」

「え?」


 もしかしてリンムの前任者だったのかと、リンムが驚いてみせると、女司祭マリアは頭を横に振ってから、さながら唾棄するかのように告げた。


「たしかに私は元守護騎士です。しかしながら、仕えていたのは第六聖女――『清廉な殉教者』と謳われている、ユーク・ムツセイン様です」



―――――



第六聖女は公国の奈落を開放する際に魔族に殺された少女です。名前については今話にて初出になります。

拙作はいい加減な名前を付けていることの方が多いのですが、重要人物に関してはとある法則でもって付けています。つまり、第六聖女ユークはあの人物と深い関係にあるということです。

あと、前話のあとがきで記していたリンムの冒険者ライセンスカードについてと、「A※」ランクについての詳細について書きそびれてしまったので、どこかのタイミングで書く予定です。

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